EP.3-1 言えないわがまま
皆さん、こんにちは!Time Bombです!
本日からEP.3本編スタートです!
もう皆さん、お分かりいただけたかと思いますが、EP.3は夏月編となっております。
EP.3では、夏月の過去、そして現在の家族との関係や葛藤が少しずつ明らかになっていきます。
ネタバレにもなってしまうため、これ以上の内容は控えさせていただきますが、瑞葵との関係にもぜひ注目していただければと思います。
引き続き、Abyss Trigger ーーSecret Xーーをよろしくお願いします。
夏月「はっ……!」
夏月は勢いよく身を起こした。
夏月「はぁ、はぁ、はぁ……」
浅い呼吸が何度も漏れる。
胸の奥が、まだぎゅうっと掴まれたままみたいに痛い。
耳の奥には、さっきまで聞こえていた赤ん坊の泣き声が、今も残響のように張りついている気がした。
また、あの夢だ。
目が覚めた瞬間、夏月はそう悟った。
薄暗い部屋の中。
現実に戻ってきたはずなのに、身体の奥だけはまだ夢から抜け出せていない。
呼吸を整えようとしても上手くいかない。
胸の中に溜まったざらついた感情が、喉元にまでせり上がってくる。
夏月「つば、さ……」
無意識に名前を呼んで、隣へ視線を向ける。
けれど、そこに翼はいなかった。
今日も翼は瑞葵との二人任務に出ている。
分かっていたはずなのに、悪夢の直後の頭では、そんな当たり前のことすら一瞬飛んでしまっていた。
夏月「最悪……」
ぽつりと漏れた声は、自分で思った以上に弱かった。
――翼がそばにいない……。
それだけで、心の中の何かが余計に不安定になる。
たったそれだけのことなのに、今日に限っては致命的なくらい大きかった。
悠喜「ガー……ガー……」
部屋の空気を震わせるような大きないびきが聞こえる。
見ると、悠喜が気持ちよさそうに眠ったままだった。
大の字とまではいかないけれど、無防備そのものな寝相で、悪夢の余韻でぐちゃぐちゃになった頭を嘲笑うかのように呑気ないびきを響かせている。
悠喜「ガー……ガー……」
夏月「……うるさ」
吐き捨てるようにそう言って、夏月は布団を抜け出した。
このまま同じ部屋にいたくなかった。
悠喜のいびきのせいもある。
けれど、それ以上に今は、少しでも落ち着ける場所がほしかった。
胸の奥をかき乱されたまま朝を迎えるなんて、あまりにしんどい。
足音を忍ばせながら部屋を出る。
廊下はまだしんとしていて、窓の向こうから差し込む朝の光だけが静かに床へ伸びていた。
組織の拠点の朝は、案外こういう時間がいちばん静かだ。
夏月は廊下を進む。
向かったのは空き部屋だった。
翼たちは遅い任務のあと、その部屋で仮眠を取ることがある。
前に西横の任務へ行った時も、夏月が寝ている時間に帰ってきた二人は、そこで眠っていた。
もしかしたら、今日も。
そんな期待が、無意識に足をそこへ向かわせていた。
自分でも笑ってしまうくらい、単純だと思う。
ついさっきまで最悪な夢を見ていたくせに、翼の姿が見えるだけで少しは落ち着けるんじゃないかと思ってしまうのだから。
そっと扉を開ける。
薄暗い部屋の中で、二人分の寝息が静かに重なっていた。
任務を終えて帰ってきたのだろう。
翼と瑞葵が並んで眠っている。
カーテンの隙間から入り込む朝の光が、その横顔をかすかに照らしていた。
その光景を見た瞬間、少しだけ張りつめていたものが緩む。
ちゃんと帰ってきていた。
その事実に、胸の奥がわずかに安堵した。
無事だった。
それだけで、悪夢のあとに冷え切っていた感情がほんの少しだけ解けていく。
けれど、同時に別の感情がじわりと広がる。
夏月「……遠慮するくらいなら、近くにいてほしかったし」
小さく漏らした声は、誰にも届かない。
翼の隣で眠る瑞葵を見ると、胸の奥がざわついた。
任務だから仕方ない。
分かっている。
翼が瑞葵と行動を共にするのも、昨日の任務が二人任務だったからだ。
何もおかしなことはない。
分かっている。
分かっているのに、今こうして悪夢の直後にその光景を見せつけられると、素直に受け止められなかった。
どうして、そこにいるのが自分じゃないんだろう。
そんな子どもみたいな感情が浮かんでしまう自分に、余計に苛立つ。
情けない。
みっともない。
けれど、湧き上がってしまったものはどうしようもなかった。
翼の寝顔は穏やかで、瑞葵は少しだけ苦しそうに眉を寄せている。
寝不足なのだろう。
任務で無理をしたのかもしれない。
――そういうところまで、全部気にかけるのが翼なんだ。
その優しさが好きだ。
好きだからこそ、その優しさが自分以外に向けられているのを見るのが苦しい。
夏月はそれ以上部屋に入らず、静かに扉を閉めた。
そして大人しく自分の部屋へ戻り、布団へ潜り込む。
もう一度眠れる気はしなかった。
けれど、目を閉じるしかなかった。
朝は容赦なく来るし、学校にも行かなければいけない。
どれだけ心がぐちゃぐちゃでも、日常は待ってくれない。
夏月(あの夢を見たってことは……そろそろ来るんだろうな……)
胸の奥が冷たくなる。
毎年、この夢を見る時期は決まっている。
そして、その先にあるのも決まっていた。
――照子に戻ってしまう日が……。
翼 「なつきー。なーつーきー!」
夏月「うわっ!」
次に目を開けた時、すぐそばから翼の声が降ってきた。
驚いて顔を上げると、さっきまで空き部屋で寝ていたはずの翼が、わざわざ起こしに来てくれていた。
寝起きだというのに、その声にはいつもの明るさがある。
疲れていないわけじゃないだろうに、それを周りに見せないのが翼らしかった。
翼 「ほら、悠喜も起きろ」
悠喜「あー……はいはい」
遅くまで任務をこなして帰ってきたはずなのに、翼はもういつも通りだった。
寝起きのだるさなんて感じさせない声。
まるで悪夢も疲れも、この人には無縁なんじゃないかと思えるくらいに。
それが少し羨ましい。
同時に、そう見えるだけで翼にも翼なりの疲れやしんどさはあるのだろうと、分かってもいる。
だからこそ、自分だけが子どもみたいに取り乱しているようで惨めだった。
ーーー
今日の朝食は、昨日悠喜が「ご飯が食べたい」とリクエストしたため、和食になっていた。
炊き立てのご飯に味噌汁、焼き魚、卵焼き。
湯気の立つ食卓は、それだけ見ればごく普通の家庭の朝みたいだった。
柚木は、こういうリクエストには意外と応えてくれる。
できる範囲で、ちゃんと作ってくれる人だ。
組織の大人で、厳しいことも言うのに、こういうところだけ妙に生活感がある。
悠喜「柚木さん、ご飯おかわりお願いします。大盛りで!」
柚木「はいはい」
悠喜はまるで最初から二杯目が前提みたいな顔をして茶碗を差し出している。
朝からよくそんなに食べられるなと、夏月は半ば呆れながらも少しだけ感心した。
柚木「翼くんは?」
翼 「おれもお願いします」
翼もいつもと食欲は変わらない。
本当に昨日は任務をしてきたのだろうかと目を疑ってしまう。
疲れていれば多少は食欲が落ちそうなものなのに、そういうところまでいつも通りなのが翼だ。
その横で、瑞葵は箸を持ちながら明らかに動きが鈍い。
瑞葵「………」
お椀を持ったまま、今にも眠りそうになっている。
夏月(やっぱり任務には行ってきたのね……)
さっき空き部屋で寝ていた時点で分かってはいたけれど、こうして目の前で舟をこいでいるのを見ると、改めて現実味が増す。
昨日、翼と二人で任務に出て、夜遅くに帰ってきて、そのまま仮眠だけで朝を迎えたのだろう。
翼 「ほら、瑞葵。味噌汁こぼすぞ」
瑞葵「あ、ごめん……」
慌ててお椀を持ち直す瑞葵に、翼が苦笑する。
夏月 (まったく……)
自分でも驚くくらい自然に、そんな感想が浮かんでしまう。
心配しているのか、呆れているのか、苛立っているのか、自分でもよく分からない。
ただひとつ言えるのは、今日はどの感情もいつもより輪郭がはっきりしすぎているということだった。
夏月「ごちそうさまでした」
悠喜「おれもごちそうさまでした」
食事を終えて、夏月は洗面所へ向かった。
歯を磨きながら鏡の中の自分を見る。
目の下にうっすら残る疲れ。
表情を作らなければ、今にも全部崩れてしまいそうな顔。
悠喜「なあ、夏月」
夏月「うん?」
悠喜「お前、朝飯前も歯磨いてなかったか?」
夏月「別に何回磨いたっていいでしょ。 寝起きなんて口の中気持ち悪いし」
悠喜「翼の前で口くさいの気づかれたくないもんな」
夏月「あんた……。後でヘアアイロンでほっぺたぷにぷにしてあげる」
悠喜「悪かったって……そんな怒んなよ」
夏月「フン!」
わざとらしくそっぽを向く。
相変わらず悠喜はウザい。
でも、そのウザさは私を不快にするウザさじゃない。
ただの無神経とも違う。
こういうふうに軽口を叩いてくる時、悠喜は大抵、こっちの空気が重くなりすぎないようにしている。
それが分かるから、余計に強くは怒れない。
ーーー
部屋に戻ると、今度は髪のセットだ。
校則で派手なセットは禁止されているため、できることは限られている。
それでも夏月は、柚木から誕生日プレゼントとしてもらったヘアアイロンで毎日髪を整えている。
少しでもまとまりよく、少しでもかわいく見えるように。
鏡の前に立ち、毛先を整える。
前髪の流れを少し変えるだけでも印象は違う。
ほんの些細な違いだとしても、それを積み重ねるしかない。
クラスにはかわいい女子が何人もいる。
明るくて、話しやすくて、普通に学校生活を送っている女子たち。
そういう子たちを見ていると、自分はどこか無理をしているのだと嫌でも思い知らされる。
それでも。
翼を取られたくない。
理由なんて、それで十分だった。
翼 「夏月」
夏月「うん?」
声をかけられて振り向くと、瑞葵の介抱を終えた翼が立っていた。
少しだけ跳ねた寝癖が残っていて、その無防備さが妙に愛おしく見える。
夏月「どうしたの?」
翼 「今日は瑞葵も一緒に、駅まで登校した方がいいかなと思って。
瑞葵、寝不足で少し不安だからさ」
その言葉を聞いた瞬間、胸の中の何かが小さく沈む。
――翼は優しい。
そんなこと、知ってる。
誰かが弱っていたら放っておけない。
自分が疲れていても、周りを見るのをやめない。
そういう人だから好きになったのだし、そういう人だから信じている。
でも、今日だけは。
今日だけは、その優しさを自分に向けてほしかった。
夏月「分かった。じゃあ私は一人で行くから」
翼 「そうか。ごめん」
夏月「別に」
言ってから、自分の声が少し冷たかったことに気づく。
夏月(また……あんな言い方しちゃった)
夏月(本当は、一緒に行きたかっただけなのに……)
たったそれだけのことなのに、素直に言えない。
言えばいいだけなのに、そうしたら自分の中のわがままが露骨に見えてしまう気がして嫌だった。
前にあの夢を見た時、翼は優しく抱きしめてくれた。
あの時だけは、何も言わなくても分かってくれた。
普段の翼なら「任務もあるし」とやんわり断りそうなことでも、あの夢を見た後だけは許してくれる。
だから余計に期待してしまう。
期待して、勝手に傷ついて、勝手に不機嫌になる。
そんな自分が本当に嫌になる。
ふとスマホに目をやる。
画面を確認する指先に、無意識に力が入った。
夏月(大丈夫だ……まだ連絡は来てない)
それだけで、ほんの少しだけ息がしやすくなる。
でも、それは一時的な安心でしかないことも分かっていた。
来る時は来る。
逃げたくても逃げられない。
だからこそ、連絡が来ていない今この瞬間だけが、かろうじて平穏だった。
夏月「はぁぁ……」
夏月は身支度を整えて学校へ向かった。
ーーー
悠喜「今日は翼と一緒じゃないのか」
玄関でたまたま悠喜と出るタイミングが重なる。
夏月「別に、なんだっていいでしょ」
悠喜「はいはい」
悠喜はそれ以上深く追及しない。ただ、何も言わずに私の後をついてくる。
瑞葵が来る前は、三人で登校するのが日課だった。
瑞葵が加入した直後も、三人は瑞葵を受け入れようと四人で登校していた。
最初はぎこちなかったけれど、それでも“チーム”として並んで歩こうとしていた。
今は、その並び方が少しずつ変わりつつある。
それ自体は当然だ。
チームの形だって、ずっと同じではいられない。
でも、今日の夏月にはその変化がやけに鋭く刺さった。
悠喜「今日は一段と機嫌が悪いな」
夏月「べつに」
無意識に足が速くなる。
悠喜も何か察したのか、それ以降は何も言わず、ただ私の後をついてきた。
いや、ついてきているというより、一人にしないように同じ速度を保ってくれているのだと思う。
悠喜はムードメーカーでもあるが、空気を読むことも多い。
ふざけて見えて、こういう時の距離の取り方は案外うまい。
夏月(情けない……)
自分だけがいつまでも子どもみたいだ。
翼に甘えたい。
瑞葵に嫉妬する。
悠喜には気を遣わせる。
そんな自分がたまらなく嫌になる。
悠喜「それじゃあな」
気づいた時には駅に着いていた。
夏月は咄嗟に「ありがと」とだけ言って、別々の車両へ乗り込んだ。
ほんの短い一言。それだけでも、言わないよりはずっとましだと思いたかった。
ーーー
学校では、また別の仮面を被らないといけない。
拠点では夏月。
父の前では照子に引き戻されそうになる自分。
けれど学校では、福本夏月として、普通の女子高生の顔をしていなければならない。
「福本さん、おはよう」
夏月「おはよう」
学校で仲のいいクラスメイトは、みんな苗字で呼ぶ。
翼たちから「夏月」と呼ばれているだけあって、最初の頃はずいぶん違和感があった。
けれど、人は案外慣れる。
慣れてしまう。
慣れていくたびに、自分の中の何かが薄まっていくような気もするけれど、それでも慣れないとやっていけない。
クラスメイトたちは、夏月を“友達”として見ているのだろうか。
笑い合っている時はそれらしく見える。
けれど、ふとした瞬間に、自分はただ孤立しないためにうまく輪に入っているだけなんじゃないかと思ってしまうことがある。
向こうも同じで、表面上うまくやっているだけなんじゃないかと。
――それでも……。
孤立するよりは、ましだ。
そう思わなければ、この場所で普通の顔なんてできない。
ーーー
「羽吹!」
翼 「おっけ!」
体育の授業で、男子はバスケ、女子はバレーをしている。
翼は渡されたボールをスマートにドリブルで運び、そのまま迷いなくシュートを決めた。ボールがリングを通り抜ける音が、体育館に気持ちよく響く。
「やっぱり羽吹くん、かっこいい」
夏月(羽吹、か……ものすごい違和感)
翼も同様、学校では羽吹と呼ばれている。
当然だ。
学校ではそういう設定なのだから。
でも、夏月にとってあいつは翼でしかない。
羽吹と呼ばれているのを聞くたびに、同じ人間のはずなのに少しだけ遠い存在になったような気がする。
「羽吹くんかっこいいよね。運動もできて、勉強もできるし」
翼は学校でもかなりモテる。
けれど以前、翼本人が「学校のクラスメイトとは付き合わない。なんせ時間もないし」と言っていたから、夏月は女子たちの黄色い視線を聞いても以前ほどは動揺しなくなった。
それでも、まったく気にならないわけじゃない。
気にならないふりが上手くなっただけだ。
翼 「野畑!」
瑞葵「え?」
ドンッ、と鈍い音が体育館に響く。
昨日の任務に加え、昼休み後の体育まで重なって、瑞葵は眠気のピークに達していたらしい。
寝ぼけたままボールを取り損ね、勢いよく顔面にバスケットボールが当たった。
瑞葵「いったぁぁ!」
翼 「わりぃ! 大丈夫か!」
夏月(うわ……あれ痛そう……)
顔を押さえる瑞葵の周りが小さくざわつく。
「野畑くん、大丈夫?」
「ていうか、野畑くんってドジだけど母性本能くすぐるよね」
夏月「え?」
「そうそう。かわいい顔してるし、少しミステリアスだし」
夏月(変わった人もいるのね……)
思わずそんな感想が浮かぶ。
確かに瑞葵は中性的な顔立ちだし、放っておけない雰囲気もある。
けれど、自分の中ではまだ“守ってあげたい男子”みたいな評価に結びつかない。
むしろ、そういう見方をする人もいるのだということに軽く驚いてしまった。
それにしても、学校の中でも組織の中でも、瑞葵はどこか危なっかしい。
危なっかしいから、目が離せないのかもしれない。
そういう意味では、翼が放っておけないのも分かる。
分かってしまうのが、また少しだけ悔しい。
ーーー
最後のチャイムが鳴り終わり、それぞれが帰路へ向かう。
クラスメイトの中には、親が迎えに来る子もいる。
友達同士で寄り道の約束をしている子もいる。
そんな何気ない会話を横目で見ながら、夏月は鞄を肩にかけた。
「福本さん、また明日ね」
夏月「うん。また明日」
にこやかに返して、その場を離れる。
笑えていたかどうかは分からない。
けれど、少なくとも変に思われない程度の顔は作れていたはずだ。
夏月が校舎を出ようとした時、スマホに通知が来た。
胸がドンと重くなる感覚が走る。
怖い。
それでも、逃げることはできない。
画面を開くしか選択肢はなかった。
今は学校だ。翼に助けを求めることもできない。
もし例の連絡だったとしても、一人で受け止めるしかない。
夏月は意を決して、スマホの画面を開いた。
しかし、そこに表示されていたのは翼からのメッセージだった。
夏月 (なんだ……よかった)
一瞬だけ、全身から力が抜ける。
そのまま画面を開く。
けれど、メッセージの内容は夏月の期待を裏切るものだった。
翼『瑞葵がまだ寝ぼけてそうだから、帰りは瑞葵も一緒に帰ろうと思うんだけど、夏月はどうする?』
その文面を見つめたまま、しばらく指が止まる。
分かっている。
これがただのわがままで、嫉妬だということを。
翼は悪くない。
瑞葵だって悪くない。
寝不足の人間を一人で帰らせるより、一緒に帰る方がいいに決まっている。
そんなの、正しい判断だ。
それでも。
今日だけは、二人きりにしてほしかった。
ただそれだけの願いが、どうしても飲み込めなかった。
夏月は結局メッセージを返さず、そのまま学校を後にした。
夏月「はぁぁぁぁ……」
悠喜「でっかいため息だな」
後ろを振り向くと、悠喜がいた。
どうやら同じ電車に乗っていたらしい。
タイミングを合わせたのか偶然なのかは分からないけれど、気づけばまた近くにいる。
悠喜は何も言わずに、駅から自宅までの帰り道、私の後をついてきた。
私が落ち込んで何も話す気になれないのを悟ったのか、悠喜はいつもの軽口すらほとんど叩かない。
夏月(気を使ってくれて申し訳ないけど、今は助かる)
悠喜「なあ」
夏月「うん?」
悠喜「ん!」
振り向くと、悠喜は親指でファミレスの方を指していた。
夏月「何? お腹空いたの?」
夏月がやれやれとした口調で聞くと、悠喜は「違えよ」と不満そうに眉をひそめる。
悠喜「奢ってやっから、話聞いてやる!」
その言い方が、いかにも悠喜らしかった。
優しさをそのまま出すのは照れくさいのだろう。
だから、ちょっと偉そうな物言いになる。
けれど、その不器用さが今はありがたかった。
夏月「日本語間違ってない? 普通、私が奢るから悠喜に話聞いてもらうんじゃない?」
悠喜「いいから。なんか悩んでるんだろ? 翼じゃねえけど、話くらいは聞いてやる」
――悠喜は優しい。
おちゃらけて見えて、翼と同じくらいチームを大切にしている。
ふざけてごまかしながらでも、ちゃんと隣にいてくれる。
夏月「ありがとう……。でも……大丈夫……。私のわがままだから」
悠喜「お前の悪いところだな」
夏月「は?」
悠喜「瑞葵と違って、夏月は本当に困った時は俺らに相談するけど、俺らへの相談を最終手段みたいに思ってんじゃん」
夏月「どういうことよ」
悠喜「別に、わがままだっていいだろ。俺らまだ子どもだし」
悠喜「俺にまで気を使うことないだろ」
その言葉は思った以上に真っ直ぐで、夏月は一瞬、返す言葉を失った。
悠喜はそのまま夏月の前を通り過ぎる。
夏月(分かってるよ……悠喜が本気で心配してくれてることなんて……)
夏月(でも……自分のわがままが露骨に見えるのが嫌で嫌で仕方ないのよ……)
自分の中にある幼さや嫉妬や依存を、誰かに見せるのが怖い。
見せた瞬間、それが本当にみっともないものとして形になってしまいそうで嫌だった。
夏月「はぁぁ……」
ため息をついて歩き出そうとすると、少し前で悠喜が待っていてくれた。
置いていこうという選択肢は、悠喜の中にはないらしい。
夏月「全く……」
呆れたように呟きながらも、胸の奥が少しだけ温かくなる。
――悠喜は優しい。
悠喜「ほら、行くぞ。 家着くまででいいなら、夏月のくだらない嫉妬話、聞いてやるから」
夏月「は?」
夏月「今、なんて言ったの?」
悠喜 (やばっ)
悠喜「わりぃわりぃ、言い方が悪かったな!」
夏月は思いっきり悠喜のスネを蹴った。
悠喜「いっっっっててえええぇぇぇぇえええ!」
悠喜「スネはやめろよ!いてぇんだから!」
夏月「ほら、早く! 置いてくよ!」
少しだけ胸のつかえが取れた。
けれど、そのせいで逆に自分の惨めさまで見えてきて、また別の苛立ちがじわじわと湧いてくる。
今日の私は、本当に面倒くさい。
それでも。
こうしてくだらない言い合いができるだけ、まだ完全には沈んでいないのだと思えた。
次回予告
「怖いなら怖いでいい。だが、怖いまま止まるな」
任務明けの疲れを抱えたまま、稔との訓練に立つ瑞葵。
一方その頃、夏月の胸には翼への想いと、毎年この時期に訪れる悪夢の気配が広がっていた。
揺れる二人が向き合うものとは――。




