EP.3-0 冬川照子
皆さん、こんにちは!Time Bombです!
ついに、EP.3スタートです。
今回はEP.3の導入にあたるお話のため、あえて内容には触れずにおこうと思います。
また、EP.2-EXをまだお読みでない方は、先にそちらを読んでいただくことをおすすめしております。
活動報告でもお伝えしましたが、EP.3は今までで一番順調に書き上げることができた章であり、自分の中でもかなり思い入れの強い自信作となっております。
執筆中も「早く読者の皆さんに届けたい」と何度も思っていたので、こうしてEP.3として新たなスタートを切れることを、僕自身とても嬉しく思っています。
ぜひ、今後ともAbyss Trigger ーーSecret Xーーをよろしくお願いします。
この季節になると、必ず見る夢がある。
毎年、決まって同じ夢だ。
一枚の招待状を手に取り、オフィスビルが立ち並ぶ都会の一角にある小さな映画館へ入っていく。
昼なのか夜なのかも分からない。
外は人で賑わっているはずなのに、私の耳には何も届かない。
ただ、その映画館だけが最初から私を待っていたみたいに、静かに口を開けている。
「お待ちしておりました」
受付の女性が、私の持つ招待状を見て声をかける。
落ち着いた声だった。けれど、その静かさが逆に不気味で、背筋がじわりと冷える。
「他の皆さまはすでにお待ちですので、このままシアターへご案内します」
女性に促されるまま、私は階段を上がる。
足音だけがやけに響く。
逃げ出したいと思っても、なぜか足は止まらない。
ここに来たいわけじゃない。
むしろ、来たくない。
嫌で嫌で仕方がない。
それなのに、毎年こうしてここまで来てしまう自分が情けなくて、どうしようもなく苦しかった。
案内された先にあったのは、よくある何十人も入れる映画館のシアターではなかった。
数人しか入れない、プライベートシアターのような造りだ。
空気はひどく重く、座席のひとつひとつが、そこに座る人間の逃げ場まで奪っているように見えた。
「それでは」
女性は一礼すると、そのまま音もなくその場を離れていく。
シアターの中には、すでに三人がいた。
一人は五十代くらいの男性。
一人は三十代くらいの女性。
そしてもう一人は、十代の男性。
三人とも、互いに離れた席へ座っている。
同じ場所にいるのに、まるで最初から他人であることを強制されているような距離だった。
「照子、来たか。それでは始めよう」
五十代の男性がそう言った瞬間、スクリーンに映像が流れ始めた。
私は座らなかった。
座席には向かわず、シアターのいちばん後ろに立つ。
それが、せめてもの反抗だった。
こんなものを見たくない。
見せられたくない。
けれど、出ていくこともできないのなら、立っていることでしか抵抗できなかった。
映像に映し出されたのは、この世でいちばん見たくない光景だった。
トンネルの中――たぶん事故現場だろう。
一人の男性が、頭から血を流しながら子どもを抱きしめていた。
深く頭を下げ、子どもの視界を少しでも塞ごうとしているのが分かる。
腕の中にいるのは、幼稚園児くらいの男の子だ。
男の子は目の前の光景を見てしまったのだろう。
大粒の涙をぼろぼろと流していた。
無理もない。
その視線の先には、血を流して倒れている女性がいた。
出血の量からして、もう助からないのは目に見えて分かる。
たぶん、この三人は家族だ。
父親は、自分の安否よりも先に息子を守ろうとしたのだろう。
少なくとも、その腕の中にいる子どものことだけは守りたかったのだ。
母親のことだって守りたかったのかもしれない。
けれど、もう間に合わなかった。
何もかも。
映像の中では、二人の救急隊員が慌ただしく動いていた。
一人は必死に心臓マッサージを続けている。
もう一人は連絡を取り、救援を呼んでいた。
切羽詰まった現場の空気が、スクリーン越しでも伝わってくる。
「お腹の中の赤ちゃんは生きています!」
心臓マッサージをしている救急隊員の女性――藤田香織が、そう叫んだ。
藤田「今ならまだ間に合います。お父さん!」
父親は何も言わなかった。
状況があまりにも突然すぎて、理解が追いついていないのだろう。
目の前で妻が倒れ、息子は泣き続けている。
そのうえ、まだ生まれてもいない命の選択まで迫られている。
藤田「お父さん!」
藤田は諦めなかった。
もう一人の救急隊員と交代しながら、それでも心臓マッサージを続ける。
時間がないのだと、映像の中のすべてが物語っていた。
藤田「お父さん、お願いします。
どうか、許可をください。
赤ちゃんを、このまま取り出してもよろしいでしょうか?」
父親は、泣き止まない息子をぎゅっと抱きしめながら、震える声で言った。
父 「おろしてください……」
藤田「え?」
父 「子どもは……いらないです」
藤田「何を言ってるんですか」
父 「育てられる自信がないんです……」
父親の声は震えていた。
言葉にするたび、自分自身を追い詰めていくような声だった。
父 「私は今まで仕事一筋で、家事も子育ても全部、妻に任せてたんです」
父 「本当なら、第二子も作る予定はなかったんです。
ですが妻が、兄妹を作ってあげたい、私が育てるから大丈夫だと……背中を押してくれたから……」
そこで父親は、ようやく後ろを向いた。
血を流しながら倒れている妻の姿を、直視した。
今まで見ないようにしていた現実を、ようやく受け入れようとしているようだった。
父 「もう、妻はいないんです……だから、私には無理です」
その意見は、当然だと思った。
育てられる自信がないなら、生まれてきたって不幸になるに決まっている。
親から愛されず、孤独を味わうくらいなら、最初から生まれてこない方がいい。
不幸を知らないまま終われるなら、その方がまだましだ。
――それでも、あいつは諦めなかった。
藤田「お父さん、気持ちは分かります。
奥さんを亡くされて、理解が追いつかないのも分かります」
藤田「それでも、私たちは目の前に助かる命があるなら、助けなければいけないんです」
藤田は心臓マッサージを続けながら、必死に言葉を重ねる。
手も止めない。
呼吸も乱れている。
なのに、その声だけは折れない。
藤田「私たちの判断だけで、今ある命を救うことはできません。
お父さんからの許可がないと、お腹の中にいる赤ちゃんを救うことはできないんです」
――うざい……。
藤田「今、お腹の中にいる赤ちゃんには、奥さんの希望が詰まっているんです」
藤田「お父さんが命をかけて息子さんを守ったように、奥さんは自分の命と引き換えに赤ちゃんを守ったんです」
藤田「ここで赤ちゃんを手放したら、奥さんは……奥さんが命をかけて守った意味が、なくなってしまうんです」
――もう、これ以上は……やめて。
藤田「お願いします! 私たちに赤ちゃんを救わせてください!」
シアターの中に、藤田が心臓マッサージをする鈍い音だけが響く。
――お願い……やめて。
僅かな希望を抱いた。
もしかしたら、この年こそは違う結末になるんじゃないかと。
毎年裏切られているくせに、心のどこかでまだ期待してしまう自分がいる。
けれど、それは今回も叶わなかった。
父 「私の娘を……救って……ください……」
その言葉が落ちた瞬間、胸の奥に冷たいものが沈んでいく。
ある季節になると、毎年見る夢。
今年こそは、と願っていたのに……今回も同じ結末だった。
藤田「全力を尽くします」
その先は、見続けることができなかった。
だけど、シアターの出入り口には鍵がかかっていて、逃げることはできない。
ただ、いちばん後ろからスクリーンに背を向けることしかできなかった。
耳を塞いでも無駄だと分かっていた。
どうせ、この夢は私の逃げ道を全部知っている。
ふと、周りの表情が目に入る。
五十代の男性は、うんうんと頷きながら映像を見つめていた。
――よくそんな反応ができるわ……。
十代の男性の顔には、怒りと悲しみ、そして悔しさが浮かんでいた。
――きっと、それが私の使命なんだ……。
そして、三十代の女性は父とのやり取りの場面で涙をこぼしていた。慌ててハンカチを取り出し、その涙を拭う。
――あんたのせいなのに……。
込み上げてくる悔しさが、喉元までせり上がる。
それでも、私は必死に飲み込んだ。
ここで壊れてしまったら、この夢はきっとそれすら喜ぶ。
そして、ついにその瞬間が来る。
オギャー、オギャー――。
赤ちゃんの泣き声が、シアターの中いっぱいに響き渡った。
その音を聞いた瞬間、悔しさは消えた。
代わりに、全身から力が抜けていく感覚が走る。
立っていることすらできないほど、身体の芯がすうっと冷えていく。
それでも泣き声は止まない。
オギャー、オギャー――。
耳を塞いでも、頭の中にまで入り込んでくる。
――うるさい、うるさいうるさいうるさい!
それは祝福の声なんかじゃなかった。
雑音にしか聞こえなかった。
望まれていない誕生は、どうしてこんなにも人を気持ち悪くさせるんだろう。
どうして生まれたことを喜べる人間がいるんだろう。
映像は、赤ちゃんを取り出した場面で終わらなかった。
切り替わることもなく、その泣き顔と泣き声だけが延々と繰り返される。
まるで、それこそがすべてだとでも言いたげに。
――ようやく終わる……。
そう思った時には、もう体力の限界だった。
膝から力が抜け、その場に倒れ込む。
赤ちゃんの泣き声が、ずっと脳内に響いている。
耳ではなく、頭の奥で鳴り続けているみたいだった。
父 「照子……照子」
不意に声をかけられて、意識が戻る。
いつの間にか私はシートに座っていた。
立っていたはずなのに、どうして座っているのか分からない。
夢の中では、そういう不自然さが当たり前みたいな顔をして存在している。
藤田「冬川さん、本日は感動をありがとうございました」
父 「何を言ってるんですか。
あの感動は、私だけが作ったんじゃありません。
この場にいる全員で作ったものなんです」
――全員、か……。
父 「なあ、照子。 照子が生まれてきてくれた。
それだけで嬉しいよ」
その言葉が、胸の奥に刺さる。
――もう、私は照子じゃない……。私は夏月……。
福本夏月として生まれ変わって、組織の一員として生きている。頑張っている。頑張っているはずなのに――。
父と会うと、私は冬川照子に戻されてしまう。
夏月が今の私だ。
そう信じている。
そうでなければ、ここまでやってこられなかった。
けれど、分からなくなる。
私は冬川照子なのか、福本夏月なのか。
コードネームの夏月は、柚木がつけてくれた。
本名の「冬」と、「照子」が持つ太陽の意味。
コードネームは、そのすべてを反対から取ってくれた名前だった。
冬の反対の夏。照りつける陽ではなく、静かに夜を照らす月。
初めてその名前を聞いた時、私は救われた気がした。
冬川照子から生まれ変われるように――そんな願いを込めてくれたのだと、本気で思った。
嬉しかった。
やっと過去を脱ぎ捨てられるのだと、泣きそうになるくらい嬉しかった。
それなのに、この夢は毎年、私を元の名前へ引きずり戻してくる。
今、このシアターにいる三人は、全員が映像の中の登場人物だった。
三十代の女性は、あの時の救急隊員藤田香織。
五十代の男性は、父。
十代の男性は、兄。
そして私は――。
夏月(私、福本夏月……いや)
夏月(冬川照子は……死んだ女性から生まれてきた赤ちゃん)
夏月(お父さんとお兄ちゃんが、私の家族)
違う。
その言葉を、心の中で何度も打ち消す。
違う。違う。違う。
――家族なんかじゃない。
あれは、家族という皮を被っているだけだ。
次回予告
「……遠慮するくらいなら、近くにいてほしかったし」
赤ん坊の泣き声とともに目を覚ました夏月。
また、あの夢を見た。
胸の奥をざらつかせる不安と、少しずつ近づいてくる“その日”の気配。
隣にいてほしい時に、翼はいない。
帰ってきたはずの翼の隣には、瑞葵がいる。
分かっている。
任務だから仕方ない。
それでも、今日だけは素直になれなかった。
揺れる気持ちを隠したまま迎える朝。
学校でも、帰り道でも、夏月の胸に刺さるのは
自分でもどうしようもない“言えないわがまま”。




