EP.1-1 溺れる夢の、その先で
こんにちは、Time Bombです。
ずっと想像の中だけで描いてきた物語を、こうして小説として形に残せていることが、いまだに少し不思議な感覚です。
今回はEP.1-1。
初めての任務を終えた後の朝と、それぞれが抱える揺れを描いています。
瑞葵たちの小さな成長を、温かく見守っていただけたら嬉しいです。
波の音が、耳の奥にまとわりついていた。
風に揺られて穏やかに寄せる音ではない。
強風に煽られ、波が崖へと叩きつけられる――荒々しく、不快な音だ。
瑞葵(……また、この夢か)
何度も見ているはずなのに、この音にはまだ慣れない。
崖の上に立っているはずなのに、感覚はまるで海に沈んでいるようだった。
耳元で響くのは、波に呑まれる直前のような、重く濁った音。
いつものように、瑞葵は見知らぬ女性に抱きしめられていた。
顔は見えない。
けれど、その腕の力と、微かに伝わる体温から――悲しんでいることだけは分かる。
不思議と、心は落ち着いていた。
次の瞬間。
瑞葵は、荒れ狂う海の中に放り出されていた。
瑞葵「ハァ……ハァ……ハァ……」
息ができない。
体も、声も、思うように動かない。
必死に顔を上げるが、波が容赦なく口元に流れ込み、咳き込む。
やがて、身体はゆっくりと沈み始めた。
底の見えない、深い深い闇の中へ――。
恐怖が限界に達した、その瞬間。
瑞葵「……っ!」
瑞葵は、はっと息を吸い込み、目を覚ました。
瑞葵「……はぁ……」
もう何度も見ている夢だ。だからだろうか、瑞葵は大きく叫ぶこともなく、ただ一つ、ため息をつくだけだった。
慣れというのは、時に残酷だ。
この夢を初めて見た夜のことを、瑞葵は覚えている。
恐怖に耐えきれず叫び声を上げ、隣で寝ていた翼や悠喜を起こしてしまった。
「大丈夫か」
そう声をかけられても、答えることすらできなかった。
パジャマは汗でびっしょりと濡れ、息は荒れ、過呼吸に陥っていた。
異変に気づいた夏月が柚木と春翔を呼び、何とか落ち着かせてくれた――。
だが今では、過呼吸になることもない。
ため息一つで、再び眠りに落ちることさえできる。
なぜ、この夢を見るのか。
理由は、今も分からない。
――時刻は午前四時。
部屋は静まり返っていて、翼たちもまだ眠っている。
瑞葵はもう一度目を閉じたが、意識は冴えたままだった。
昨日のミッションが、頭から離れない。
任務は成功した。
それでも、瑞葵の中では「失敗」だった。
初めてのミッション。
足を引っ張らないようにと必死だったのに、結果はその逆だ。
怪我をしたことで、流れを乱した。
そう思うと、顔を合わせるのが怖くて、昨日は皆の前に出られなかった。
瑞葵「……はぁ」
翼「どうした? またあの夢か」
瑞葵「え? あ、ごめん。起こしちゃった?」
翼「いや。たまたま起きてただけだ」
隣で寝ていた翼はそう言って、瑞葵の顔を覗き込んだ。
心配そうな視線に、胸が痛む。
瑞葵「大丈夫。おやすみ」
それだけ言って、瑞葵は布団に潜り込んだ。
⸻
次に目を覚ましたのは、柚木の声だった。
柚木「そろそろ起きなさい」
ちなみに、翼・悠喜・夏月・瑞葵の四人は同じ部屋で寝ている。
チームワーク強化のため、らしい。
夏月は、せめて高校に入ったら別部屋にしてほしいと密かに願っていた。
悠喜「柚木さん……今、何時?」
柚木「九時半」
悠喜「マジ? もうちょっと寝かせてよ」
柚木「昨日、遅くまで頑張ったでしょ。今日は特別よ」
翼「普段は八時起床だからね」
柚木「朝食はできてるわ。起きたらすぐ食べて」
それだけ告げて、柚木は部屋を出て行った。
翼「ほら、夏月。起きて」
夏月「はーい……」
翼「瑞葵も」
瑞葵「うん」
翼は眠そうな夏月を起こし、瑞葵の背中をそっと撫でた。
早朝のことには触れない。
そのさりげなさが、ありがたかった。
瑞葵(本当に……同い年には見えないな)
瑞葵は、ぼんやりとそんなことを思った。
⸻
朝食は、パンに目玉焼きとベーコン。
スープ、サラダ、ヨーグルトまで揃っている。
今日は時間が遅いため、四人だけの食事だった。
悠喜「柚木さん、パンおかわり」
柚木「はい。他は?」
翼「じゃあ、お願いします」
柚木「夏月ちゃんと瑞葵くんは?」
夏月「今日はいいです」
瑞葵「僕もいいです……」
悠喜「俺、2枚!」
柚木「分かったわ」
無表情で淡々としている柚木。
昨日の任務について何を思っているのか、不安は消えなかった。
それでも、いつも通り朝食を用意し、悠喜の要望にも応える姿を見て、
瑞葵は少しだけ、肩の力を抜いた。
4人が朝食を食べ終える頃、柚木は淡々と今日の流れを説明した。
柚木「今日は10時50分にここを出るわ。午前中は勉強。
その後12時半に昼食。16時まで勉強して、最後はトレーニングよ」
「分かりました」と、四人は揃って頷く。
柚木「それと瑞葵くん。支度が終わったら私のところに来て。
昨日腫れたところ、もう一度見るから」
瑞葵「……分かりました」
支度を終え、瑞葵は柚木の部屋へ向かった。
他の三人は部屋で待機している。
昨日のことを、何と言われるのか。
考えれば考えるほど、足が重くなる。
だが、柚木が最初に口にしたのは――
柚木「晴翔くんが早めに処置してくれたおかげね。腫れも思ったほど酷くないわ」
瑞葵の頬に視線を向けながら、淡々と言う。
柚木「この程度なら、月曜までには引くでしょう」
瑞葵「……はい」
怒られると思っていた。
その分、拍子抜けするほど、優しく聞こえた。
気まずい沈黙が流れる中、柚木は手際よく手当を続けた。
柚木「昨日の任務、どうだった?」
瑞葵「え……」
柚木「初めての任務よ。緊張したでしょう」
瑞葵「……はい。すごく。
みんなの足も、引っ張ってしまいました」
柚木「そう……」
瑞葵「最初は……頭を確保できたから、上手くいったと思ったんです。
でも、僕が怪我をしたせいで……全部、台無しになった気がして」
柚木「確かに、私たちの組織では“成功”は最低条件。
被害を最小限に抑えるのも重要」
一拍置いて、柚木は続けた。
柚木「今回は先輩たちがサポートした上での任務だった。
本来なら、無傷で確保するのが理想だったわね」
瑞葵「……はい」
柚木「でも、それは瑞葵くん一人の責任じゃない」
瑞葵は、はっと顔を上げた。
柚木「初任務のメンバーがいるなら、残りの三人がより注意して動く必要があった。
その点では、チーム全体の課題でもあるわ」
瑞葵「……でも、僕が……」
柚木「こないだの映像、全て見返したわ」
淡々とした声。
柚木「正直に言うと――瑞葵くんの行動にも、問題はあった」
瑞葵「……っ」
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
言い返せない。
頭が真っ白になり、身体がふらつく感覚がした。
柚木「瑞葵くん」
瑞葵「……はい」
柚木「敵が反撃した時、なぜ真っ先に狙われたと思う?」
瑞葵「それは……」
少しの沈黙。
瑞葵は、絞り出すように答えた。
瑞葵「……僕が、弱そうだったからです」
柚木「じゃあ、どうして弱そうだと判断されたのかしら?」
問いが、容赦なく続く。
瑞葵「……動けていなかったから……」
柚木「正解」
柚木は即答した。
柚木「あの時の瑞葵くんは、目の前の相手に怯えていた。
それが映像越しでも分かるくらい」
柚木「実際の現場なら、なおさらよ。
“狙ってください”と言っているようなものね」
瑞葵「……はい」
柚木「経験が浅いのは仕方ない。
でも、だからこそ――」
柚木の視線が、まっすぐ瑞葵を射抜く。
柚木「瑞葵くんは、自分の身は自分で守ることを最優先にしなさい」
瑞葵「……はい」
柚木「このまま改善が見られなければ、
組織からの脱退を命じられる可能性もあるわ」
その言葉が、冷たく胸に突き刺さった。
背中に、じっとりと汗が滲む。
柚木「……前の生活に戻りたい?」
瑞葵「……っ、いいえ!」
反射的に、声が出た。
瑞葵「戻りたくありません」
柚木「そう」
一瞬、柚木の表情が柔らいだ。
柚木「それなら良かった。
私も……瑞葵くんには、ここにいてほしいと思っているから」
その言葉に、瑞葵は思わず前のめりになる。
瑞葵「僕は……三人についていくのが精一杯なんです。
何をすればいいのかも分からなくて……」
瑞葵「必死に食らいついても、差が広がるばかりで……」
抑えていた本音が、溢れ出した。
柚木「焦る気持ちは分かるわ」
柚木「でも、三人は瑞葵くんが加入する前から、
昨日のような任務を何度も経験している」
柚木「同じペースを求めるのは、酷よ」
瑞葵「……僕は……全体的に、ダメでした……」
柚木「一気に変わろうとしなくていい」
柚木は少し考えるように視線を落とし、やがて微笑んだ。
柚木「まずは――怯えないことから始めましょう」
瑞葵「……怯えない?」
柚木「本当に怖くなくなる必要はないの」
柚木「翼くんみたいに冷静な“フリ”。
悠喜くんみたいに自信がある“フリ”」
柚木「それだけで、相手の見方は変わる」
瑞葵「……フリ、ですか」
柚木「ええ。
昨日狙われたのは、怯えを悟られたから」
柚木「隙を一つ減らすだけで、戦況は変わる」
瑞葵「……分かりました」
瑞葵はそう答えながら、自分の声が少し震えていることに気づいた。
柚木「分からない時は、目の前のできることに集中しなさい」
柚木「それでいいのよ」
瑞葵「……はい」
それは柚木に向けた返事であると同時に、自分自身へ言い聞かせるための言葉だった。
柚木「じゃあ、そろそろ出ましょう。みんなを呼んできて」
瑞葵「……はい」
小さく、しかし確かに頷いた。
⸻
部屋を出た瞬間、瑞葵は大きく息を吐いた。
怒られた。
突きつけられた。
それでも――
(……見捨てられてはいない)
胸の奥に、そんな感覚が残っていた。
だが、あの言葉だけは消えない。
――組織からの脱退。
(ここを離れたら……お母さんに、会えなくなる)
瑞葵は、拳を強く握りしめた。
何があっても、ここに残る。
しがみついてでも、生き残る。
そう、心に決めた。
次回予告
任務を終えた翌朝。
何気ない雑談の中で、少しずつ浮かび上がる違和感。
受け入れられていないのは、誰なのか。
そして、その沈黙に気づいているのは——。




