セラフィナ・ロゥ・ヴァレンティア
南方帝国の外交官が王国に赴く、と聞けば――
大半の者は、豪奢な衣を翻す老練の政治家を思い浮かべるだろう。
だが神統院が送り込むのは、そのどれとも異なる。
学院への道を静かに歩く女性の姿がある。
柔らかい色合いの礼装をまとい、黒檀の髪を上品にまとめ、微笑みは春風のように穏やか。
しかし、その瞳だけは異質だった。
澄んでいるのに、温度がない。
微笑んでいるのに、光が宿っていない。
見つめられた瞬間、誰もが直感する。
――この女は笑っていない。
肉体だけが笑う仕組みに従っているだけだ。
彼女の名は、
セラフィナ・ロゥ・ヴァレンティア。
南方帝国・神統院所属。
外交官であり、神意干渉術師であり――帝国が誇る無音の切っ先。
国際会議では花のように微笑み、
宗教儀式では聖職者のように慎ましく頭を垂れ、
しかし本質はただひとつ。
「帝国利益以外、すべて不要」
その理念のみで動く冷徹な機構。
帝国では、畏敬と畏怖を込めてこう呼ばれていた。
――“笑う狂風(Smiling Tempest)”。
触れた者の均衡を、笑顔のまま持ち去る嵐。
王国へ向かう途中、彼女は小さくメモをめくる。
・王国学院での裁き逸脱事件
・王太子の不祥事
・宗教勢力の暴走
・“レティシア・アーデルハイト”という名
セラフィナは、ページを閉じると淡々と呟いた。
「……十分ね。
揺れている王国に、帝国は支えの手を差し伸べる。
――見返りは、揺れの中心そのもの」
風が吹き抜ける。
が、彼女の髪は揺れない。むしろ風のほうが避けたようだった。
彼女の任務は単純で、残酷だ。
1.王国の不安定化を、制度と宗教の両面から精密に把握する。
2.“神意の揺れ”の中心人物――レティシアの価値を確定する。
3.必要とあらば、帝国へ招聘する。
(名目は保護。実態は政治的拘束。)
それは敵対行為ではない。
しかし友好でもない。
帝国流の“支援”とは――
支配される側が気づかぬうちに膝をつく形で進むものだ。
セラフィナは学院へ向けて歩みながら、
春風のように柔らかい微笑みを浮かべた。
瞳は、完全に無風のまま。
その裏側に、王国と少女を飲み込む計算だけを宿して。
「レティシア・アーデルハイト。
――あなたが揺れの中心、なのね?」
囁きは甘く、しかし凍えるほど冷たい。
その声こそが、王国学院に吹き込む第二の異国の風だった。




