それでも前に進むしかない
夕陽が校舎の壁を金色に染め、長く伸びた影が石畳の上で絡み合う。
その陰の中を歩きながら、レティシア――いや、健次郎は胸の内のざわめきを必死に押さえ込んでいた。
四方八方から押し寄せる評価、誤解、期待、畏れ。
そのどれもが“他人の描くレティシア像”であって、
自分自身とはまったく噛み合っていない。
だが、だからといって立ち止まることはできない。
後ろに下がれば、もっと大きな意味付けが勝手に追加されるだけだ。
この世界は、彼の行動を「空白のまま」にしておくほど、やさしくない。
◆健次郎の、小さくて必死な覚悟
校舎の壁際で足を止め、健次郎は深く息を吸い込んだ。
冷たい石の匂いと、夕暮れ特有の柔らかな風が胸に流れ込む。
(……落ち着け。
俺はただ――この世界で静かに暮らしたいだけだ)
どれだけ騒がれようが、どれだけ持ち上げられようが、
本当に求めているのはそれだけだ。
だが。
だが――。
(……でも、この空気……この因果のねじれ方……
世界が、俺を“中心”に据えようとしてるなら……)
夕日の色が濃くなり、影がさらに伸びる。
世界そのものが、ひとつの大きな舞台装置となって、
彼女――レティシアを舞台中央へ押し出しているように見えた。
逃げようとすれば、脚本が書き換わる。
否定すれば、役割が深まる。
関わらなければ、神秘性が増す。
“逃げる”という選択肢が、因果の構造上そもそも存在しない。
(……逃げても無駄だ……)
喉の奥がぎゅっと締め付けられる。
けれど、その苦しさの奥に、確かに小さな覚悟が灯る。
(だったら――せめて、流されないようにしよう。
飲み込まれる前に、自分の足で立ってやる……)
健次郎は胸に沈んだ重さを抱えたまま、ゆっくりと歩き出した。
夕日に照らされたその背を、学院という巨大な物語装置が
静かに追いかけてくる。
世界は、彼女を中心へと引き寄せ続ける。
その歩みは、もはや誰にも止められない。




