すれ違う“健次郎の常識”と“この世界の因果”
夕暮れの光が学院の石床を淡く照らし、
レティシア(健次郎)はそこを歩きながら、胸の奥が重く沈むのを感じていた。
自分が歩くたびに、周囲の視線が揺れる。
それだけならまだしも、その視線に宿る“意味”が、
どれもこれも健次郎の常識とは噛み合わない。
◆すれ違っていく“二つの常識”
健次郎にとって、この世界は
「乙女ゲームの延長線上にある、“一応、理屈が通るはずの世界”」
という認識だ。
行動すれば、結果がある。
発言すれば、解釈がある。
それは分かる。普通だ。
だが――
この学院、この世界は、もっと根本が別物だった。
わずかな仕草、ちょっとした言い回し、
軽い返答、ふとした沈黙。
そのすべてが、
“物語構造の都合で回収される”のだ。
文字通り、世界側が因果を組み替えて意味付けしてくる。
◆小さな行動が“象徴化”されてしまう
レティシア(健次郎)が困ってため息をつけば――
「深い思索に沈んでおられる」
と学院派は受け取る。
ただ人混みが苦手で少し距離を置けば――
「その清廉さが神に愛されているのだ」
と聖務院派が囁く。
お礼を丁寧に言えば――
「気品の滲む物腰だ。将来有望だ」
と貴族派が双眼鏡のように観察してくる。
何もしていないときでさえ――
政治派は
「何もしていないのが逆に不自然だ」
と記録を残し始める。
すべて、健次郎の意図とはまったく関係がない。
◆“自分”が遠ざかっていく恐怖
レティシア(健次郎)は胸に手を当てて歩を止める。
(……俺はいったい、
この世界で“何者として扱われてる”んだ……?)
レティシアでもない。
悪役令嬢でもない。
ましてや聖女でも改革者でもない。
ただただ、
「トラブルを避けたい」
「普通に生きたい」
「静かにしていたい」
――それだけだったはずだ。
なのに、世界はその“普通”すら素材にして、
新しい意味や称号を勝手に積み上げていく。
まるで、“中心に立つ者”として配置しようとするかのように。
◆それでも健次郎は願う
心の奥で、レティシアの思考は必死にこぼれる。
(頼む……
俺はただ、平和に暮らしたいだけなんだ……
目立ちたくてやってるわけじゃないんだよ……)
しかしその願いすら、
周囲から見れば“謙虚さゆえの奥ゆかしさ”という評価に変換されてしまう。
望まぬまま、物語が形を変えていく。
そして気づけば、中心に立たされているのは――
他でもない、健次郎自身だった。
世界の因果が、
この“異質な存在”を物語の軸に据えようと
静かに蠢き始めていた。




