22 終わりの始まり⑤
「せ……隻眼……」
目の前に現れた隻眼のクリムゾンベアを見て、わたしは言葉を失った。
さっき見ていた夢に出てきたクリムゾンベアが、なぜ現実にいるの?
信じられない出来事に、わたしは唖然とする。
その硬そうな毛色も、その大きな体躯も、その潰れた左眼も全く同じ。
わたしが夢の中で真っ二つに斬り倒したクリムゾンベアが、目の前に……現実に存在しているのだ。
恐怖と絶望ですでに意気阻喪であるのに、理解不能な出来事がわたしの気力をさらに奪っていった。
あ……あれは夢だから斬り倒せたのに……。
現実では……無理だよ。
弱気が一気に体を支配し、剣を握る自分の手が大きく震えていることに気づく。
「グルル……」
「そうですね。あなたもやられてばかりでは悔しいですよねぇ。」
隻眼のクリムゾンベアが小さく唸り、ミッドウェルがそれに応えるように笑った。
「仕方ないですねぇ。ここはあなたに譲るとしましょうか。」
ミッドウェルが肩を竦めてそう言うと、隻眼のクリムゾンベアが鼻を鳴らす。
その様子は、まるで喜んでいるようにも見えた。
地面を鳴らし、ゆっくりと近づいてくる隻眼の魔物に対して、わたしの体はまったく動こうとはしない。
恐怖と絶望に屈して、硬直している……いや、もはや抗う気力も湧いてはこなかった。
気づけば、わたしの目の前で隻眼が立ち止まっていた。
その体躯を目で追うと、改めて体の大きさが理解できる。
丸太のような腕と、ナイフのような爪。
わたしの頭など丸呑みにできそうなほど大きな口。
そして、左眼の生々しい傷跡……。
それに加えて、隻眼から感じられる強烈な熱気が、わたしに生を実感させる。
あぁ……わたしは死ぬんだ……。
そう思わせられるほどに。
「が……!」
突然、体の左側に強烈な衝撃を受け、わたしは数メートルほど吹き飛ばされた。
い……痛い……。
……何が……起きたの……?
横たわったまま、痛みの発生源を右手で触れてみると、左腕が痺れたように痛かった。
それほどまでに強烈な一撃を左側から受けたんだと、そこでようやく気づかされる。
だが、わたしには怒りも悔しさも、勇気さえも残っていなかった。
あぁ……これで終わるんだ……な……
そんな思いが頭に溢れていくだけ。
家族、仲間、そして師匠を失った悲しみと絶望、そして、自分のせいでそうなってしまったという自責の念。
それだけが体の中に溢れ、わたしは静かに涙し、目を閉じた。
ーーーおい、パルト!諦めるのか?
瞼の裏に、父の顔が浮かぶ。
ーーー姉ちゃん!それでいいの?
今度は弟のポルン。
ーーーお姉ちゃんは、ほんとお人好しよね。
妹のピルニが呆れたように笑う。
ーーーパルトは優しいものね。
母の優しい笑顔……。
そして……
ーーーお主はわしの誉れじゃ。
師匠のしわくちゃな笑顔。
それを見た瞬間、胸の奥で何かが生まれた気がした。
気がつくと、右手に剣を握っている。
いや……ずっと握り締めていたという表現が正しいかもしれない。
師匠から譲り受けた蒼き剣。
それが手元から離れることなく、これまでずっと握られていたのだ。
これだけ蹴られたり殴られたりしたのに……わたしは離さなかったんだな……。
そう思うと、再び師匠の笑顔が浮かんできた。
笑いながら、何かを言っている師匠。
よく見れば、それはいつも聞かされていたセリフだった。
ーーー諦めちゃ……ならんぞ。
ーーーどんな時も……どんな場面でも、諦めれば全て無駄になる。
ーーーしぶとく喰らいつけ。
ーーー生きることを恐れるな。
ーーー本当に強い者は、絶対に諦めない。
ーーー真に強き者とは、心の強さで決まる。
ーーーわしはそう思っとるよ。
鍛錬の度に師匠がわたしにくれた言葉。
諦めない心を……強い心を持つ。
そうだ……そう教わったんだった……。
胸の奥の何かが、少し膨らんだ気がした。
そうだよ……。
なんで……なんでわたしが諦めなくちゃならないの……?
家族を……仲間を……師匠までも殺されて、ただ蹂躙されるだけ?
そんなことで、わたしは本当にいいの?
本当に許せるの……?
膨らんだ何かぎ、胸の中で熱を帯びる。
こいつらのやりたい放題にはさせたくない……
好き勝手されたくない……
せめて……せめてあの男に……一撃を……
あいつの顔を歪ませてやらないと……
そうでないと……わたしは……
わたしは納得できない……!!
わたしは握っていた剣を強く握り締めた。
そして、地面に突き立てると、それを支えに立ち上がる。
ゆっくりと……ゆっくりとだが、立ち上がって隻眼のクリムゾンベアとその後ろで笑う男を睨みつけた。
「おぉ……もしかして、これが……そういうことですか。やはり……素晴らしい!」
ミッドウェルの言葉は相変わらず意味不明だ。
奴は含蓄ある物言いで感嘆しているが、対照的に隻眼は明らかな苛立ちを見せている。
「油断していると、今度は左目だけじゃ済まないかもしれませんねぇ。」
ミッドウェルのその言葉は、隻眼のプライドに触ったらしい。
奴はやる気満々の様子で鼻息を荒くし、こちらに一歩踏み出した。
周りの魔物たちも、その様子を楽しげに見ている。
これから行われるのは、ウサギの虐殺ショーとでも言いたいんだろう。
だが、そんなことには絶対にならない……。
いつしか、わたしの心には黒い感情が生まれていた。
目の前の隻眼が……憎かった……。
家族と師匠の仇であるあの男が……憎かった……。
周りの魔物だって……殺してやりたいほど……憎い……。
わたしの心は、いつしか憎悪と殺意に支配されていた。
それを察知したように、隻眼も大きく唸った。
こちらの殺意を感じ取り、威嚇しているのだろう。
だが、その威嚇に対して、恐怖は感じなかった。
いつしか心も体も軽くなっている。
心は黒い感情に支配されているのに、清々しさすら感じられる。
そのせいもあってか、目の前まで来た隻眼に対して、無意識に言葉が漏れた。
「おい、隻眼。……殺してやる。」
その言葉は、命の争奪戦の開始の合図となった。
「グラァァァァ!!」
大木のような腕が、わたしがいた場所を一瞬で削った。
その様子を空中から見下ろし、移動する最中に拾い上げた鞘を腰に佩く。
そして、握り締めていた剣を一度鞘に収めた。
「なんと……風術による足場の構築ですか!」
ミッドウェルが驚喜しているが、それは無視をした。
風術による足場の構築を土壇場で思いつき、実行したのは確かだ。
だが、今集中すべきは下から見上げているこの隻眼野郎だ。
想定外の事態に苛立ちを隠せず、奴は腕を一振りした。
すると、その腕から数本の風の刃が放たれる。
エアスラッシュ(風刃)。
風術の中では基本的な技で、数本の風の刃を相手に向けて放つ攻撃系スキルだ。
刃というだけあって殺傷力は高く、いくら基本スキルとはいえ、当たれば無事では済まない。
それらの刃がわたしがいた場所まで一瞬で届く。
……が、すでにわたしはそこにはいない。
(……遅い。)
それが隻眼のクリムゾンベアに感じた印象。
そして、状況は多少違えど、場の流れがあの夢と同じであるという認識。
わたしは、奴の背後でそんなことを考えていた。
隻眼が後ろにいるわたしに気づいて振り返る。
そのタイミングで、わたしは奴との距離を一気に詰める。
「グガァァァァ!!」
突然、目の前に現れたわたしに、奴は焦りながらも爪による近接攻撃を暇なく繰り出してきた。
本能的な動きは、異常な反応速度を生む。
経験と本能だけを駆使した動きは、本来ならば厄介極まりない。
すでに、その凶爪もわたしの顔の目の前に迫っている。
それでも、わたしには余裕があった。
太く鋭い爪を紙一重でかわし、薄皮一枚を生贄に隻眼の懐に潜り込んだ。
「殺すといったろ……。」
捨て台詞と共に、腰に帯びた剣を強く握り締め、素早く抜刀する。
わたしは、肉と骨を断つ感触を覚えた。
「な……なんともはや……」
胴体を真っ二つにされ、崩れ落ちる隻眼のクリムゾンベア。
その一連の様子を見て、ミッドウェルは驚嘆している。
だが、そうやって余裕でいられるのも今のうちだ。
剣に付着した血を振り抜き、わたしはその視線を他の魔物たちへと向けた。
そして……
「駿影……!」
風術による足場を得たわたしの駿影は、次のステップへと昇華していた。
元よりそこにある木や壁を足場にするのではなく、自分の意図する場所に足場を構築して駆け回るその動きは、これまでとは比べ物にならないほど予測不能。
魔物たちにも先ほどまでの笑みはなく、わたしの動きに驚愕しているようだ。
だが、そんなことはどうでもいい……。
わたしは静かに着地すると、ゆっくりと剣を鞘へ納め直した。
同時に、無数にいた魔物たち全てが斬り伏せられ、その場に崩れ落ちる。
「す……素晴らしい!」
相変わらず、何かに感動しているミッドウェルを見ていると反吐が出る。
家族や仲間、師匠までも殺しておいて、自分の世界に浸りやがって……。
そんな感情が湧き上がり、わたしは再び構えた。
今度こそ、奴を殺す。
まずは一太刀……浴びせてやる。
その後、手足をもぎ、喉を穿つ。
絶対に……絶対に……
「さてさて……今宵もクライマックスといったところでしょうか。その力、見せてもらいましょう!」
歓喜の笑みを浮かべ、再びミッドウェルが長剣を構えた。
月光を浴びた紫の刀身が、鈍い光を放つ。
わたしもゆっくりと抜刀する。
蒼き刀身に月明かりが滑った。
「いざ……」
「殺す……」
ミッドウェルへの怒りを胸に抱いたまま、わたしは全身の魔力を一気に解放させた。
ご愛読ありがとうございます!
隻眼の熊の魔物、そして他の魔物たちも瞬殺!?
パルトがついに怒った瞬間です!
あとはミッドウェルとの決着か!




