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19 終わりの始まり②

突然、現れた謎の男。


しかも、魔人族。


わたしはこの事態に焦りを隠せずにいた。




魔人族のことは、世間でもあまりよく知られていない。


父から聞かされていたこともあって、わたしはすぐにわかったが、そもそも彼らは辺境の地で文明を築いているらしく、他種族との交流をほとんど持たない。


それ故に、彼らの情報は皆無に等しかった。


そうした実態の根幹にあるのが、あの神話である。


神話の中で、"闇神"の加護を得ていたとされている彼らは、この世界のあらゆる種族と対立していたと云われている。


そして、世界中に悪意をばら撒き、魔王すら生み出して、世界を混沌に陥れたとも。


それが事実であるかどうかはわからないが、そんな話が世界中で普及しているのだから、彼らにとってこの世界は、かなり住みづらいものであるに違いない。


だから、魔人族は他の種族の手の及ばない辺境に住んでいるのだろう。




とはいえ、今はそんなことはどうでもいいことだ。


目の前の得体の知れない男に対し、わたしはどう動くべきなのか。


この状況を、どうやって師匠に知らせるべきか悩んでいた。





「ふむ……改めて自己紹介したんですが、反応が薄いですねぇ。」



男は突然ポツリと呟いて、あごに手を添えた。


それが何を意味しているのかは、わたしにはわからない。


だが、男はぶつぶつと言葉をこぼしながら、1人で何かの考察を始めたのである。



「記憶の喪失……確かにあの谷から落ちたのだから、なくはない話か……。それとも、心的外傷による記憶障害の線も考慮すべきかな?いや……そもそも、あの谷に落ちて生きていたという奇跡から勘案すべきか……」



言っている内容は、まったく意味がわからない。


だが、これはチャンスなのではないかとわたしは考えた。


意味のわからないことを呟いては、すぐにそれを否定して新たな考察を始める男の様子が、完全に自分の世界に入り込んでいるように見えたからだ。



今なら気づかれないかも知れない……。


この隙に師匠を呼んでしまえば……



だが、わたしがそう考えて動こうとした瞬間、男の意識が突然こちらに向いた。


まるで、ずっと監視していたかのように。



「ふむ……。この家には他にも誰かいるのかな?」


「え……?」



あごに手を置いたままの男と視線が合った。


とても居心地の悪い視線……男は笑っている。


だが、わたしはなんとか冷静さを装った。



「……いえ。誰もいませんけど……。」


「ふむ……。でも君は今、あそこを見たじゃないか。」



男の指がある部屋へと向き、わたしは愕然とした。


なぜなら、そこは師匠の寝室だったからだ。



チラリとしか見てないのに……!



月明かりはあれど、まだ深夜。


辺りは真っ暗で、よほど目が良くても眼球の動きを正確に把握するなど至難の業。


それなのに、こいつはわたしの眼の動きを捉えたのだ。


あの一瞬で……。



わたしは男に対する警戒度をさらに上げた。



「おっと……警戒されちゃったねぇ。でも、安心していいよ。普通に考えれば、ここには他に人がいることはわかるからねぇ。例えば、あそこにぶら下がっているパンツ……」



は……?パン……ツ……?



突拍子もない単語が、男の口から発せられる。


別の意味で、わたしの思考は停止した。


男が告げた単語の意味が、まったく理解できなかったからだ。


だが、男が指差した2階の窓に無意識に目を向ければ、確かに男物のパンツがハタハタと風に揺れている。



……あそこはわたしの部屋の真横の……あんなパンツ、あそこにあったっけ?



そんな疑問を男の言葉が掻き消した。




「あれは男物のパンツだよねぇ。ということは、ここには男がいることになる。君は女の子だし……さすがに君のじゃないだろう?」



どう答えるべきかと悩んでしまう。


わたしのものじゃないことだけは間違いないのだが……。



わたしも魔人族の男も、その意識は完全にパンツに向けられていた。


水色と白のストライプ柄のそれが、完全にこの場を支配しているような……そんな感覚。


そんな異様な雰囲気の中で、次の瞬間、魔人族の男が突然後方へと飛び退いた。



「おっと………これはなかなか面白い。」



右胸から腰あたりまで斬られた服。


その一部を撫でながら、男は興味深げに顔を上げる。


気づけば、男がいた場所にはいつのまにか師匠の姿があった。



よかった……!来てくれたんだ!



わたしの心は、安心感で満たされていく。


そんなことはつゆ知らず、師匠は剣の切先を男に向けると、ゆっくりと立ち上がった。



「こんな夜更けに……不躾な男は嫌われるのぉ。」


「これはこれは……失礼致しました。しかし、客人に突然斬りかかるあなたの方も、かなりのモノだと思いますがねぇ。」


「抜かせ……。そんな殺気プンプンの奴が、客人なわけなかろう。」


「ククク……おわかりでしたか。」



一本取られたとばかりに男は笑う。


その反面、師匠は表情を一切崩しはしない。



あんなに真剣な師匠は……初めてだ。


穴持たずのクリムゾンベアと出会った時も、ここまで真剣な顔はしていなかったのに。



そのギャップが、わたしの心に不安の種を蒔いた。



「時に……御老人。その剣を納めていただくことは……」


「無理じゃな。」


「そうですか……。お見受けするに、かなりの境地に達していらっしゃるようですが……残念です。」



魔人族の男は嘆くように眉を寄せると、「とても残念だ。」と繰り返しながら、左の手のひらからゆっくりと剣を引き出した。


手から剣を引き出す様子にはとても驚いたが、それ以上に紫色に光る長い剣身の妖艶さに目を見張る。


剣のガードと呼ばれる鍔の部分は、骸骨と骨のオブジェで装飾がなされており、それが禍々しさを一層際立たせる。


それにかなり長い。


全体の長さは、男の背丈と同じくらいあるのではないだろうか。


男はそれを軽々と右手で持ち、顔の前に剣を立て、左手を腰の後ろに置く。



「魔人族……名をアドガルム=ミッドウェル。」



まるで、騎士を思わせる口上。


驚きとともに、少し感心したような表情を浮かべた師匠は、腰を落としたまま静かに剣を杖へと納め、腰の位置へと杖を置く。



「わしの名はダビド。人間族のダビドじゃ。」



ミッドウェルと名乗った魔人族の男は、師匠の名乗りに敬意を払うような表情を浮かべると、半身の状態で剣を片手で構えた。


そこから先は、2人とも何も喋らなくなった。


ただ、殺気同士がぶつかり合う緊張感が、その場に溢れ返っていることだけはわかる。


互いの眼光はまるで獲物を狙う鷹のように鋭く、わたしなど睨まれただけで気力を奪われてしまうだろう。


そんな吐き気を催すほどの重圧が、目の前の2人から発せられている。


ほんの数秒の睨み合いだったが、わたしには途方もないほど長い時間に感じられた。




その静寂を切り裂いたのは、ミッドウェルだった。



「やはりここは、若輩者から参りましょう。」



彼はそう言うと、その姿を一瞬で消す。



は……速い!



わたしがそう思った時には、金属同士がぶつかり合う高く鋭い音が鳴った。


抜刀とともに、師匠がミッドウェルの剣を撃ち返した音だ。



「素晴らしいスピード!!居合術……ですか!ならば、これはどうでしょう!」



撃ち返された勢いを利用してバク宙したかと思えば、着地と同時に地面スレスレの低姿勢で師匠との間合いを一気に詰め、ミッドウェルが下から上への逆袈裟斬りを放つ。


長い剣から放たれた剣撃は、師匠の左下から右上に向かって空を切った。



「……!これもかわしますか!」



師匠は、すでにミッドウェル剣の間合いを読んでいたらしい。


一歩下がった位置で、その剣撃を薄皮一枚でかわしていた。


それを見たミッドウェルは、驚きにも喜びにも似た表情を浮かべる。


と同時に、今度は師匠がミッドウェルに向けて真っ向斬りを放った。


本気の一閃であるとわかる剣気が、師匠自身から放たれる。


そして、大きな鈍い音とともに地面の一部が沈み、そこを中心に無数のひび割れが駆け抜けた。


その剣速と衝撃は、わたしには計り知れないほどの威力。


だが、そこにミッドウェルの姿はない。


どこへ行ったのかとわたしが辺りを見回していると、少し離れた位置から拍手が聞こえてきた。



「素晴らしい!実に素晴らしいですねぇ!ここまでの強者に会えたのはいつぶりでしょうか……。」



地面に剣を立て、手を叩きながらそう笑うミッドウェルに対して、師匠は無言のままゆっくりと振り向いた。



「本当に惜しいですよ。あなたのような強い方を殺してしまうのは。」


「…………まるで、すでに勝ったような物言いじゃな。」



師匠が鋭い視線を向けるが、ミッドウェルの表情は相変わらずだ。



「だって、そうでしょう?すでにあなたも気づいているのではないですか?自分ではわたしには勝てない……と。」



ミッドウェルは両手を大きく広げ、大袈裟にそう主張する。


それに対して、師匠は何も言わなかったが、わたしはその言葉に苛立ちを覚えていた。



師匠が負けるはずなんかない!


わたしの師匠は最強なんだから!



そんな根拠とも言えぬ反論の声が、わたしの頭の中で鳴り響いている。


だが、それを言葉にできないほどの不安が、胸に渦巻いていたこともまた事実だった。



今の攻防を思い返せば、2人はスキルを一切使っていない。


厳密には、身体強化スキルだけを駆使した攻防であり、双方の力量は互角に見えた。


だが、ミッドウェルが勝ちを確信しているということは、何か奥の手があるのかもしれない。


わたしは彼の自信の根拠をそう推測した。


だが、事実は違っていた。



「息もかなり上がっていらっしゃるようですしねぇ。」



わたしはとっさに師匠を見た。


一見、特に変わった様子はないようにも思えるが、よく見てみると確かに肩で息をしている。


師匠の息が上がっているのだ。


わたしとの鍛錬では、一度もそんな素振りを見せたことはなかったのに……。


今の一瞬の攻防だけで、どれだけの体力を消費したのかがわたしにも推測でき、大きな衝撃を受ける。



それほどまでにこのミッドウェルという魔人族は強いの……?



唖然としていたわたしの耳に、再び狼の遠吠えが聞こえた。

ご愛読ありがとうございます!


パンツで気を逸らすじじいはさすがですが笑

この魔人族の男は……強い!

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