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18 終わりの始まり①

その晩、わたしは夢を見た。


森の中を1人で、そして、必死に駆けている夢。


まるで何かから逃げているような……そんな夢。



「ハァハァ……」



夢なのに、妙にリアルだ。


本当に走っているかの如く、わたしの肺は激しく膨張と収縮を繰り返し、全身からは汗が噴き出してくる。


それと何かに対する恐怖心。


これが胸の中をぐるぐると回っており、時折酷い吐き気を催すのだ。



ーーーわたしはいったい、何から逃げているだろう。



考えられるのは、魔物に追われていることくらいだ。


春先にクリムゾンベアに襲われたことが、まだ尾を引きずっているのかもしれない。


でも、それももう数ヶ月以上前のこと。


あれから師匠との鍛錬を続けて、わたしは心身ともに格段に強くなったと自負している。


今なら天敵であるクリムゾンベアを目の前にしても、震えることはない。


もちろん、倒せるかどうかは別の話だけど……。


悪夢は気持ちを整理するために見るのだという。


そう考えれば、今更なぜこんな悪夢を見ているのかがわからなかった。



そんなことを考えられるほどに、わたしの頭は少しずつ冷静さを取り戻してきたようだ。


すでにこの夢に関する考察を始め出している。


だが、始めてすぐにそれは起きた。



「グルルルルルルァァァ!!!」



心も体も戦慄させる咆哮。


聞き覚えのあるそれが、真後ろから聞こえた。


そして、その瞬間、体が硬直する。


先ほどまで止まろうと思っても止まることができなかったのに、その咆哮が聞こえた瞬間、わたしの足はぴたりと止まっていた。


それに、妙に頭は冴えている。


後ろに迫るものが何なのか……それが気になって仕方がない。


その思考を体現するように、わたしの体はゆっくりと後ろを振り返った。





隻眼の魔物が、わたしを見下ろしていた。


わたしの背丈の数倍はあるその魔物は、まるで巨岩のようにわたしの前に立っている。


木の幹ほどある太い腕と、長く尖った真っ黒な爪。


剥き出しになった牙と、そこから滴る涎。


そして、潰れた左目の反対側では、炯々と悪意が光る真っ赤な眼がわたしを睨んでいる。


仁王立ちした隻眼のクリムゾンベアが、わたしの前に立ちはだかっていた。



「く……!」



いつの間にか体の自由を手に入れたわたしは、咄嗟に飛び退いていた。


同時に、自分の手が何かを握りしめたことに気づく。



え……?なんでこの剣が……!?



わたしはいつしか、腰に帯刀していた件の剣を抜刀していたのだ。



夢だからなんでもあり……とは思うけど、意識もしていないのに気づけば剣を持っている。


しかも、師匠から譲ってもらった剣を……だ。


そのことにわたしは驚きが隠せなかった。



透き通った薄い青色の刃が、目の前のクリムゾンベアに向けられている。


わたしが向けているのだから当たり前なのだが……。


だが、凶悪な巨躯を前にしているというのに、わたしの心は落ち着いていた。


この剣のおかげなのか……頭はさらに冴え渡っている。


それだけではなく、目の前の魔物から向けられる殺意に負けぬよう、ただひたすらこちらからも殺意を向けている。





……殺……意……?



湧き上がる感情に対して、ふと疑問が浮かんだ。


目の前の魔物に対して、恐怖ではなく殺意を向けているのはなぜか。


確かにたくさんの仲間を殺されてきたのだから、こいつらのことは憎んではいる。


でも、今感じている感情はそういうものではない気がした。


クリムゾンベアという種に対する恨みではなく、感じているのはこの隻眼の暴熊に対する明確な殺意。


目の前の個体に対する憎悪と殺意だ。


だが、そのことに困惑したのは一瞬だけだった。




目の前のこいつが……憎い……。


殺してやりたいほど……憎い……。



わたしの心は、いつしか憎悪と殺意に支配されていた。


それに呼応するかのように、隻眼のクリムゾンベアが唸る。


こちらの殺意を感じ取り、威嚇しているのだろう。


だが、その威嚇にも恐怖は感じなかった。


今は心も体も軽い。


心は黒い感情に支配されているのに、清々しさすら感じられる。


そのせいもあってか、無意識に言葉が漏れた。



「おい、隻眼。……殺してやる。」



そして、その言葉はこの命の争奪戦の開始の合図となる。



「グラァァァァ!!」



大木のような腕が、わたしがいた場所を一瞬で削った。


その様子を木の枝の上から見下ろしながら、わたしは手に持っていた剣を一度鞘に収めていく。


納め終わる頃、隻眼の視線がこちらに気づいて振り向いた。


と、同時に腕を一振り。


すると、その腕から数本の風の刃が放たれた。


エアスラッシュ(風刃)は風術の中では基本的なもので、数本の風の刃を放つスキルだ。


刃というだけあって殺傷力は高め。


いくら基本スキルとはいえ、当たれば無事では済まない。


それらの刃は、わたしがいた木まで一瞬で届くと、まるで野菜でも切るかのように大木を細かく切り刻んでいった。



(……遅いな。)



それがわたしが隻眼のクリムゾンベアに感じた第一印象。


崩れ落ちる木の破片を見ながら、わたしは奴の背後でそう思った。


隻眼は、すぐにわたしに気づいて振り返る。


そのタイミングで、わたしは奴との距離を一気に詰めた。



「グガァァァァ!!」



突然、目の前に現れた兎人の少女に焦るも、隻眼は爪による近接攻撃を暇なく繰り出した。


野生の魔物は、本能的に行動する。


だから、反応速度が異様に早い。


頭で考えずに、経験と本能だけで次の動きを決めるから厄介なのだ。


すでにその凶爪も、わたしの顔の目の前に迫っている。


それでも、わたしには余裕があった。


太く鋭い爪を容易くかわすと、隻眼の懐に潜り込む。



「殺すといったろ……。」



捨て台詞と共に、腰に帯びた剣を強く握り締め、素早く抜刀した。



「氷術……氷塵華斬(フロストダストスラッシュ)。」



肉と骨を断つ感触を覚えた。


だが、剣の動きはとても滑らかで、音すら聞こえない。


思ったよりも簡単だな、と思った。


斬り抜いた後、立ち止まって手に持った剣に目を向ける。


鮮やかな血が付着した刃。


それを見て、わたしはニヤリと笑った。


その瞬間、背後で大きく爆ぜた音がした。


それは、隻眼のクリムゾンベアを包み込んでいた巨大な氷の華が爆ぜた音。


氷術スキルである"氷塵華斬(フロストダストスラッシュ)"の最後の工程。


奴の血を含み、紅く煌めく氷の粒子たちが、まるでわたしの勝利を祝福してくれるかのように一面に舞った。



・

・

・



「う……うわっ!」



わたしはベットの上で飛び起きた。


かなりの間、うなされていたんだろう。


全身からは汗が吹き出しているし、動悸も激しく、少し息苦しい。



「ハァハァ……今のは……夢……?」



初めは夢だと認識していた。


でも、途中から夢か現実かがわからなくなっていたのは事実だ。


妙にリアルな夢だったし、自分の中に湧き上がった憎悪と殺意は、本当に自分の中に存在しているかのようだった。



それに、隻眼のクリムゾンベアを殺した時のあの感情……。



わたしはそれを否定するように、必死に頭を横に振った。



ふと、辺りを見回せば、まだ真夜中。


わたしは静かにダイニングに移動し、コップに水を注ぐ。


もちろん、自分の水術で。



あんなに明確な殺意を相手に向けたことは、これまで一度もなかったな……。



コップの水を一気に飲み干して、大きく息をつく。


たとえ夢であっても、あんなに明確な殺意が自分の中で湧き上がったことにショックを隠せなかった。



隻眼のクリムゾンベアなんて、見たことも会ったこともないはずなのに……。



それなのに、奴に向けた殺意と憎悪は本物だった。


それは間違いないと、なぜか自分で確信していた。





それから、どれくらいボーッとしていただろうか。


椅子に座ったまま、空になったコップを握り締めていたわたしの耳に、ふと何かが聞こえた。



「…………狼の……遠吠え?」



以前にも聞いたことがあったな。



ふと、その時の記憶が蘇る。


師匠がクリムゾンベアを倒した後、家に帰る途中にも同じような遠吠えを聞いたことがあったのだ。


でも、あの時はかなり遠い位置から聞こえた。


今回は……かなり近い気がする。



わたしは立ち上がると、ゆっくりと家の外へと向かった。



ドアを開けて外に出ると、月明かりがとても綺麗に辺りを照らしている。


虫達の歌声以外は何の音も聞こえない月夜の世界。


その光景に、わたしの目は奪われた。






「こんなところに……まさか生きていたとはねぇ。」



音も立てずに、いつの間にかそこにいた。


その表現が正しいと思う。


突然現れた男が、わたしに向かってそう笑いかける。



「だ……だれ?」



ギョッとしてわたしがそう返すと、男は丁寧な仕草でお辞儀をした。



「こんばんは、兎人族のお嬢さん。今夜は月が綺麗ですねぇ。」



頭を上げ、今度は月を見上げる男。


月に照らされた男の顔が、闇夜にはっきりと浮かんだ。


とても整った顔立ちで、まさに容姿端麗。


紫色で少しパーマがかかったロングヘアと、金と銀のオッドアイがそれを際立たせる。


そして、口の左から見える大きめの犬歯が特徴的。



(ま……魔人族だ。初めて会った……)



頭にある歪んだ2つの大きめの角は、昔父から教えてもらった魔人族の特徴と一致していた。


そんなわたしの頭の中を読んだかのように、男は丁寧に言葉を向けてくる。



「わたしは見てのとおり、魔人族ですよ。名をミッドウェル。以後、お見知り置きを。ところで、耳折れのお嬢さんは……ここに住んでいるのかなぁ?」



落ち着いた様子で問いかけてくる男の装いを、一言で例えるならまさに"上品"。


そんな言葉が当てはまる。


だが、その問いかけに対して、わたしは自身は身構えていた。


わたしのことを"耳折れ"と呼んだからではない。


いくら上品で丁寧に問われようが、先ほどからこの男に対して感じている違和感は拭えなかったからだ。


あの笑っている顔は作られたもの。


それに、丁寧な言葉遣いもこちらの油断を誘うため。


顔を合わせた瞬間から、直感的にそう思っていたのだ。



「だったら……何なんですか……」



後退りしながらそう答える。


すると、少し驚いた表情をした後に、今度は申し訳なさそうに眉を落とした。



「これはこれは……怖がらせてしまったのなら申し訳ないねぇ。」



申し訳なさそうに謝っているが、わたしにはそれは本心ではないとすぐにわかった。


わたしの中で、警鐘が大きく鳴っているからだ。


凶悪な魔物と対峙した時と同じ……いや、それ以上の警鐘が。



早く師匠に知らせないと……。



わたしはそればかりを考えていた。

ご愛読ありがとうございます!


予知夢のようなおかしな夢。

そして、それに呼応するかのように現れた謎の魔人族の男。


この状況、完全に危機感しかないですよね!!



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