107 記憶③
呼び起こされていく凄惨な記憶…
「ガァァァ!!!」
「うわっ……!」
突然、後ろから襲いくる爪撃に気づいたわたしは、なんとか身体を捻りながらそれを避けようとした。
運良く、わたしの横スレスレを通り過ぎる太い腕。
それが地面を抉ると同時に大きな衝撃波が生まれ、そのせいで、わたしの小さな身体は大きく吹き飛ばされた。
「う……ぐっ……」
地面に叩きつけられ、転がり、その衝撃で息が詰まる。
あとから襲いかかってきた全身の痛みに、体が悲鳴を上げているのがわかった。
それでも、目の前にいる天敵になんとか視線を向ける。
「な……なんで……クリムゾンベアが……」
こいつはこの辺にはいない魔物のはず。
過去に目撃されたのだって、十数年前に一度だけだったのに。
気候変動の関係で稀に餌が取れず、彷徨っていた個体がたまたまこの森に迷い込んできたんだって、近所のおじさんに教えてもらったことがある。
なのに……なぜ今ここに?
考えても無意味な思考が巡る。
もしかして、こいつが犯人?
みんな、こいつにやられてしまったの?
アイクや……リルドはどうしたんだろう……。
集落の中で1位2位を争う実力者の2人なら、クリムゾンベア1体に負けるはずなんてない。
だが、そんな推測はもはや意味を為さない。
目の前に広がる光景が、結果を物語っているからだ。
「グルルルルル……」
クリムゾンベアが、倒れているわたしの周りをゆっくりと回り出した。
それはまるで、食卓に並んでいる料理の品定めをするかのように、ゆっくりと。
よく見れば、奴の口や手は仲間の血で真っ赤に染まっていて、わたしにはその意味がすぐにわかった。
わたしもみんなと同じように食べられてしまうのだろうと思うと、恐怖で全身から力が抜けていく。
いやだ……死にたくない……
そう思っても、弱いわたしには為す術はない。
戦って勝てる相手でもないし、唯一できそうなことと言えば、すぐさま立ち上がって逃げ出すことくらいだろう。
だが、それを想像したところで、結果的にはクリムゾンベアに食われるシーンばかりが頭に浮かぶ。
地面に叩きつけられた痛みも相まって、もはやわたしの心は折れかけていた。
やっぱり、こんな状態じゃ無理だよ。
助かりっこない……。
そう思ってゆっくりと目を閉じると、再び家族の顔が浮かんだ。
みんな……運良く逃げているといいな。
わたしはもうダメだと思うけど、みんなは生き延びてくれていると嬉しい。
父や母、弟や妹たちの安否が、唯一の気がかり。
それを確認できないことだけが、唯一の心残り。
だが、そこで湧き上がってきたのは、自分に対する疑問だった。
本当に……諦めるの?
そうだ……。
…………
…………
そうだよ。
まだ、家族のみんなが死んだ確証はないんだ。
自分の眼で、家族の死を確認したわけじゃない。
なのに、わたしはそれを許容してしまっていいのだろうか。
そんな思いに駆られた時、ふと父の笑顔と言葉が頭をよぎった。
ーーー諦めるのは、全部やってみてからでも遅くないんだよ。
それは、父がよくわたしに言っていた言葉。
諦めやすい性格のわたしが、よく父に言われていた言葉だった。
それを思い出したら、なんだか少しだけ……本当に少しだけだけど、勇気が湧いた気がした。
みんなの無事を確かめよう。
諦めるのはそれからでも遅くはない。
それまでは、死んでたまるもんか。
そう思えた。
そして、そう思えると、行動は早かった。
なんとか腕に力を込め、ゆっくりと立ち上がる。
受けたダメージはまだ少し残っており、足元が少しふらつくが、立てないほどではない。
そんなわたしの様子を、クリムゾンベアはじっとりとした眼で見ている。
それはまるで、「エサのお前に何ができるのか。やって見せろ。」と言わんばかりの表情に見えた。
舐められるのは仕方がない。
それだけ力の差があるんだから。
でも、わたしにだって意地はあるんだ。
大きく息を吐いた。
自分の中に蓄積された恐怖心を吐き出すように。
そして、目の前のクリムゾンベアを睨みつけた。
胸のうちに湧いた小さな勇気を燃やして。
「……私の脚についてこれる?」
言ったところで、クリムゾンベアからの返事なんかもちろんない。
奴はまだ、余裕の表情を浮かべてこちらの出方を伺っている。
怖いことには変わりない。
だが、クリムゾンベアのそんな態度に、少しだけ苛立ちが芽生えたことも確かだ。
「余裕なのも今のうち…………なんだから!」
恐怖を拭うように、わたしは声を荒げた。
そして、溜めていた脚力を解放し、自分の家の方へ向かって力一杯駆け出していた。
これまでに出したことがないくらい全力で。
「うわぁぁぁぁぁぁ!!」
叫びながら、全速力でわたしは走った。
正直、疲労困憊であったし、身体中は地面に叩きつけられたせいで軋むほど痛い。
だけど、わたしは走らなくちゃいけない。
自分の家を目指して。
後ろから、クリムゾンベアの咆哮が聞こえた。
ちらりと後ろを見れば、クリムゾンベアが悔しそうに追いかけてくる姿が見えたが、その姿も声すらもすぐに消えてしまう。
ははは……追いつけないんだ……あいつ。
それがわかると、恐怖の中にも安堵が生まれた。
逃げ切れるという事実がそうさせたのだと思う。
少しだけ冷静さを取り戻したわたしは、一気に自分の家を目指すことに集中する。
だが、走り出してすぐ、わたしの推測は完全に間違っていたことに気づかされることになった。
魔物はクリムゾンベア1匹だけではなかったのだ。
無意識に立ち止まり、辺りを見回せば、集落の至るところで大量の魔物による虐殺が行われていた。
なに……これ……
都合のいい思い込みを信じ切っていたわたしにとって、それらの光景は残酷そのものだ。
ゴブリンたちに集団的暴殺されている者。
その姿はゴブリンたちに囲まれていて見えないが、おそらくはすでに死んでいるに違いなかった。
それにオークの凶斧で真っ二つにされた者や、トレントたちに首を吊られて絶命している者も多くいる。
中でも1番酷いのは、ハーピーに空中へ投げ飛ばされ、自由落下で地面に叩きつけられている者だ。
もはや姿形は原型を留めていないのに、何度も何度も放り投げられている姿はまるで、無垢な子供がおもちゃを投げつけて遊ぶようであり、そこに慈悲はなかった。
「グォォォォォ!」
後ろからクリムゾンベアの声が聞こえて我に返る。
そして、恐怖に駆られて、再び駆け出した。
こんなの……こんなのないよ。
この世の終わりのような光景に、心が折れかける。
だが、いくら凄惨な場面を見せられても、わたしは足を止めるわけにはいかなかった。
ここで止まれば、わたしも仲間たちと同じ運命を辿ることになる。
わたしは家族の無事を確認しなきゃならないんだ。
……だから、走らなきゃ。
涙を流しながらも、凄惨な光景から目を逸らし、そう自分に言い聞かせる。
そして、正面だけに集中し、さらに脚に力を込めた。
思い出すのが苦しくなる記憶。
こんなことが起きたら、記憶を封印して塞ぎ込んでしまう気持ちもわかります、、、




