106 記憶②
いつしかの家族との思い出。
パルトは何を思い出しているのでしょうか。
集落からクコルの木の群生地に向かう途中で、わたしは少し休憩することにした。
すでに半分くらいは来たかな。
今日は調子がいいみたい。
いつもより体が軽く感じるから、ここまでそんなに時間もかかってないし。
一息つこうと思い、湖畔のほとりで折れた大木に腰掛けて、綺麗な景色を眺めてみる。
向かいに見える大きな山。
それが綺麗に写し出された湖は、まるで大きな鏡のようだ。
その上を、滑るように泳ぐ水鳥の親子の軌跡。
遊んでいるのか、飛んでいる虫でも狙っているのか。
時折、水面から飛び跳ねている魚たちが起こす波紋。
その全てが、この世界とわたしの幸せを物語っているかのように感じてしまう。
そんな自然の景色を見ていると、心が澄んでいく気がして、本来の目的まで忘れてしまいそうだ。
「でも、夜はキャラットシチューだからね。受けたミッションは確実に達成しないと……。」
幸せと自然の中に溶けそうになった思考。
それを頭を振って無理やり引き戻し、わたしは気合いを入れ直して立ち上がった。
その時だった。
突然、木の上から無数の鳥たちが飛び立ったのだ。
「わっ!……みんな、どうしたのかな?」
胸を撫で下ろしながら見上げてみれば、鳥たちが空で何やら騒いでいるみたいだ。
その様子をよく見ると、周りに危険を知らせているようにも見える。
感じた違和感に、耳をピクピクと動かして辺りを窺う。
すると、近くにいた鹿やリスなどの動物たちも、一斉に同じ方向へと駆け出し始めていることに気づく。
その様子は恐慌状態に近く、彼らはまるで何かに怯えているかのようだった。
「いったい、なにが起きているの……?」
動物たちがこんなに怯えるなんて見たことがない。
小さな虫たちでさえも同様だ。
ありとあらゆる隅という隅に隠れようと必死に見える。
動物たちはいったい何に怯えているの?
何から逃げようとしているの?
この周辺にはほとんど魔物は出ないはずなのに……。
なら、何が原因でこんなことに?
考えてみても答えは見つからないし、見つかるはずもない。
だが、彼らが逃げていく方向を見ていたわたしは、あることに気がついた。
(みんなが逃げているのって……集落とは逆の方向?)
思ったとおり、動物たちはわたしが来た方向とは逆に逃げている。
わたしがこれから行こうとしていた方向へ逃げているのだ。
そして、それが意味することは……
集落に何かあったのかもしれない……!
そこまで理解した瞬間、わたしは無意識に駆け出していた。
ここから集落までは、全速力で走っても10分以上はかかる。
だけど、急がなきゃ。
なにか……胸騒ぎがする。
そう思って両脚に力を込めようとした瞬間、なぜか父や母、そして妹弟たちの顔が頭に浮んだ。
無意識に浮かんだ家族の顔。
気づけば、わたしの瞳からは涙が溢れており、それがわたしの心を余計に焦らせた。
(お父さん、お母さん、みんな……)
涙を拭いながら、必死に走り続ける。
胸の奥で燻る得体の知れない焦燥感と闘いながら、ただひたすら走り続けた。
〜
息も絶え絶えになりながら、走り続けているわたしの思考は、集落と家族のことでいっぱいだった。
集落に異変が起きている。
そんな胸騒ぎがしてならない。
これは虫の知らせというやつかもしれないが、今のわたしにとっては、そんなことはどうでもよかった。
いつもなら一緒に走ってくれる動物たちはいない。
漂っている異様な雰囲気のせいで、皆どこかへ逃げてしまったから。
辺りには、生き物の姿は一切なく、わたしが走る音だけが響いている。
「何もない……何も起きてない……みんな無事……」
祈りに近い言葉たちが、無意識に口から漏れ出ていく。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃな顔を必死に拭いながら、息をすることも忘れ、わたしは願うようにずっと唱えて続けていた。
「あっ……」
だけど、動揺は隠し切れなかったらしい。
いつもなら簡単にかわせる木の根につまづき、顔面から地面にダイブする。
おでこや鼻、そして頬に感じる鈍痛と同時に、鼻の穴から生温かいものが流れ出る感触。
しかし、今のわたしはそんなことに構っていられない。
すぐに腕に力を込めて立ち上がると、再び集落へ向けて走り出す。
鼻血と涙で、わたしの顔はさらにぐちゃぐちゃだろう。
だけど、そんなことはどうでもいい。
家族が……集落が無事なら、こんな怪我なんて……。
必死にそう願った。
必死に集落の無事を願いながら、わたしは夕暮れの森の中を駆け抜けた。
〜
ようやく、いつもの景色が見えてきた。
集落の入り口に立つ2本のオオバコの木が、風に揺られて何事もなく立っている。
それに集落のところどころから立ち上る煙は、夕飯の支度をしている証拠でもある。
よかった……何もなかったんだ。
早とちりならそれでいい。
その様子にホッとしつつ、わたしは集落の入口まで力を振り絞った。
オオバコの木の前に着くと、自然と膝に手をついて肩を揺らす。
どうやら、ここまで全速力で走ってきていたみたい。
いつもならペース配分を考えて走るから、ほとんど疲れないけど、今回は少し動揺しちゃったし、仕方がないか。
動揺していた気持ちが安心に変わっていくと、少しだけ冷静さを取り戻せた。
ゆっくりと顔を上げ、滴る汗を拭い、鼻血や涙で汚れた顔を洋服で拭く。
こんな格好で集落に入ったら、驚かれちゃうもんね。
だけど、次の瞬間、私は再び異変を感じ取った。
いつもなら、ここからでも活気や喧騒がが伝わってくるはずなのに、今はまるで誰もいないかのようだ。
集落は静寂に包まれている。
そこに違和感を感じた。
再び襲う焦燥感に、自然と足が早まった。
急ぎつつ……だが、恐る恐る集落の中へと進んでいく。
なんでもないよね。
ただの気のせいだよね。
心の中で、わたしは何もないことを何度も繰り返し願い続けていた。
そうして、少し進んだところで、わたしの視界に突然飛び込んできたのは、祈る気持ちを裏切る恐ろしい光景だった。
「……な!?」
言葉にならない声が漏れる。
辺り一面に飛び散った赤い水溜りが、この世のものとは思えないほどに湿気と生臭さを放っている。
そして、その中に無造作に転がっている数々の肉塊。
わたしはそれが、仲間たちのものであるとすぐに理解できた。
怖い。
心が恐怖で覆われていく。
怖い。
混乱が身体中を支配していく。
怖い。
虚無感が身体を襲い、全身の力が抜ける。
だが、そんな状況であっても、危機感だけは機能していたらしい。
わたしの長い耳がピクリと動いた瞬間、わたしの真横を巨大な爪と手が通り過ぎた。
◆
ガザルは言葉を失ったまま、パルトの動きを目で追っていた。
空間を目いっぱいに利用した連撃の応酬。
空中に構築した足場を利用し、縦横斜めと縦横無尽に駆け回りながらサヌラに攻撃を仕掛ける様は、とてもDランクの冒険者とは思えなかった。
これがAランクである紅蓮……クレア=デストロイとともに行動できる所以か。
ガザルはパルトに対する評価を一新させていた。
体を覆う黒いオーラは、さっきよりも量を増したように思う。
時折、連撃に交えて放つ黒い刃はおそらくだが風属性……風術スキルだと推測する。
だが、何よりもその動きに驚愕する。
いくら兎人族だからとはいえ、この動きをこのレベルで、しかも動き続けながら行うなど、他の種族には真似できないだろう。
瞬発力と持続性。
パルトのそれは群を抜いており、もはや才能という他なかった。
だが、ひとつ懸念があるとすれば……
(嬢ちゃん……意識はあるのか?)
ガザルの目には、パルトが暴走しているようにしか見えなかった。
住んでいた村の惨劇。
それを思い出すパルト。
そんなパルトは暴走しているかのように…
今回もご愛読いただきまして、ありがとうございました!




