23. 帝国へ①
エスティリオは一体、どうするつもりなのかしら。
外出するための身支度をしながら、ラシェルはこれから一体何が起こるのか分からない不安に襲われていた。
エルがラシェルであったことを知っていたと、エスティリオから明かされたあの日から、もうふた月ほどが経つ。
その間は至って平穏で、ラシェルはこれまで通りエルとして薬草栽培研究官として働き、仕事により一層邁進していた。
一方、リオの正体がラシェルにバレてしまったエスティリオは、あれ以来犬の姿になって現れることはなくなった。
「これから少し忙しくなる」と言っていた通り、本当に多忙を極めているようで、ラシェルが次に会った時には目の下にくっきりとしたクマを作って元気がなかった。
今から一週間前。
エスティリオの侍従アルノートに「魔塔主様がお呼びです」と言われついて行くと、瀕死状態のエスティリオがいた。
「もう無理……お願い。チャージさせて」
フラフラしながらラシェルに抱きつくと、エスティリオはそのまま眠ってしまった。
「あの……どうしましょう」
ソファに座り、膝枕をした状態になったラシェルが困ってアルノートに尋ねると、こちらは含み笑いをしている。
「エルさんには申し訳ありませんが、少し休ませてあげてください。ここ1、2ヶ月ほど、まともに休んでいらっしゃらないので」
「そんなに忙しいのですね」
「魔塔主領から離れる予定があるので、その前に済ませなければならない事が山ほどあるのですよ」
「外出……されるのですか?」
「その話は後ほど、ベクレル様がお目覚めになったら説明があるかと思います」
「分かりました。そうしたら尚更、ここではなくきちんとお休みになれるベッドへ運んだ方が良いのでは」
「いえいえ。エルさんさえ良ければ、そのままにしておいてあげて下さい」
「そうですか……」
エスティリオはスースーと寝息を立てている。こういう所は本当に、リオそのままだ。
「何か掛けるものを持ってきて頂けますか?」
「ええ、ただ今。それからこちらにお茶と、眠っている間お暇でしょうから、本も何冊か置いておきますね」
「ありがとうございます」
そうして1時間ほどぐっすり眠ったエスティリオは目覚めると、ラシェルにとんでもない提案をしてきた。
「エスティリオ、今なんて……」
「カレバメリア帝国に国賓として招待されているんだ。エルも一緒に行こう」
「一緒にって……だって……」
「エルには世話係として付いてきてもらうから」
突然の話についていけない。
まだ魔毒蟲はラシェルの体の中にいるのに、帝国へ行くなんて。
「滞在は一週間を予定しているから。その間、研究所の薬草畑の管理を任せられるように準備しておいて。必要なら魔法薬部の他の人を使ってくれてもいいし」
「滞在は一週間って、皇宮までの移動も考えたら……」
魔塔からカレバメリア帝国皇帝のいる宮まで、馬車で片道数週間はかかる。となると合計でひと月以上、研究所を空けることになる。頭の中で計算をするラシェルに、エスティリオはくすりと笑った。
「やだなぁ。馬車なんて使わないよ。腰痛くなるし、時間の無駄だし」
「あ……」
「連れて行く魔道士は皆、転移魔法使えるから。もちろんエルは俺がちゃんと連れて行ってあげるよ。だから研究所を空けるのはきっかり一週間」
「そう……そうよね」
魔塔にいる魔道士達を常人と同じに考えてはいけない。難易度が高いとされる転移魔法や治癒魔法も使える人が大半を占めるのだから。
「行く前に一つ確認しておきたいんだけど」
「何かしら」
「エルの変身後の姿を知っているのは、皇帝と宮廷魔道士一人だけ?」
「ええ、そうよ。知っていると言っても、もう忘れてしまっていると思うわ。もう7年も経っているし、変身してから部屋を出るまで3分とかからなかったもの。変身後の姿なんて、覚えようともしなかったでしょうから」
月日の流れは早いもので、あの日からもう7年も経ってしまった。日々色んな人と会う皇帝が、数分見ただけのラシェルを覚えているとは思えない。
「なら良かった。エルの姿を覚えているようなら、行く前にその変身を解く薬を飲んでもらって、別の変身魔法薬を飲んでもらわなきゃならなかったから」
「その方がよりいいのではないかしら?」
万が一に備えるなら、今の姿から更に別の姿になった方が良さそうなものだけれど。不思議そうにするラシェルに、エスティリオは追加で説明してくれる。
「そうでもないよ。薬を使って無理やり姿を変えるというのは、体にかなり負担がかかるんだ。ラシェルが服用した魔法薬はかなり強力で、解くための魔法薬も身体への負担が大きい。そこに更に変身魔法薬を飲むとなると、身体が混乱するかもしれない」
「混乱? というと」
「自分の身体が自分を忘れてしまうかもしれない、という事。あまり服用しすぎると、元の身体に戻らなくなってしまった、なんてケースもあるからね。まだ2回目だけど、エルは魔力が全くない分、魔法に対する耐性があまりないから、大事を取るに越したことはない」
「分かったわ」
変身後の姿を決めるのは、変身薬を調剤する際に入れる他人の身体の一部で決まる。
一人分を入れれば完全にその人に成りすますことが出来、複数人のものを入れればブレンドされ、飲んでみるまではどんな姿になるかは分からない。
ラシェルに飲ませた薬には、ほぼ間違いなく複数人分の体の一部が入っているはず。既にいる人がもう一人現れたら問題になるから。事を荒立てたくない皇帝だってそれは望まないだろう。
皇帝も宮廷魔道士も、薬を服用した後どんな姿に変わるかその場で知ったはずなので、あの数分間でラシェルの姿を覚えていなければ、正体がバレることはない。
「ねえ、エスティリオ。私を連れて行ってどうするつもりなの」
「エルは自分に呪いをかけた皇帝と魔道士がどうなるか、知る権利がある。だから連れていく。自分が知らないところで事が終わるなんて、気持ち悪いでしょ? もちろん見たくないなら残ってもいいけど」
「……行くわ」
「うん、そう言うと思った。エルの事は俺が絶対に守るから」
そんな説明を受けてから今日、いよいよ出発の日を迎えた。




