22. ラシェルの本心②
「唾液だよ。エルの唾液に魔力が含まれてないか確認してみたら、予想通り含まれていなかった」
「だ、唾液……」
「魔力って言うのはね、アカデミーでも習ったと思うけど、体液の中に多く含まれて体内に内蔵されているんだ。特に血液の中にね。でもエルに血を流して貰うわけにはいかないから」
「だから……」
「キスしちゃった」
エヘっ、と笑って許されるとでも……! と言いたいけれど、許してしまうわ。悲しいことに。
そこにエスティリオの気持ちが全くなかったことに、安堵しているのかいないのか、複雑なところだ。
「ラシェルの唾液に魔力は全く含まれていなかったというのはつまり、エネルギー源は別にあるということ。俺の推測は限りなく正しいと確証を得られたってわけ。こんなに遅くなってごめん。一人で悩んで、辛かったよね」
「もう謝らないで。エスティリオに私が本当は誰なのか、知って貰えただけで十分だから」
鼻の奥がツンとする。
「ずっと……辛かったの。好きだと言われる度に辛かった。エルに言っているのかラシェルに言っているのか分からなくて……」
「さっきも言ったけど、俺は最初からエルが誰なのか知っていたよ。だから俺がこれまで言ってきた言葉も行動も全て、貴女自身に向けたもの」
「それって……」
「あぁーーっ! ほんっとイラつくなぁ。きちんと名前を呼んで好きだって言いたいのに」
頭を掻きむしりながら、エスティリオが叫んだ。
今好きって……。好きって言われた??
動揺するラシェルをよそに、エスティリオはケロッとしている。
「エルの呪いを解く方法は簡単だよ。蠱毒を作った者を殺せばいい。そうしたらエルの呪いも解ける」
「殺す……」
ラシェルも考えたことはある。術者を殺せば術も解ける。多くの魔法がそうだから。
けれどこれは、直接魔法をかけられた訳ではなく、魔法薬を使った呪いだ。だからその可能性は低いだろうと除外していたのに……。
「ダメ……ダメよ! 殺すなんて出来ない」
あの魔法薬を作ったのが父なのか、宮廷魔道士の方なのかは定かでない。どっちにしてもラシェルは、自分のために人の命を奪うことは選べない。
「今のままで十分よ。エスティリオが本当の私を知ってくれたら、それでいいの。仕事だって上手くいっているし、周りの人も良くしてくれるもの。これ以上のことは望んでないわ」
「やっぱりね。そう言うと思った。エルは昔からそういう人だから。でもさぁ、エル。俺はエルの本心が聞きたい」
「私の、本心?」
「嘘を言っているわけじゃないっていうのは分かっているよ。でも本当はあるでしょ?手の届く範囲で自分の出来ることをやるというエルの姿勢はすごく好きだよ。でも自分が持っている欲を俺に聞かせて、さらけ出してよ」
本心……本心……本心……?
「改名したとき何で『エル』って名にしたの? 普通は絶対にバレないように、全く違う名前を付けるでしょ」
「それはただ、思い付かなかったからで……」
「違うね。アカデミーにいた人の名や、本に出きてきた人、皇宮を出て初めて耳にした人の名でも、何でも良かったはずだ。けれどエルは、それを選ばなかった」
開けてはいけないものを開けてしまうような。そんな感覚。怖くて、見たくなくて、目を背けたくなる。
「大丈夫。どんなエルでも受け止めるから、絶対に」
「私……私は……」
小さく震える身体を、エスティリオが抱き寄せてきた。
ラシェルがエルという名前にした理由。
「本当の名を捨てられなかったの。お母様が私に、一番初めにくれたものだから……」
「うん。エルがお母さんのことを好きなことはよく知ってるよ。明るくて優しくて、綺麗な人だったって」
「ええ、そう……そうよ。私、顔立ちはお父様に似たけれど、でも、瞳の色はお母様と同じすみれ色だった。すごく気に入っていたの。でも、変えられてしまって……」
姿かたちを変えられて、むしろ都合が良かったと納得させた。本当は瞳の色くらいは残して欲しかった。まるで母の全ても否定されてしまったかのようだったから。
「本当は、元の姿に戻りたい……。お母様の形見の一つも、持たせては貰えなかったから。せめて、目の色くらいはって」
「うん」
「エスティリオにも昔みたいに、本当の名前を沢山呼んで欲しい。あなたにエルって呼ばれる度に、自分が誰なのか分からなくなって辛かった」
「うん、俺も沢山呼びたい」
本当はこうしたいって思っても、無理なものならキッパリ諦めて、出来る範囲で努力するべきだと思っていた。
そうでなければ自分の惨めさに耐えられず、壊れてしまいそうだったから。
だから本当の望みに蓋をして、自分を納得させて、押し殺して生きてきた。
でも今なら、言ってしまっても大丈夫だろうか。「受け止める」と言ったエスティリオの言葉を信じてもいいのだろうか。
いつの間にか大きくなったエスティリオの身体。その胸にすっぽりと収まると、不思議な程の安堵感がある。
エスティリオに身を委ねたまま、ラシェルは思いを口にした。
「私が……私が何をしたっていうの? ただ魔力が無かったというだけなのに。ただそれだけなのに、何故こんな目にあわなければならないの? 魔力がなければ人ではないの?!」
「エルは何も悪くない。悪くないよ」
「うんと少なくても、でも、帝国にだって何人もそういう人がいるの……いるのよ。どうしてお父様は私を否定するの? それとも私と同じように、魔力の無い人は自分の民ではないって思っているの?」
涙でエスティリオのローブが濡れていく。嗚咽を漏らすラシェルの背を、落ち着くまでの長い時間、エスティリオはずっと摩ってくれていた。
「ごめんなさい、エスティリオ。もう大丈夫」
預けていた身体を起こすと、急に冷静さを取り戻してきた。
抱かれたままいいたいことを言い、取り乱して泣いて、随分と恥ずかしいところを見せてしまった。でも、心の中にずっとあった大きなしこりが解れて、気分はすっきりとしている。
「あのね、さっき言ったことは本音だけれど、これも本音よ。私のせいで人が死ぬのは嫌なの」
「エルは優しいね。お母さんに似たんじゃない?」
「そんな……」
ラシェルの横髪をかきあげて、エスティリオが悪戯げに笑った。
「容姿についてはすぐに元に戻せるよ。変身薬の効力を消す魔法薬を、服用すれば良いだけだから」
「宮廷魔道士が半永久的な効果があると言って少し自慢げだったから、かなり強い薬だと思っていたのだけど、すぐ戻せるのね」
ほっとして胸を撫で下ろすと、エスティリオはチッチッと舌を鳴らした。
「俺を誰だと思ってるの? 俺より強い魔法薬を作れる人はそういないよ」
「ふふっ、そうだったわね」
「今すぐ作って飲ませてあげたいけど、現状のまま元の姿に戻るのは危険すぎる」
「それは分かるわ」
魔塔には、魔塔アカデミーの卒業生も多い。ラシェルが在学中に居た人だっているし、魔塔には帝国からの使者も来る。
皇女だと明かしたのはエスティリオにだけだし、皇宮ではひっそりと暮らしていたとはいえ、そんな危険は犯せない。
「蠱毒については俺に任せて欲しい」
「それって……」
さっきエスティリオは、術者を殺せばいいと言っていた。任せるというのはつまり……。
何をするつもりなのか、嫌な予感が走る。
返事を出来ないラシェルに、エスティリオは「信じて」と真正面から見つめてきた。
ラシェルの考えはきちんと伝えた。
殺すのは嫌だとハッキリと。
だからもう、エスティリオを信じるしかない。
「分かったわ。エスティリオを信じる」
「うん、ありがとう」
エスティリオが甘えるように、ラシェルの身体に抱きつき擦り寄ってくる。まるでリオが甘えてきた時のように。
「ちょ、ちょっとエスティリオ……」
顔を真っ赤にして慌てるラシェルに、エスティリオは不服そうだ。
「リオの時は喜んでなでなでしてくれるのに、何で俺はダメなの?」
「そっ、それは、リオは犬で、エスティリオは男性じゃない……」
「男って意識してくれてるんだ」
「あ……当たり前でしょう」
ラシェルの答えに、エスティリオの表情が華やいだ。
本当、こういう所がリオそっくりなんだから。……そっくり?
「待って……。なぜエスティリオがリオのことを知っているの?」
リオが研究所に通うようになったのは、エスティリオが来なくなってから。
もしかしたら魔塔の中をうろついていて、ラシェル以外の人にも懐いていた可能性はあるが、ラシェルが勝手に付けた『リオ』という名前はナタリーとアルベラしか知らないはず。
黒い毛と琥珀色の瞳。時折、人の言葉が分かっているかのような仕草……。
それにラシェルが呪われている事も、誰にかけられたのかも、話して聞かせたのはリオにだけ。
エスティリオを見ると、「あっ」と言って自分の口を塞いでいる。
「まさか……リオって……」
「あはっ、あれ俺」
「――!!!」
ご飯やブラッシング、ちょっと撫でるくらいはまだいい。抱きついたり、膝枕をしたり、時には舐められたりしたような……。
リオにしたりされたりの記憶が蘇ってきて、ラシェルは羞恥心のあまり、しばらく顔を上げられなかった。




