第7.5話
烏丸剣視点
激しい大雨が、俺の詰襟を冷たく濡らしていく。人喰いたちをすべて爆散させた広場には、大雨の音だけが虚しく響いていた。俺の目の前には、からくりを強制解除され、糸が切れた人形のように気絶したあの茶髪の男が横たわっている。
「烏丸さん、何をっ!?」
よく見ると外套を羽織った女性は如月家のお嬢様か。彼女は驚きと恐怖の混ざった悲鳴をあげている。俺をなんだと思っているんだ。
「……何を勘違いしている。コイツを家まで運ぶんだろ。ここで死なれては困る」
俺はフンと鼻を鳴らし、力まかせに男を担ぐ。
「早く、案内しろ」
「あっ、はいっ!」
呆然とする彼女を急かして家へと歩み始める。
(しかし、重いな。こいつは......)
やはりただの書生ではない、鍛え上げられた戦士の重みだ。
闇夜の道を歩いていると如月の豪邸、そして明かりが見えてきた。重厚な欅の扉を開けると、中から初老の執事が慌てた様子で飛び出してきた。確か石動といったか。
「お嬢様! ……おやおや、そちらの御方は」
「こいつを頼む」
俺は石動に茶髪男の身体を預け、そのまま背を向けて真夜中の雨の中へ消えようとした。だがその瞬間、俺の肩から降ろされた男が、薄れゆく意識のなかで一瞬だけ青い瞳を開いた。
「……僕は、みかみ……やくも……。君、は……?」
男はか細い声でそれだけを告げると、今度こそ完全に意識を失った。
「……剣だ。烏丸剣。その男が目を覚ましたら、そう伝えておけ。俺の邪魔だけはするなよ」
俺は足を止めずに左手を小さく挙げ、雨の闇へと歩き出した。
「烏丸様、本当にありがとうございました!」
背後から如月の声と、石動の深く頭を下げる気配が伝わってくる。
「……お嬢様。あの烏丸様というお方もまた、八雲様と同じく……過酷な運命に巻き込まれた御方なのでしょうね」
遠ざかる俺の背中に向けられた、老執事の静かな言葉。すべてを見抜いたようなその響きが、雨音に混ざって俺の耳の奥に冷たく残った。
数日後。帝都の喧騒から少し離れた食堂で、俺は一人、冷えかけた昼飯を口に運んでいた。頭にあるのは、やはりあの茶髪、深神八雲のことだ。あの奇妙なカラクリと、別世界の戦士としか思えない異質な戦闘技術。だが、隣の席の男たちがひそひそと交わしていた妙な噂話が、俺の思考を完全に停止させた。
「聞いたか? 山奥の村で、用心棒も村人も皆殺しにされたらしいぞ」
「ああ、生き残った子供が一人だけいたそうだが……怯えながらこう言ってたらしい。『二つの角が生えた、青白い人斬りにやられた』ってな……」
ガタガタガタッ。俺の手が、持っていた湯呑みを激しく震わせた。熱い茶が手の甲にこぼれるが、そんな痛みなど感じない。脳裏を凶悪なフラッシュバックが襲う。炎に包まれる故郷。引き裂かれる肉親の悲鳴。
(やつだ……。二角の殺人鬼。我が一族を葬った仇――『狂血のオロチ』……ッ!)
俺は湯呑みを叩きつけ、殺意に瞳を血走らせて食堂を飛び出した。逸る心を落ち着かせるため、そして何より、奴を確実に屠るための牙を整えるため、俺は帝都の片隅にある絆万鍛冶店へと向かった。
煤に汚れた暖簾をくぐると、いつものように地響きのような金属音が響いていた。
「おう、剣じゃねえか。ツラがいつも以上に険しいな。どうした?」
奥から現れたのは、日に焼けた頑強な肉体を持つ親方、おやっさんだった。無精髭を蓄え、不器用だが温かい眼光で俺を見つめてくる。
「おやっさん。……ベルトの調子を見てほしい。いつでも最大出力で戦えるようにな」
「おいおい、無理を言うな。その『滅災ノ輪』ってカラクリは、使うたびにお前の命を削ってんだぞ。死に急ぐような真似はするんじゃねえ」
おやっさんは頑固に俺の頭を小突いた。口は悪いが、天涯孤独になった俺を職人として、一人の大人として認めてくれている、唯一無二の理解者。この人のためにも、俺は負けるわけにはいかない。
「あ、烏丸の奴! また親父に無茶ばっかり言って!」
奥から、元気な黒髪ショートヘアの少女、命がもんぺ姿で工具を握って飛び出してきた。
「いいかい、その骨董品みたいなベルトをこれ以上無理に駆動させたら、アタシがタスキで縛り上げてでも止めるからね!」
「……うるさいぞ、命。俺には、何があっても果たさなければならない使命があるんだ」
「使命、使命って……! お前が死んだら、残されたアタシたちが悲しむって、なんでそれが分からないんだよ、バカ!」
命がキリッとした大きな瞳に涙を少し浮かべながら、男勝りに俺の胸を小突く。おやっさんと命。この不器用で温かい親子とのやり取りだけが、俺の復讐に囚われた心を唯一、日常に戻してくれる時間だった。だが、その穏やかな時間は、唐突に引き裂かれた。
――ウウウウウゥゥゥゥーーーッ!!!
帝都の空を、けたたましい非常警報のサイレンが鳴り渡る。おやっさんと命の顔が、一瞬で強張った。この警報は、ただの火事ではない。街の中に化け物が現れた合図だ。
「人喰いか……! おやっさん、命、ここに隠れてろ!」
「お、おい! 剣!」
俺は滅災ノ輪を握りしめ、おやっさんたちの制止の声を振り切って、帝都の街へと猛然と駆け出した。
悲鳴の上がる通りへ飛び出すと、数匹の下等な鬼の人喰いが、武器を振り回しながら人々を追い回している。俺はそいつらの前に立ち塞がり、冷徹に腹部へ滅災ノ輪を叩きつけた。
「高出力ー蒸気臨界」
重厚な歯車が噛み合う音が、夜の闇に響き渡る。 俺は目の前の人喰いども、そしてその奥に潜む二角の仇へ向けて、魂の底から怒りを込めて言い放った。
「人喰いども。俺が一匹残らず、噛み殺す」
「鎧装!」
黒い煙が俺の身体を呑み込む。復讐の白い戦士が、今、戦場へ降臨した。




