第5話
絆万親子の見事な職人技によって、僕のスサノオジェネレーターは無事に息を吹き返した。大正の天才たちの手によってメンテナンスされたデバイスを左腕に携え、僕たちは鍛冶店の帰り道を歩いていたはずなのだが......。
「深神さん、次はあちらの荷車を直して差し上げましょう!」
「ちょっと待ってくれ夜さん、僕の計算能力を便利屋代わりに使わないでほしいな」
書生服と外にハネた茶髪、この大正の街では酷く目立つ僕は、夜さんに連れ回されていた。道端で荷台が壊れて立ち往生している商人がいれば、構造の歪みを一瞬で見抜いて修繕を指示。泣いている迷子の子供がいれば、人の動線から母親の居場所をスマートに逆算して送り届ける。
「わあ、お兄ちゃんすごい! ありがとう!」
「お母さんから離れるなよ」
子供に頭を撫で回され、少し気恥ずかしさに顔をしかめる僕。そんな僕の姿を、夜さんは一歩引いたところから、本当に嬉しそうに、ひだまりのような笑みを浮かべて見つめていた。
絆万の娘・命にハイカラ君から八雲と呼ばれたことに続き、街でも徐々に如月家のお抱えの、奇妙だが頼りになるハイカラ書生さんとして、僕の噂が広がりつつあった。この平和を守りたいと、情が胸を焦がす。だが、その平和は、一瞬で凍りついた。
「なんだっ!?」
突如、背筋を鋭い氷柱で貫かれたような、凄まじい悪寒が走る。誰かに、見られている。それも、尋常ではない悪意と、血に飢えた捕食者の視線だ。
「あ……っ、う……、こわい……」
隣を歩いていた夜さんの声が、恐怖に激しく震えた。見ると、彼女の顔は病的に青ざめ、ガタガタと両肩を震わせながら、僕の書生服の袖をちぎれんばかりの力でギュッと掴んできた。その翡翠色の瞳は、涙を浮かべて虚空を見つめている。
「深神さん、あの時の人喰いと同じ……ううん、それよりもっと嫌な、冷たい気配がします……。すぐ近くの闇の奥から、私たちが値踏みされているような……っ。怖い、です……っ!」
「夜さん、僕の側に!」
僕が息を呑んで周囲の屋根を見上げた瞬間、そのおぞましい視線はふっと煙のように消え去った。だが、夜さんの小さな手は、しばらくの間、僕の袖を掴んだまま震えが収まらなかった。
(この帝都にただならぬ人喰いがいるのか?)
不穏な予感は、その日の真夜中に最悪の形で的中した。静まり返った如月邸の静寂を切り裂き、玄関の方から――ガツンッ!! ――と、肉厚な木材が激しく割れるような重い衝撃音が響き渡った。
「な、何事ですか……っ!?」
寝間着姿の夜が部屋から飛び出してくる。僕と、異変を察した執事の石動さんが即座に玄関へ駆けつけると、そこに凄惨な光景があった。重厚な欅の扉を貫通し、深く突き刺さっていたのは、不気味な漆黒の羽が群生した一本の矢文。
「夜さん、下がるんだ!」
僕が警戒しながら矢から引き抜いた文には、おぞましい赤黒い液体――血文字で、こう殴り書きされていた。
『真夜中、帝都の広間に一人で来い。さもなくば、街の人間を一人ずつ殺す』
「血文字……。合理的に考えて、これは明確な罠だ。夜さんを誘い出すためのね。絶対に行ってはいけない」
「でも……! 私が行かなければ、今日笑い合ってくれた街の方たちが、誰かが死んでしまいます……っ!」
昼間のあの恐怖に怯えていた夜さんとは違っていた。青ざめた顔で、しかし激しく狼狽えながらも、その翡翠の瞳には確固たる決然とした光が宿っていた。
「私は、行きます。私のせいで、誰かが傷つくなんて耐えられません!」
「待て、夜さん――っ!」
僕の静止の声を振り切り、夜は外套を掴むと、脱兎の如く真夜中の闇へと飛び出して行ってしまった。
「くそっ、なんて非合理的な行動を……っ!」
「お嬢様……っ!」
追いかけようとする石動さんだったが、その足がわずかに縺れる。寄る年波と、普段の激務による疲労が、この緊急事態に彼を縛っていた。
僕が夜さんの後を追おうと扉に手をかけた瞬間、背後から石動さんの、深く、震える声が響いた。
「深神様……。不躾なお願いであることは重々承知の上で、老骨を代表し、伏してお願い申し上げます」
石動さんは、僕に向かって深く、深く頭を下げていた。すべてを察し、包容力に満ちていた老執事が、今は一人の無力な守護者として、僕に魂を預けようとしている。
「お手数をおかけいたしますが……八雲様。どうぞ、お嬢様を……夜様をお救いください。あなた様のあの力だけが、今の我が主の、唯一の希望にございます」
それまで深神様と呼んでいた石動さんが、僕の戦士としての本質を見抜いたのか、八雲様と名前を呼んだ。
「……頭を上げてください, 石動さん。言われなくても、見捨てるなんて選択肢は、僕の計算にはありませんよ」
僕は左腕の、絆万親子に直してもらったばかりのスサノオジェネレーターを強く握りしめた。万全の準備は整っている。
「お嬢様は僕が必ず連れ戻す。これが、現時点における僕の合理的解答だ!」
僕は夜の闇を切り裂き、無鉄砲に走り去った少女の背中を追って、猛然と駆け出した。




