第18話
如月夜 視点
賑やかな会場の喧騒が遠ざかり、静まり返った市長の執務室の前。命ちゃんが長いドレスの裾を器用に捌きながら、壁に背を向けて廊下の様子を窺う。
「夜お姉ちゃん、市長はさっき別の部屋へ行ったみたい。今なら中に入れるよ」
「ええ、急ぎましょう」
私たちは音を立てずに執務室のドアを開け、中に滑り込んだ。重厚なマホガニーの机、敷き詰められたペルシャ絨毯。一見すればただの豪奢な部屋。だけど、部屋の奥に進むにつれて、私は心臓が冷たくなるほどの、あの忌まわしい『人喰い』と同じおぞましい気配を感じ取っていた。
「夜お姉ちゃん、これ……!」
命ちゃんが本棚の裏に隠されていた、不自然な隙間を見つけた。隠し扉だ。その奥にあった小さな隠し金庫を開けると、そこには裏金の帳簿と共に、おぞましい赤黒い文字で書かれた、古びた羊皮紙の束が大量に保管されていた。
「これって……黒魔術の実験資料……!? なんで市長がこんなものを持ってるんだよ!?」
命ちゃんが驚愕に声を潜める。資料の頁を捲る手が、恐怖で震えた。そこに記されていたのは、市長が自らの地位と裏金を維持する見返りに、人喰いの人体実験に協力し、帝都の若い娘たちの『人攫い』を裏で完全に黙認・手助けしていたという最悪の汚職の証拠だった。さらに、資料の最深部、血で汚れた地図の記述が、私の目を釘付けにする。
「……帝都の地下、巨大空洞。そこに、すべての人喰いを生み出す『邪神』が眠る……万魔殿がある……っ!」
恐怖に息が詰まる。アマツの言ったことは本当だった。そして、この街の長である市長は、自らの欲のために人喰いと手を組み、八雲さんたちを謀って人喰いに消させようとしていたのだ。
「誰だァ、そこでコソコソと何をしている!!」
突如、執務室の扉が激しく開き、市長が数人の護衛を連れて戻ってきた。その瞳は狂気と欲望に濁りきっている。
「見つけたよ、如月のお嬢様に、鍛冶屋の小娘。……お前たちのその美しい顔、最高の人体実験の素材にしてくれるわぁ!」
「――っ、命ちゃん、走って!」
私は命ちゃんの腕を引き、黒魔術の資料を強く抱きしめると、市長の制止を振り切って、真実を八雲さんたちに伝えるために猛然と走り出した。
私は命ちゃんの腕を引き、黒魔術の資料を強く抱きしめると、市長の制止を振り切って部屋を飛び出した。豪奢な迎賓館の廊下を、ブルーの振袖とイエローのドレスを振り乱して必死に駆ける。背後からは市長の怒号と、護衛たちの荒々しい足音が迫っていた。
「ハァ、ハァ……! 夜お姉ちゃん、こっちの非常口から外へ――」
命ちゃんに誘導され、夜の帳が下りた迎賓館の裏庭へと飛び出した、まさにその時だった。暗闇の中から、カツン、カツンと聞き覚えのある硬い足音が響き、一人の男が姿を現した。
「剣さん……!? 来てくださったのですか!」
私は救世主の登場に胸を撫でおろしかけた。しかし、彼の切れ長の瞳に宿っていたのは、私たちが知っている静かな闘志ではなく、反吐が出るほどどろりとした『化け物』の笑顔だった。
「……あぁ、来てやったぜ、お嬢さん。さあ、その抱えてる邪魔な資料を俺に渡しな。そうすれば、優しく喰ってやるからよぉ」
「え……っ、嘘……」
男は顔を残酷に歪め、オロチそっくりの下劣な笑い声をあげて、鋭い爪を剥き出しにして私へと手を伸ばしてきた。
「剣さん!?」
恐怖に身体がすくみ、命ちゃんが「夜お姉ちゃん、下がって!」と前に飛び出そうとした、まさにその直前。
「そこまでだ――ッ!!」
闇を切り裂く青きレーザーブレードの閃光が、偽物の剣さんの腕を強烈に弾き飛ばした。光の粒子から実体化したのは、漆黒の装甲を纏った八雲さんだった。さらに、背後からは石動さんが息を切らせて駆けつけてくる。
「チッ、また邪魔が……!」
偽物の剣は舌を打ち、一瞬にして黒い霧となって夜の雑獄へと逃げ出してしまった。
「八雲さん……石動さん……っ!」
「無事で何よりです、お嬢様。……深神様、お嬢様が持っておられるその資料は……」
石動さんの言葉に、八雲さんがバイザーの奥の瞳を鋭く光らせる。だが、僕たちが安堵したのも束の間。迎賓館のほうから、けたたましいホイッスルの音と、市長の大声が帝都の夜空に響き渡った。
『曲者だァァッ!! 如月夜と絆万命が、復興のための機密資料を盗み出し、市長を暗殺しようとしたぞ! あの二人は帝都を揺るがす大罪人だ! 一に早く捕らえ、指名手配にしろォォォッ!!』
自らの悪行がバレたことを察した市長が、先手を打って私たちにすべての「濡れ衣」を着せてきたのだ。
「……なるほど。合理的に考えて、これは最悪の展開だね」
八雲さんはデバイスを握りしめ、静かに、しかし激しい怒りを込めて言い放った。真実を伝える間もなく、私たちは帝都中から追われる身となってしまったのだった。




