第16話
帝都の復興が進むなか、僕たちにはもう一つ、絶対に果たさなければならない合理的かつ、情に熱い仕事が残されていた。大戦の犠牲となった人々のための、共同墓地の建立だ。
「……せーの、よし。配置、完了だ」
書生服を泥に汚しながら、僕は測量機代わりのスキャン機能を使って、墓石の傾きを一ミリの狂いもなく微調整していた。隣では袖をまくった彼が、持ち前の怪物じみた腕力で、重厚な石碑を軽々と地面へと据え付けていく。その少し離れた場所では、夜さんと命ちゃんが、新しく建てられたお墓の前に、白菊の花を静かに供えていた。
「お父ちゃん。……アタシ、絶対に負けないよ。お父ちゃんが魂を懸けて繋いでくれたベルトは、アタシが最高の道具に叩き直した。だから、空から安心して見ててな」
黒髪ショートヘアを揺らし、まだ父親を失った寂しさを瞳に宿しながらも、命ちゃんはきゅっと唇を結んで気丈に笑ってみせた。その隣で、夜さんがおっとりとした、しかし慈愛に満ちた眼差しで、そっと彼女の肩を抱きしめる。
「ええ、銀次さんもきっと喜んでおられますわ。……さあ、命ちゃん。いつまでも悲しんでいては、天国のお父様も安心できません。今日は我が家で、石動さんがとびきりの御馳走を用意して待っています。たくさん食べて、元気を出しましょう!」
「……うん! ありがと、夜お姉ちゃん!」
お墓の横で、烏丸は、その二人の姿をじっと見つめていた。おやっさんを自分の身代わりに失い、己の無力さに一度は完全に折れ、冷え切っていた彼の瞳。だが、恐怖に怯えながらも街の人々のために気丈に振る舞い、前を向こうとする夜のひたむきさ。そして、大切な父親を殺されながらも、血の滲むような想いで自分のベルトを懸命に強化してくれた命の覚悟。その二人の魂に、彼の凍りついていた心の火が、静かに激しく再点火していくのを、僕は隣で確かに感じ取った。
悲しみを区切り、明日への闘志を燃やす。その日の夜、如月邸の広々とした居間には、甘辛く香ばしい極上の香りが満ち溢れていた。
「お嬢様、皆様。特上の牛肉と新鮮な野菜をご用意いたしました。本日は『牛鍋』にございます」
銀髪を整えた石動さんが、見事な霜降りの肉が盛られた大皿を恭しくテーブルに運んでくる。鉄鍋のなかで、割り下がじゅうじゅうと心地よい音を立てていた。
「わあ、美味しそう! ほら、烏丸さん。お肉をたくさん召し上がってくださいな」
「……あ、あぁ……」
テーブルの端で、居心地悪そうに、相変わらず生真面目な顔をして座っていた彼は、夜さんから差し出された小皿を前に、完全に気圧されていた。
「夜お姉ちゃん、肉はアタシに任せな! 鍛冶屋の火加減さばきで、最高の状態に育ててあげるから! ほら烏丸、お前も箸を持ちな!」
「……命ちゃん、お前は少し肉を育てる火力が非合理的だ。炭水化物と脂質に対して、ビタミンと食物繊維の比率が足りない。石動さん、春菊と椎茸をあと三割ほど投入して――」
「これこれ八雲! せっかくの牛鍋に無粋な計算を持ち込むんじゃないよ!」
命ちゃんに呆れ顔で小突かれ、僕は肩をすくめる。夜さんはそれを見てクスリと品よく笑い、女子トークを再開した。そんな僕たちの賑やかな喧騒を、彼は箸を置いたまま、じっと静かに見つめていた。その手には、命ちゃんが命懸けで叩き直してくれた『真滅災ノ輪』が、大切に握られている。
「……おい、烏丸」
僕が声をかけると、彼は切れ長の瞳をこちらに向けた。
「……何だ」
「今日くらい、その強面を緩めたらどうだ? 君は僕たちの命の恩人であり、一緒に戦った仲間だ。……そういえば、夜さんや石動さんには名乗ったらしいけど、僕の前では、まだちゃんとした自己紹介を聞いていないなと思ってね」
僕の言葉に、夜さんも命ちゃんも、箸を止めて彼を見つめた。部屋を、鍋の湯気だけが優しく包み込む。彼は少し気まずそうに視線を落としたが、やがて、ぽつり、ぽつりと、その胸の内を静かに語り始めた。
「……烏丸、剣だ」
その響きに、僕はどこか腑に落ちるような感覚を覚えた。
「俺の家系は……古くから、人喰いと戦い続けてきた一族だった。だが数年前、あのオロチの手によって、俺以外の家族、一族はすべて皆殺しにされた。……俺だけが生き残った。それからは復讐だけが、俺の生きるすべてだった。家族が遺した書類を漁り、霊峰の奥深くから、あの古代のベルト『滅災ノ輪』を探し出した。命を削ろうが構わなかった。奴を地獄へ送れるなら、それでいいと……」
剣はそこまで言うと、一度言葉を詰まらせ、僕と命ちゃん、そして夜さんの顔を順番に見つめた。
「だが……お前たちが、俺の命を救い、あの呪われたベルトを直してくれた。おやっさんが……命を懸けて、俺を繋いでくれた。……感謝する。お前たちがいたから、俺は、人間に戻れた。……それと、八雲。オロチから俺を、あの時……命懸けで救ってくれたこと、礼を言う」
孤高の復讐鬼だった男が、初めて口にした、不器用で、剥き出しの感謝の言葉。僕はふっと口元を緩め、静かに首を振った。
「お互い様さ、剣。僕の方こそ、アマツの部下に囲まれて限界だったあの時、君が来てくれなければ確実にやられていた。合理的計算の枠を超えて僕たちを救ってくれたこと、心から感謝しているよ」
男同士の、静かな礼の交換。その瞬間、僕たちの間に、もう言葉はいらないほどの確かな絆が結ばれた。 夜さんは優しく微笑み、剣の小皿に、さらにたっぷりと火の通った牛鍋を取り分けた。
「さあ、剣さん。お腹が空いたでしょう? 温かいうちに召し上がってくださいな。ここは、いつでもあなたが帰ってきていい場所なのですから」
「……あぁ」
剣は低く応じると、箸を取り、甘辛い割り下の染みた牛肉を口に運んだ。おやっさんが命を懸けて守ってくれた、自分の命。人の温かさ。それを噛み締めた瞬間――剣の動きが、ピタリと止まった。
ボロボロ。剣の瞳から、堰を切ったように、大粒の涙が溢れ落ち、静かに畳へと染み込んでいった。一族を失ってから、ずっと一人で、冷たい闇の中で復讐の刃だけを研いできた男。そんな彼が、数年ぶりに触れた、他人の温かさだった。
「……温かい、な……」
剣は声を詰まらせ、涙を拭おうともせず、ただひたすらに、愛おしそうに牛鍋を口へと運び続けた。それは、復讐の鬼が、本当の『仲間』を得た瞬間だった。
「たくさん食べてね、剣。アタシが打ったベルトは、もうお前の命を削ったりしないからさ」
命ちゃんが、自分の父親の死を乗り越えるように、力強く笑う。未来の異邦人、大正の令嬢、江戸前の職人娘、そして古代の戦士。交わるはずのなかった四人の絆が、大正の温かな食卓のなかで、確かに一つに結ばれた。




