第10話
如月家の地下室で見つけた一冊の書物『如月家秘録』。そこに記されていたのは、天握のアマツが放った「如月家が人喰いを生み出した」という言葉が、紛れもない最悪の真実であるという証明だった。石動さんから手渡された夜さんの母・明さんの手紙を懐にしまい、僕は地下室の地図にあった実験施設跡へと遠征する準備を整えていた。夜さんを絶望から守るため、そしてこの狂った因果を終わらせる情報を集めるためだ。
夜の闇が明ける前、屋敷を立とうとした僕の前に、コートを羽織った夜さんが静かに姿を現した。その翡翠色の瞳は、心細そうに激しく揺れている。
「……八雲さん、行くのですね」
夜さんは、僕の書生服の袖を震える指先でそっと掴んだ。
「最近の帝都は、なんだかずっと不穏な冷たい空気が満ちています……。アマツは、我が家が人喰いを生み出したと言いました。私は……あの言葉が、私を騙すための嘘だと信じたい。でも、石動さんの様子も、この屋敷の空気も、どこか何かがおかしくて……。まるで、得体の知れない暗闇が、私たちの足元に広がっているような気がするのです……っ」
夜さんはまだ、この屋敷の真下に広がる地下室の存在も、母の悲壮な覚悟も知らない。アマツの言葉の真偽の狭間で、ただ一人激しい恐怖と戦っているのだ。
「もし、あの化け物の言ったことが本当なら……。八雲さんまで、如月の呪いに巻き込まれて、遠いところへ消えてしまうんじゃないかって……それが、とても怖いのです……っ」
合理的に考えれば、真実をすべて打ち明けて警戒させるのが正解かもしれない。だけど、今にも壊れそうな彼女に「すべて真実だ、君の足元に証拠の地下室がある」などと突きつければ、彼女の心は完全に崩壊してしまう。僕は地下室の入り口がある屋敷の奥に夜さんの視線が向かないよう、わざと彼女の正面に一歩踏み出し、その視界を遮るように立った。
「……そんなことは絶対にないよ、夜さん。少し、僕のいた世界のことで、どうしても調べておきたい情報が見つかってね。如月家の噂とは何の関係もない、ただの僕の個人的な調査だ。すぐに戻る。だから心配いらないよ」
夜さんに地下室を悟らせないための、そして彼女を傷つけないための心苦しい嘘だった。胸の奥が鋭く痛む。夜さんは僕の嘘を完全に信じたわけではなさそうだったが、それ以上は何も言わず、諦めたように寂しく微笑んでそっと袖から手を離した。
「……分かりました。お気をつけて。私は、八雲さんが帰ってこられるのを、ずっと信じて待っていますわ」
そのひたむきな言葉を背中に受けながら、僕は一人、帝都の外へと旅立った。
数日後。僕は帝都から遥か離れた山奥、黒魔術信者たちの廃施設へとたどり着いていた。念のため装甲を纏い、静まり返った瓦礫の奥、埃っぽい地下空間に足を踏み入れたその時――暗闇から退屈そうな、上から目線の声が響いた。
「おや、ようやく来たかね。未来の装甲を纏ったハイカラな迷子くん」
ハッとしてブレードの柄に手をかける。そこに立っていたのは、大正の探偵のような奇妙な和洋折衷の服を着こなした男だった。着物の上から洋風のマントを羽織り、その顔には妖しく光る一枚の『片眼鏡』。
「君は……誰だ。合理的に考えて、こんな廃墟に人がいるはずがない」
「おや、つれないねぇ。私はただの、通りすがりのお節介さんさ」
男はすべてを達観したような薄笑いを浮かべながら、その手のひらから一粒の美しい『青色の宝石』を僕の前に突き出した。
「これは君への手土産だ。受け取りたまえ」
言われるがまま、左腕のスサノオデバイスを宝石にかざす。だが次の瞬間、バイザーの奥のモニターが激しい警告を発した。
『 警告:エネルギー波形測定不能。既存の全物理法則を逸脱した超密度エネルギーの集合体です 』
「なんだ……これ、は……!? 未来の科学をもってしても、一切の解析ができない……っ!」
「クク、今の君たちの文明では測れまいよ。それは魂を、そして神話を紡ぐ石だ。……さて、贈り物を受け取ったら、のんびり解析している暇などないよ?」
男は片眼鏡をキラリと光らせ、冷酷な事実を突きつけた。
「今すぐ帝都へ戻りたまえ。あそこは今、燃えている」
「燃えている……!? 何があったんだ!」
「二つの角を持つ、最悪の人喰いが動き出したのさ。街の有象無象はすでに皆殺し。君の大切な居場所も……今頃、血の海に沈んでいるだろうね」
心臓がドクンと激しく脈打つ。脳裏に浮かんだのは、笑顔の石動さん、もんぺ姿の命、そして、僕の嘘を信じて「待っている」と言ってくれた、あの夜さんの姿だった。
「みんな……待ってろ……っ!」
宝石の輝きに僕が目を奪われた、ほんの一瞬のことだ。
「では、健闘を祈るよ。未来の守り人」
その声を最後に、男はまるで最初から存在しなかったかのように、霧のように姿を消していた。僕は光の粒子となる限界速度で跳躍。大気を切り裂く超高速で、大切な人たちが待つ、燃え盛る帝都へと向かって猛然と引き返した。




