糠の声
ムジナ、をご存知だろうか。
主にアナグマ、あるいはタヌキやハクビシン、地域によっては山獣全般を指し、時に人を化かす事もある。
この話を聞かせてくれた方の、おばあさんが子供の頃の話。
子供の頃のおばあさん――ここでは仮にAちゃんと呼ぶ――の日課は、糠床をかき混ぜることだった。
ひんやりとして柔らかい糠の感触がお気に入りで、怒られるまでかき混ぜたりもした。こっそり味見できるのも良かった。
その日も、糠床をかき混ぜるため、Aちゃんが土間へ行くと、近所のおじさんが慌てた様子で駆け込んできた。
おじさんは奥から出てきたお父さんとなにか話し、また大慌てで出ていった。
何かあったの? とお父さんに聞いたが、お父さんは「なんもない」といって、おじさんを追いかけていった。
お父さんの手には鎌が握られていた。
首を傾げながら、Aちゃんは樽の蓋を開け、糠の中に腕を突っ込む。
ひんやりとした糠を、底からぐっと持ち上げかき混ぜた。
「うーわー」
糠の中から声がした。
聞き間違いと思いもう一度かき混ぜる。
「うーわー」
間違いなく糠の中から声がする。
ネズミの鳴き声のような甲高い声で、いかにも混乱し戸惑っているような悲鳴であった。
それがなんとも愉快だった。
Aちゃんは面白がって糠をかき回し、ついには「いい加減にしなさい」と、お母さんに怒られたという。
その日の夜、Aちゃんは夢を見た。
大きなイタチが、あぐらをかいて「かなわん、かなわん」と言いながら、しきりに体をこすっている。そんな夢だった。
翌日、疲れ切った様子で父親が帰ってきた。
「逃げられた」
なんでも、ムジナが出たのだという。
ムジナは山仕事をしている人のお弁当を荒らして、追い払われて里の方に逃げた。
里で悪さをされてはいけないと、男たちが総出でムジナを追ったが、もう少しで捕まえられそうだ、というところで見失ってしまったのだという。
お父さんは白湯を飲みながら口惜しそうにそう語った。
Aちゃんの糠床から声が聞こえたのは、それ一度きりだったそうだ。




