施餓鬼
30代女性、Aさんの話。
Aさんのご実家は寺だった。
ご住職であるお父様は大変に謹厳実直な方で、Aさんがなにか粗相をすれば、声を荒げることはなくとも、子供相手にとくとくと文字通りお説教をするのだという。
「ずっと正座してるのも辛かったけど、いくらありがたいとはいえ、お釈迦様の言葉なんて子供には難しすぎて」
カフェの窓際に座り、そう言って肩をすくめるAさんの前に、いちごパフェが運ばれてきた。いちごが好物だというAさんに対する取材報酬である。
さて、お盆の時期と重なるように行われる“施餓鬼”という行事があった。
「普段、お線香の煙や石ころしか食べられないような餓鬼を供養するためだよ」
お父さんはAさんにそう教えてくれたが、その後にされた六道輪廻の話は、さすがに覚えられなかった。
施餓鬼の前の日から、本堂の仏像の前に供物が並べられるようになる。
Aさんの故郷は地方の田舎なので、各々が自分の畑を持っており、そこで取れたものを供えていくのだ。
とくにAさんの目をひいたのが、フジさんと呼ばれる腰の曲がったお婆ちゃんの持ってくるいちごだった。
フジさんは苺づくりの名手で、寺にも毎年おすそ分けが来る。赤ん坊の拳よりも大きく、赤くてツヤツヤした立派ないちごは、見ているだけで口の中が甘酸っぱくなった。
その年も、フジさんのいちごが、お釈迦様の前に鎮座しているのを見つけて、Aさんは食べたくて食べたくて仕方がなかった。
無論、それがいけないことだということは幼いAさんも理解していたし、まんがいちお父さんに見つかれば長いお説教が待っている。
それに、供養が終われば、お供え物をつまみ食いできるのは寺の子の特権である。
Aさんはそれまで我慢することにした。
その夜、布団の中のAさんは、強い尿意に襲われて目を覚ました。
眠い目をこすりながら薄暗い廊下に出る。
トイレは本堂を挟んで寺の反対側にあった。長い廊下を歩いて行くと、本堂から何やら声が聞こえる。
「なむなむなむ……」
すわ泥棒かと身構えたが、それが拙いお経だとわかって安堵した。
仏様の前で経を唱える者が悪いもののはずがない。
おそるおそる暗い本堂を覗くと、夜空の薄明かりに照らされた小さな人影がみえた。
ガリガリに痩せた体と大きな頭、しょぼしょぼと生えた頭髪がそこに張り付いている。
餓鬼だ、とAさんは思った。
お父さんに教えてもらった通りの姿だ。
小さな餓鬼は仏様に向かって座り、体をゆすりながら必死に「なむなむなむ」と手を合わせている。どうやら涙を流しているようでもあった。
なるほど、これが供養というものなのかと、半ば感心していたAさんだったが、不意に自分がトイレに行く途中であったことを思い出した。
Aさんは逡巡する。
トイレに行くには開け放った本堂の前を通らなければいけない。
しかし、自分が姿を現せば、あの弱々しい餓鬼が驚いてしまうかもしれない。そうなればせっかくの供養を台無しにしてしまうかもしれない。
Aさんはトイレに行くのを諦め、部屋に戻って布団に入った。
しばらく布団の中で尿意と格闘していたAさんだったが、それでもいつの間にか寝てしまった。
次の日の朝、目を覚ましたAさんは「しまった」と思った。あれ程あった尿意が全くなくなっていたからだ。
しかし、慌てて布団の中を確認するが、布団も下着も濡れてはいなかった。
首を傾げながらもリビングへ行き、昨晩の出来事をお父さんに伝えてみたところ、お父さんは深くうなずきながら「餓鬼の中には糞尿しか食べられない者もいる」と教えてくれた。
「恩返しかもな」
良いことをしたと頭を撫でられながら、Aさんはとても複雑な気分であったという。
「恩返しなら、いちごを残しておいてほしかったですね」
と、好きなものは最後にとっておくタイプらしいAさんが、パフェのいちごを脇によけながら言う。
なくなっていたんですか? と少し驚いて私が聞くと、Aさんが憤慨した様子で言う。
「味だけなくなってたんです。水っぽいだけで全然美味しくなかった」
でも、とAさんが続ける。
「あんなに美味しいいちごを食べたら、また来年も来たくなっちゃいますよ。あの子、成仏できたんですかね」




