なまぐさ坊主
Dさんという元教師で70代後半の男性が話してくれた。
彼が少年期を過ごした地域には、そこかしこに“オガミ屋”という民間の祈祷師(Dさんは霊能者という言葉を使わなかった)がいたという。
失せ物から合格祈願、病気や痴話げんかまで。とにかく何かあればまず相談するところが、そのような民間の祈祷師であった。
今であれば宗教家や占い師などと呼ばれる者が、ひっくるめてオガミ屋と呼ばれていたのだという。
混沌の時代ですね。と私が口を滑らすと――
「そうでしょうか。それぞれの信じたいものが、それぞれの信じたいものの姿をしていてほしいと言うのであれば、いつでもどこでも違いはないかもしれませんよ」
と、なんとも冷静で元教育者らしい言葉が帰って来てすっかり恐縮した。
さて、庵を構えるオガミ屋がいれば、野良のオガミ屋もいたのだという。
そのようなものは、まず家の前でゴニョゴニョと呪いのようなものを唱え、家人が気づき声をかけると「お宅の家に良くないものが憑いていたので私が直ちに祓った」と確かめないようなことを言い、続けてその対価を求める、Dさん曰く“タカリ”と変わらなかった。
Dさんは、一度ならずも豪胆な御母堂が箒を振り回し、そういったタカリを追い払うところを目撃したという。
ある、風の強い日のこと。
Dさんは学校の帰りに散々寄り道して、家にたどり着いたのは夕方になった時分であった。
ああ母さんに怒られるなと、自業自得を棚に上げ憂鬱な気分で角を曲がると、自宅の前に人がいた。
傘をかぶり俯いていてたしかではないが、若い男のようであった。一見、托鉢のようでもあるが、衣が白いから僧ではない。
なるほどこれはタカリの類だ。
そう思ったDさんは、とにかく家に入りたかったのだが、戸口に男が立ちはだかっている。横を通るのも怖いし、相手をするのも子供では役に足りない。
仕方なく裏に回ると、お母さんが夕飯の支度をしていた。
叱りを受ける前に「変な人がいるよ」と伝えると、お母さんが箒を掴んで鼻息も荒く玄関へ向かう。Dさんは好奇心からその後ろについていった。
お母さんが玄関の引き戸を開けると、件の男はまだそこに立っていた。俯いていて、ブツブツとなにか言っている。
「なんの用かね!」
威勢のよいお母さんの問に答えるように、男が顔を上げた。
その顔を見てDさんは驚いた。
赤い唇と、小豆にのような真っ黒な小さな目と、それしかなかった。あとはツルリとして、まるで卵のようだった。
男が口を開ける。
「ぼーーーーーーーーーっ」
音が出た。
人の出せる音ではない。たとえるなら、酒瓶に息を吹き込んだときに出る、低い風切り音に似ていた。
口の中には何もなかった。まるで深い穴のように真っ黒だった。
「お母さん!」
思わずお母さんの袖にしがみついたが、当のおかあさんは「ええ、ええ、そうですか」と、まるで何かと会話しているように相槌を打っている。
子供ながらに「これはいけない」と、必死にお母さんの腕を引っ張るが、足に根が張っているかのように動かない。
いつの間にか、魚の腐ったような生臭い臭いで玄関がいっぱいになっている。
もうだめだ、と半ば諦めて再び男を見ると、男もDさんを小豆のような目でじっと見つめていた。
「しかと」
そう言うと、男はくるりと踵を返し立ち去った。
「あんた、なにしとるの」
腰にしがみついたまま呆然としているDさんを見て、お母さんが不思議そうな顔をしていた。
嫌な匂いもいつの間にか無くなっていた。
夕食の最中にその話になった。
白装束の男が妙なことを言って立ち去った。とお母さんが言う。
男は「社が壊れるから直してくれ」というような意味のことを、妙に古臭い言葉を使って言った。托鉢ではない、とも言ったそうだ。
お父さんは不審者という言葉に一瞬、怪訝な顔をしたが、その話を聞き「裏のお稲荷さんかもな。今度様子を見てやろう」といって晩酌をあおった。
次の日、大変な嵐になった。昭和34年9月26日、伊勢湾台風である。
幸い、Dさんの住んでいた地域の被害は少なかったが、小屋が吹き飛んだり看板が剥がれたりして、大人たちが後片付けのため忙しそうにしていた。
お父さんにくっついて、家の裏手にある小山に登る。中腹にある稲荷の小さな社は、たしかに壊れていた。
ただ、嵐で倒れたというより、何かに踏み潰されたようだとDさんは思った。
壊れた社は、腕のいい大工のお父さんがきれいに直したそうだ。
その男は、お稲荷さんだったんですかね、と私が聞くとDさんは
「さあ。でも、だったとしたらもう少しかわいらしい姿で来てほしかったですね」
と言いながらコーヒーをすすった。




