第89話
「――だから、それも電気で動くの。
電気が走ってるの!」
「足の付いた生き物なんか、でんきは。」
「違うよもう…」
夜の点呼が終わってから、浅倉さんにはもう一度部屋まで来てもらい、最低限の現代知識を説明していた。
非常階段で分かれた後、彼は周辺を軽く見回ってから、水月楼の屋根の上から見張りをしていたらしい。
そこから、中庭で"独り言"を喋る私を見つけて、声をかけてきたそうだ。
電話というものの説明は、非常に難航している。
声を遠方に届けるというこの発明が、どういう理屈なのかは私も詳しく知らない。
「遠くの人に、声だけ送れるの。
お手紙届けるみたいに!」
「大声で喋るんか?」
「もう!鎌倉時代にも電話くらいあったでしょ!
浅倉さんが知らないだけだよ!」
「いや、ないでしょ…」
浅倉さんは全く理解していないけれど、現代で動き回るにはそれなりに知識が必要になる。
電話について説明するだけでこれなのだから、一から十まで教えていられない。
数百年前の人物に、現代の科学技術は魔法かなにかに見えるのだろう。
「そんで、馬は?」
「馬はね、今は賭け事でしか走らないの。」
「さやちゃん、それ偏見じゃないかな…」
きりがないので、馬は絶滅したことにしておいた。
浅倉さんはとてもショックを受けた顔だけれど、話を強引に変えていく。
「浅倉さん、水月楼にはどうやって侵入してるの?」
「中庭からや。
そこから壁伝いに屋根まで登る。」
「あ、そうやるんだ…
それ、私でもできるかな?」
「あの立ち合いを見る限り、できんとは思わん。」
それなら、夜中にパトロールしても、締め出されることなく帰って来られる。
でもこれは一条さんに許可を取ってからにしよう。
太刀も預けたままで、私は戦力にならないし。
「いやいや、私にトーク送れば開けるよ。」
「…それ、採用!」
ちーちゃんは冷静だなあ。
「しかし、攻めは教わってなかったんか。
そこだけは、二流の立ち合いやった。」
「やっぱりそうかあ…
つるさんが許可してくれなくて、結局そのまま出てきたから…」
平和な世界に帰るから、攻めの技術はいらないだろう、というのがつるさんの言い分だった。
本音は、私に前に出て欲しくなかったというものかもしれないけれど、こんなことになるとわかっていたらな…
あのつるさんでも、今の状況は予測不能な事態なんだ。
「ちなみに、どこがだめだった?」
「膝から太刀を抜く折、傷を広げとったら一流や。」
うわあ…
でも、それが合理的か。
「また教えたる。今日はもう休め。」
非常階段から、また去っていく浅倉さん。
楽土の剣士は睡眠を必要としないし、休息も食事もいらない。
あ、でも、浅倉さんにはなにかご馳走したいな。
必要ないだけで、楽土でも食べ物はあったらしいし、口にしている人もいたはず。
黄泉戸喫はこっちでは関係ないし、美味しいものを食べさせてあげよう。
お母さんに、話の途中で通話を切った件を謝り、布団に入る。
現時刻は、十一月 二十二日 二十二時 四十八分。
消灯時間は過ぎているけれど、生徒たちには正直あってないようなものだ。
明日は、浅倉さんとパトロールしていいか、一条さんに確認しよう。
疲れたなあ、今日…
部屋の明るさで目が覚める。
窓から入る日光が、優しく起こしてくれたようだ。
「うおっ。」
私の布団にまで、ちーちゃんが入り込んで来ていた。
すぐ目の前に、穏やかに眠る彼女の顔。
…寝相、悪いね。まだ朝食には早いのだろうか。
現時刻は、十一月 二十三日 七時 四分。
身だしなみを整えていれば、いい時間になるだろう。
「おう。起きたか。」
「ん?」
部屋の隅に、正座をするしかめっ面の大男。
…浅倉さんだ。自由すぎるでしょ、この人…
「ちょ、見つかったらどうするの!」
「そんな間違いはせん。」
「いやいや、監視カメラとかあるんだって現代には…!」
この水月楼の客室付近にはないと思うけれど、どこか他の場所に侵入するなら、警戒しなければならない物第一位だ。
古いといっても、この旅館のセキュリティは緩すぎる気がする。
「ちーちゃん、起きて。朝ごはん行くよ。」
「んー…おはよ…
あれ、おはようございます…?」
浅倉さんの姿を見て、寝ぼけたちーちゃんは反射的に挨拶をしている。
「おう、茅陽。」
「浅倉さん、どこかに隠れててよ。」
この数日、部屋から出るタイミングが殆どない生徒が大半で、布団の用意は自主的に行うように、先生からは連絡を受けている。
部屋の掃除は最低限あるけれど、従業員の方と鉢合わせさせるわけにはいかない。
「…屋根におる。」
なにか引っかかる。
そういえば、浅倉さんはかなり軽装というか、薄着だ。
なんだ、寒いから入って来ていたのか。
「浅倉さん、これ使って。」
「なんや、重い羽織やな。」
私の物ではないけれど、ベージュのコートを渡しておく。
屋根の上は、遮る物がない分、とても寒いだろう。
「着るだけで暖かい、現代の防寒具だよ。
また、ご飯食べたら呼びに行くね。」
また非常階段から出て行くかと思いきや、三〇一号室の窓をおもむろに開ける浅倉さん。
…ここから入ったんだ。
窓の外から器用に壁を伝い、簡単に屋根まで登ってしまった。忍者みたいだ。
朝食を摂っていると、えりちゃん先生が周囲の生徒に連絡事項を伝えた。
また放送があるそうで、いつも通り九時には部屋にいればいいそうだ。
足止めされてから今日で二日目となり、生徒たちの不満はどんどん溜まっていく。
なにか改善されるといいけれど…
まあ、もし帰れるとしても、私は帰るつもりはない。
問題を解決するまでは。
「浅倉さんって、面白い人だね。」
食べながら、ちーちゃんは話題を振ってきた。
以前楽土の話をした時、浅倉さんのことはほとんど話してはいなかった。
私も長く一緒にいたわけではないからだ。
「意外と天然、かもね。」
初めてしっかりと交流したけれど、本当は話しやすい人だったみたいだ。
今日も時間があれば、彼の話をもっと聞きたいな。
部屋に戻って少しした所で、ちーちゃんが声を発した。
見ると、自分のリュックを開いている。
「どうしたの?」
「これ、持って来てたの忘れてたなあ。」
ちーちゃんが取り出したのは、薄紫色のチェキだ。
写真を撮ると、その場で印刷される物で、思い出の一枚がすぐに手に入る。
チェキ自体のデザインも可愛らしいし、人気商品だそうだ。
「写真、撮るタイミングなかったもんね。」
修学旅行の一日目、奈良公園で撮っていたのを見たけれど、そういえば写真自体は見せてもらっていない。
「あれ、しおりちゃんとさやちゃんを撮ったの。
それで、しおりちゃんにあげたんだけど…」
…そうだったのか。
写真はしおりちゃんの荷物の中に残っているかもしれないけれど、それは彼女の家族の元へ帰らせてあげたいな。
「これさ、さやちゃんが持っててくれない?」
「え、私?」
意外な提案に驚いて、目を見開く。
「…持ってると、ちょっと辛い、かも。」
「…わかった。預かっておくね。」
思い出のある品だからこそ、今は手放していた方がいい。
ちーちゃんの心が前に進んだ時に、返しに行こう。
チェキはリュックに仕舞っておく。
『久喜北高校の生徒の皆さん、おはようございます。中山です。
本日、封鎖されていた東海道新幹線が、運行を再開したとのことです。
しかし、生徒の皆さん全員を乗せることができず、帰宅にはもう数日かかる見込みです。』
…新幹線が開通しても、百人以上いる学校関係者を一度に乗せる座席は、すぐに確保できるものではないという事か。
一部だけ帰して、残った生徒になにかあれば、それも大きな問題になるだろうし。
帰るなら一斉に、それが学校側の判断。
「なんかニュースの原稿読んでるみたい。」
ちーちゃんの評価はもっともで、用意された当たり障りのない文章を、感情を込めずに読んでいる風に聞こえる。
別に、それが悪いとは言わないけれど。
放送内容を要約すれば、まだ足止めです、というものだ。
数日後、学校関係者が引き上げたら、浅倉さんの拠点に移って行動を続けよう。
「ね、もう呼びに行く?」
「わくわくしてるねえ、ちーちゃん。」
歴史の生き証人に話を聞ける機会はとても少ない。
それが、数百年前の人物ともなれば、このタイミングしかないのは確実だ。
実際私も、浅倉さんの生前のお話は気になっている。
部屋を掃除すると、従業員の方がやってきた。
十分くらいで終わるらしいので、三階の中央ホールで待機する。
ここの自販機には、ホットの飲み物も何種類かある。
浅倉さんにお茶でも買って行こう。
掃除機の音が響く三階には、部屋から出た生徒たちが数人いる。
「旅館の人も、大変だよね…」
足止めされている学校関係者もそうだが、水月楼の従業員の方々も、この状況には振り回されている。
きっと他のお客さんの予約もあっただろうに、私たちのせいでキャンセルになってしまったのだろう。
三食毎日用意してくれているし、ちゃんと料金をお支払いしたい。
そこのところ、後から徴収するのだろうか。
掃除が終わり、部屋の窓から手を出してぶんぶん振る。
すぐに浅倉さんが器用に降りてきて、窓から入って来た。
ちゃんと草鞋を脱いで、部屋の入口まで持っていく。
「はいこれ、温かいよ。」
「なんやこれ。」
自販機で買ったホットの緑茶だ。
鎌倉時代のお茶事情はよくわからないけれど、高級品だったのは予想できる。
ペットボトルを開けて、手渡す。
「……ん、薬みたいやな。
なんの匂いや、これ。」
「お茶、飲んだことない?」
ほんのり苦味があるし、言われてみればお薬っぽい風味かもしれないな。
浅倉さんは驚いた様子で、ペットボトルのラベルを凝視している。
「これが茶、か。飲むのは初めてや。」
「現代のお茶、どうですか!?」
ちーちゃんは目を輝かせている。鎌倉武士の反応は…
「茶が子供でも容易く手に入れられるんか。
…豊かになったんやな。」
意外な感想だ。
彼女が期待していたのは、味の感想だろうけれど、しみじみとした浅倉さんの雰囲気を邪魔することはなかった。
少量ずつ口に含み、浅倉さんはお茶を飲み干した。
「浅倉さんの、昔のお話、聞かせてもらえませんか?」
ちーちゃんは意を決して、物思いに耽る浅倉さんに尋ねている。
「…それは構わんが、面白い話やない。」
「ふふっ…」
怪訝な顔を私に向ける浅倉さん。
…皆こう言うんだから。




