第87話
晴天の霹靂とは、こういうものだろうか…
まさか私が人生でこの言葉を使う時が訪れるとは、夢にも思っていなかった。
お別れ…死別したと、ずっとそう思っていた彼女が、楽土で生きてくれていた。
嬉しい……
ああ、やばいな。涙が、止まらない……
「もう会えなかったって言ってた、フランス人のお姉さん、だよね。」
「うん……
ぐすっ。そう、セラはね、すごいんだよ…」
「はぐれとったんか。
そんで、死んだ思うたわけか。」
その辺りの事情、説明する暇もないまま、こっちに出てきてくれたのだろう。
もう、永遠に会えないかと…
お腹を刺されて、囲まれていたのに、本当にセラはすごい…
でも楽土に行けば、また会えるんだ。彼女は私の心にずっといてくれた。
…なんだ、じゃあやっぱり。
石剣の男との戦いで、語りかけてくれた彼女の声は、幻覚だったんだ。
「会いたいなあ…」
「向こうで踏ん張っとるはずや。
渦を閉じる手立て、考えとけ。」
立ち上がり、刀を腰に差す浅倉さん。
「あ、帰るんですか…?」
ちーちゃんは少しだけ残念そうに、目を泳がせた。
廊下に人がいないことを確認して、非常階段まで早歩きする。
扉を開けて見送るけれど、そういえば連絡手段もない。
「あの、これから戦いがある時には、来てくれるんですか?」
「お前のことは、見とく。そう不安な顔すんな。」
「…うん。
また、素振りも見て欲しくて。」
薄く笑って、浅倉さんは夜の闇に消えていった。
なんだか、柔らかい態度で接してくれるようになったな。剣士として、少しは認めてくれたのかも。
彼は伏見の空き家を拠点としているらしく、夜毎に街で剣士を探してくれていたとのことだ。
「さやちゃん、立石くんに言ってたこと、本気じゃないよね?」
畳に座ってすぐ、ちーちゃんは確信があるといった表情で尋ねる。
「うん。脅しだよ。
ずっと私の影に怯えればいいって。」
「そっか…
私、実感ないんだ。もう、B組から七人もいなくなっちゃった…」
死亡者六人、逮捕者一人。正確には、逮捕はまだなのか。
ひとつの学校どころか、その内の一クラスから出る犠牲者としては多すぎる。
もう全国ニュースや新聞で取り上げられているだろうか。
伏見警察署が正式発表するまで、報道はされないのかもしれない。
「お風呂、もうすぐだね。」
時間を確認したちーちゃんが呟いた。
現時刻は、十一月 二十二日 十九時 二十五分。
混み合うだろうから、一番風呂はやめておく。
今日は戦闘もあったし、ゆっくり浸かって回復に努めたいな。
「あ、そういえば洗濯物は?」
「忘れてた!
えりちゃん先生に聞きに行こっか。」
二階の教員部屋を訪ねると、えりちゃん先生が洗濯物を預かってくれていたようだ。
十七時半頃に届いたとのことで、ちょうど私が戦っていた時間だろうか。
「真白さん、制服破れてるね。
裁縫道具でもあれば直せるけど…」
気にはなっていたけれど、この制服は私の戦闘にずっと付き合わせていたので、ぼろぼろだ。
最近は百均でも、縫い針と糸のセットが売っているし、外出ができれば簡単に手に入るだろう。
「…買いに行ったら、だめですか?」
石剣の男とマラフは死に、立石は連行された。
外出が絶対に安全な行動とは言えないけれど、以前より危険は少なくなっている。
…新しい剣士が、この周囲にいなければ。
もっとも、頼りっぱなしにするのは気が引けるけれど、浅倉さんは私を見てくれていると言っていたし、太刀を持っていない状況で剣士と遭遇しても、即死には繋がらないだろう。
――なんて、先生に説明できるわけもないけれど。
「…許可はできません。
帰るまで、外出禁止は続けるからね。」
なら、当てはひとつしかないか。
お風呂が混雑しているとの予想は的中で、教員部屋の奥にある大浴場からは、騒がしい声が届いて来る。
一旦部屋に戻り、ちーちゃんにも確認しておくことがあった。
「ちーちゃん、なにか必要な物あったら教えて。
まとめて買ってきてもらおうよ。」
「え、うん…って、誰に?」
「一条さん。」
「……さやちゃん、便利に使いすぎじゃないかな。一条さん、大怪我してるのに。」
…そうかなあ。
私は頼りにしているだけのつもりなのに…
ちーちゃんは、憧れの一条さんを雑に扱う私に、ちょっとだけ怒っているように見えた。
『あんた、私をパシリに使う気か?』
トークで内容を伝えると、呆れた様子の文章がすぐに返って来た。
『次に水月楼に来るタイミングでいいです。
急ぎません。あと、頼りにしています。
ちーちゃんも、よく懐いていると思います。』
『はいはい。
お金払ってな。一円も負けへんで。
一条配送センターのご利用、誠にありがとうございます。』
『茉琴だけに?』
『しばく。』
「あっははは!」
「なにしてんのよ、失礼すぎー。」
つるさんの影響でこういう冗談を言うようになってしまったけれど、案外楽しくていいかも。
つるさんもよく、私をからかって笑っていたな。
今は、帰って来てすぐの時よりも、彼女を身近に感じている。
部屋の外を、数人の足音が通っていく。
お風呂の混雑は、多少は解消されたかもしれないし、そろそろ行こう。
洗いたての着替えを持って、脱衣所で制服を脱いでいく。
「うわー、痛そう…」
「え、なに?」
ちーちゃんの視線は、私の身体に向いていた。
見ると、脇腹が真っ青に内出血している。
「やば…
急に痛くなってきたかも…」
「内出血って、お風呂大丈夫なのかな…?
さやちゃん、浸かるのやめとく?」
「血行が良くなれば、早く治るかも?」
腕を上げたりして、脇腹の筋が伸びると、突き刺すように痛みが走る。
大変な思いをして身体を洗い、湯船にじっくり浸かる。
湿布とか、効果があるんだっけ。
これも一条さんに…
いや、本気で怒るかもしれないからやめておこう。
「傷に染みない?」
「うん、打撲だけみたい。」
肌の表面には切り傷はない。運が良かったみたいだ。
湯船には、他の生徒も浸かっているけれど、私の怪我には気付いていないようだ。
太刀の扱いには大きく影響するかもしれないな…
「んあ〜〜〜。」
入浴で疲れがリセットされていくように感じる。戦いの後のお風呂、最高だなあ。
こうして気持ちよくお風呂に入れているのも、つるさんと浅倉さんのおかげだ。
ありがたいなあ。
「またおじさんみたいな声出してる。
お疲れさま、さやちゃん。」
「肩揉んで〜〜。」
「はいはい。
お客さん、お仕事なにされてるんですか〜。」
「あははっ!」
私はかなり身体が温まってきたようだけれど、怪我の治療のためにもう少し入っていてもいいかなと思う。
ちーちゃんは、眠くなってきたのか、表情から気が抜けて、うとうとしている。
「ちーちゃん、上がる?」
「うん、ねむい…」
今日は襲撃とその後の私の態度もあって、この子の精神には大きな負荷をかけてしまったな。
思ったより平気な様子で安心したけれど、可能な限りケアしてあげないと。
「お母さんに電話してくるね。」
「うん、先に寝てるかも。」
中庭に降りて、また通話をかける。
この石のベンチの冷たさにも、慣れてきたな。
『もしもし、さや?
今日は何もなかった?』
「えーっと…
いろいろあったよ、あはは…」
『…嬉しいこと?』
「すご!さすがお母さん!
今日ね、もう会えないと思ってた人に会えてね――」
「なにを一人でぶつぶつ喋っとるんや。」
「え?」
不意にした呼びかけに、声の主の方向を見ると、ベンチの脇に立つ大男がひとり。
……浅倉さんだ。空き家へ帰ったのではなかったのか。
『さや?誰かいるの?
電話、後でもいいよ。』
「あ、え、あのね!
お母さん、あのね!えっとね!」
「なに慌てとるんや。
さや、どっかで馬、調達できんか。」
馬あ!?
ただの高校生にそんなの用意できるわけないでしょ!
なによ、今お母さんと話してるのに…!
『先生?警察の方?
お母さん、挨拶した方がいいよね?』
「え、いや!大丈夫!
そういうの、気にしない人だから!」
「気にするわい。
町で動くなら、馬があると助かる。
…安心せえ、扱いには慣れとるし、夜中に動く。」
『気にするとかじゃなくて、さやがお世話になった人なんでしょ?
代わってくれない?』
「そんなこと言われてもなあ…」
目が回りそうだ…
「産地には拘らん、毛並みも好みはない。」
『お母さん、失礼な人だと思われたくないし、一言だけでも…』
好き放題喋ってくれるじゃん…
頭、おかしくなりそう。
「ごめん、またかけ直す…」
無理矢理通話を切って、浅倉さんの方を向く。
不思議そうな顔の彼は、まだ馬の話を続けている。
「…浅倉さん。
現代のお勉強、しよっか。」




