第86話
「…彼女は、もう、行ってしまったのですね。」
「ええ。
やはり、無事でおられましたね、せら殿。」
「お久しぶりです、セラ殿。
この広大な地で再び会えたこと、万感の思いです。」
*
あのハタケヤマとの戦いの後、三人に囲まれながらも、なんとか生還した。
しかし重傷で動くことは叶わず、体感で数日の足止めを余儀なくされた。
じわじわと、黒い水が背後から迫り、苦痛が身を苛む。
離れなければ…
傷が癒えてから、一人でこの果てなき楽土を彷徨い、上へ上へと昇った。
赤みを帯びた木造の建物を通って、建物の裏に出る。
ここは、大規模な戦闘の跡が残る石の橋だ。
…皆はここを通過したのだろうか。
十人程の男と、頭を丸めた女性の遺体を残す戦場を越えて、さらに奥へと進んだ。
サヤ…
泣いて、いませんか。苦しんでは、いませんか。
ごめんなさい。私が下手を打ったせいで、あなたの心に傷を…
あの子のそばにいてあげたい。
……会いたい。
単独で昇れば、サヤの休息分がある向こうより、私の方が速いはず。
けれど昇っても昇っても、建物を隅から隅まで探しても、どこにもいない。
走り続け、追い続け、一秒たりとも動きを止めずに…
どこにいるの、サヤ…
長い間彷徨って、建物が立ち並ぶ場所に出た。この建物の全てを探し回るなんて、現実的ではない。
けれど、この道沿いから入れる建物は、結局ひとつだけだった。
妙な造りの建物の中に、数人の変死体を発見した。これは、ツル殿でもイーゴン殿の剣でもない傷跡…
建物の屋上に出ると、この建物群は屋上から行き来するようだ。考えられない設計だが、動きを止める気はない。
何棟も渡り、見通しのいい風景の坂道が視界に入ってきた。屋上は行き止まりで、階段を降りていくと、ここからは一本道のようだ。
小さな水場のある坂道を、息を切らしながら走って登っていく。
「はあ…はあ…
まだ、まだ…!」
坂道を一心不乱に駆け上がり、見晴らしのいい丘の上に出た。
少し、少しだけ、息を整えて――
いや、こうしている間に、あの子に危険が迫っているかも。止まれない、休んではいられない。
「ああ…
あれが、あのピラミッド…」
前方、遥か遠くにあるのは、異国の建造物。
皇帝陛下の遠征のお話は、国中で大きな話題になっていた。
エジプトの王の墓、まさかこの楽土に…
――いけない。見惚れている場合じゃない。
今度は下り坂か。真っ直ぐ、道はピラミッドへ繋がるその一本しかない。
この中を、皆は通ったのか。
…もう、観光でもしているつもりか。しっかりしないと。
砂の地面に足を取られ、思うように進むことができない。
歯がゆい…!
地形なんかに邪魔されているなんて、腹が立つ。
天井から光が差し込む広場に足を踏み入れた。
誰か、血を流しもせずに剣士が倒れている。
…これも、ツル殿やイーゴン殿による攻撃ではない、か。
道なりに進むだけで、あっさりピラミッドからは出られた。
ここからまた、固い地面の上り坂。心が、折れてしまいそう…
歯を食い縛って、必死に坂を駆け上がる。肺が、破裂してしまいそうだ。これ以上身体を虐めるとどうなる?
はは、血でも吐くのか…?
「が…はあ…はあっ。」
すぐ先に橋があり、城塞都市のような、壁に囲まれた街が見える。
橋を駆け足で進み、前方に大きな石の門が現れてくる。
開けられる方法はあるのか、そう考えていた時――
大きな音がして、ここまで震動が届いた。なにか、建物が倒壊でもしたかのような地響き。
走りながら、考えを整理する。大規模な戦闘が、この先で起きている可能性がある。
どこからか、門を介さず都市に侵入出来れば…
そう考えていると、巨大な石門がひとりでにせり上がっていく。
どのような仕掛けが――
「あっ…」
「はあーっ…はあーっ!
……あ、ら?せら殿…?」
――ああ。
遅かったのか…
会えないんだ、もう、彼女には。
身体の力が抜けて、膝から崩れていく。
私は…会いたかっただけか…?
……いや、守りたかった。自分の手で。
来た道をそのまま引き返す三人の剣士。
ツル殿は、変わられたな。サヤが、彼女の心を良い方向へ導いたのだろう。
イーゴン殿は、どこか清々しい雰囲気になられた。騎士の誓いを、果たせたのですね。
「サヤ嬢は、セラ殿の喪失の影響で、一時的に極めて危ない状態でした。
…しかし、それを乗り越え、力強く成長した。
会えば、きっとお互い驚くでしょう。」
「そうでしたか…
最後に見たあの子の顔が、忘れられません。
私の不手際で、彼女を傷付けてしまっていたのですね…」
あの泣き顔の原因は、当然私だ。
悲しみを乗り越えた…
そうイーゴン殿が断言する以上、サヤはたくましく成長したのでしょうね。
まるで、華が咲くように。
過保護はもう、お終いにしなければ。
「せら殿。
あの折、我が判断は誤りではなかったと、今となっても思います。
されど…そなたを置いてあの場を去った由、心残りでした。」
「本当に、変わられましたね。
あなたの危うさが、いつかサヤを傷付けるのではと、考えていたこともありました。
けれどツル殿は、サヤに救われたのですね。」
「救われた…
そう、やもしれぬ。あの子に、我ら三人は魂を救われたのですね。」
死者が死後の世界に紛れた生者によって、魂を救済される、か。
担がれた無力な少女が、こんな結果を生むとは。
…あの時、イーゴン殿を追ってよかった。
時間はかかったけれど、ツル殿がいつも休まれていた寺社まで戻ってこれた。
ここで、サヤの怪我を診て、包帯を巻いたな…
刃物による傷ではないと見抜き、その異常性を知った。
「戻ったか、お前ら。」
「あら。
浅倉殿もこちらに?
…なにか、あったのですか?」
アサクラ殿の顔色というか、表情は曇っている。不穏な空気だ。
「来てみい。
さやに関わる話かもしれん。」
一斉に息を呑む私たち三人。
あの子に、なにかあったというのか…?
浜辺にいたならず者の集団に、突然斬りかかったアサクラ殿。
加勢して、集団を蹴散らしていく。十人以上いた剣士は、瞬く間に壊滅状態だ。
「…よく、知らせて下さいました。
浅倉殿、この渦は他にも?」
「いくつか見つけとる。
さやが帰ったゆえの”ひずみ”なんか…」
空気が歪むように、渦巻いている。
この楽土に起きた、なんらかの現象なのか。
サヤが、生きたまま現世に帰還した影響が、これだというの…?
「ここに飛び込んだもんが、消えたんを見た。
行き先は、わかるな?」
「現世への道…まさか…
サヤ嬢の世界へ繋がった道が、いくつも現れてしまったというのですか!?」
「剣士が平和な時代に出れば、市民が危険に晒される…
サヤは、あの子は、止めるために必ず動く…」
そういう子だ。
あの子は、ただ帰りたかっただけだ。
ただ、人の力ではどうにも出来ない現象に巻き込まれて、辛く苦しい旅路を終えて、やっと帰れたというのに、まだ戦いを続けないといけないなんて。
あの子が、なにをしたの…!こんな理不尽な目に遭うなんて、酷すぎる…
「いごん殿、せら殿、我らで渦に近づく者を阻みます。
浅倉殿、他の渦の位置を。
東郷殿と松吉も、見つけなくては。」
アサクラ殿は、既に発見した三つの渦の位置を詳細に説明した。
目の前のを入れて、計四つ…
まだ発見できていない渦もあるだろう。
「我らが全て揃えば六人、渦はそれ以上かそれ以下か…
先に二人を探しますか、ツル殿。」
「ええ、いごん殿、よしなに。
されど、我らは五人のみ。
…浅倉殿、さやを頼みます。」
…驚いた。
あのツル殿が頭を下げて…
アサクラ殿も、狼狽えるように半歩後退した。
「お伝え願う。
”容易く戻るでない”と。」
「…私からは、”よく視なさい”と。
アサクラ殿、どうか、あの子をお願いします。」
「…任せい。」
便乗する形となったが、彼からサヤへ私の生存が伝われば…
少しでも、ここからであっても、彼女を支えてあげられたら、なんて。
自惚れだろうか…
「さやなら…
渦を閉じる手を、知り得るやもしれません。されど、それは…」
「言伝は確かに。行くぞ。」
あっさりと、行ってしまわれた。
サヤ…会いたかった、けれど。
今の私は、あなたに依存してしまう。きっと、あなたの邪魔になる。
…だから、ここで信じて待ちます。
あなたの時代を守ることが、あなたを守ることに繋がる。
なら、私の役目は決まっています。




