第85話
水月楼の玄関前には、辻野さんが仁王立ちしていた。
「お・か・え・り。」
「あー…あはは。
戻りました、辻野さん。」
「労わって欲しいわあ、辻野くうん。
私、デスクワークもしばらくできへんしなあ。」
三角巾で釣った左腕を擦り、一条さんがわざとらしい芝居をする。
「一条、ほんま、覚えとけよ…」
無理矢理旅館から出て行ったことで、辻野さんには学校側に苦しい言い訳をさせてしまったようだ。
とても疲れた顔をする彼には申し訳ないけれど、殺人犯を止めたのだから大目に見て欲しい。
辻野さんは私を見て、妙に驚いた表情を浮かべた。瞬きを繰り返している。
「さや、あの”彼”、中庭か非常階段がええかな。」
「あ、はい。
ありがとうございます。」
「茅陽、怖いし不安やろうけど、さやが付いてくれてるから安心しい。
私に電話くれてもええからね。」
「はい、一条さん。
お大事に!」
勧進橋公園から私たちを送ってくれた車は、一条さんを乗せて去っていく。
辻野さんは引き続き警備をしてくれるらしいけれど、浅倉さんのことは伏せておく。
楽土関係の話は、彼にはしていないし、そんな説明をする体力はもう私にはない。
とにかく、ちーちゃんを部屋で休ませたい。
「もうすぐご飯だけど、食べられそう?」
三〇一号室に上がらせて、畳に座らせる。
「…いつものさやちゃんだ。」
「ごめん、怖がらせて。
もう、一緒にいるの、嫌?」
「ううん、嫌じゃないよ。でも、心配。
私は怪我してないけど、さやちゃんはいっぱい蹴られて…
大丈夫なの?」
…この子、たくましくなってきたかも。
私の身体は鈍い痛みに襲われているけれど、動けない程ではない。
あれだけの実力者を相手に、打撲のみで済んだのは幸運だった。
「うん、平気。
ちーちゃん、無事でいてくれて、ありがとう。」
「なにそれ、ふふ…
あ、でもさやちゃん。鼻血の跡、すごいよ。」
「…早く言ってよ!」
部屋の洗面所で顔を洗っていると、夕食を伝えるチャイムが鳴った。
なんとか、奇麗になった。
トイレの外で待ってくれていたちーちゃんと、一階に降りていく。
「真白さん、佐山さん、戻ってたのね。
急に出ていくから、驚いちゃった。」
えりちゃん先生には事後報告となってしまったけれど、私たちが出て行った後に、辻野さんから説明があったようだ。
どういう説明をしたのかわからないけれど、先生の態度を見るに、あまり心配はされていなかったらしい。
ちーちゃんと一条さんが襲われた件も、知らないままみたいだ。
夕食時のB組の空気は、変わらず暗いものであったけれど、皆はもう狙われている危険からは解放された。
あとは、悲しみを乗り越えるだけだ。
昼食を抜いていたちーちゃんは、よく食べている。
私も食欲が出ていて、いつもより早食いしてしまった。
「さっきの、浅倉さん?
待ち合わせしてないよね?」
三〇一号室に戻ってすぐ、ちーちゃんがそう言った。
確かにそれはそうだけれど、多分屋根の上とかで待ってくれているのではないだろうか。
なら、中庭に行けば発見してくれそうなものだ。
問題は、寒い中庭で長時間話すのは難しそうということだけれど…
「非常階段から入ってもらえば?
ここで、お話すればいいじゃん。」
「いと賢いですね、ちーちゃん。」
「なにそれ?」
廊下に誰もいない事を確認し、非常階段まで二人で歩く。
「二回ノックしたら、開けて。」
合図を決めて、扉から出る。一瞬、強い風が吹いて、髪が流れた。
「おう。」
「わ、ここにいた。」
少し降りた踊り場に、浅倉さんが待っていた。
もう少し探すことになるかと思っていたけれど、手間が省けたようだ。
コンコンと二回扉を叩き、すぐに内側からちーちゃんが開けてくれた。
「あ、すぐ見つかったんだね。」
「うん、とりあえず部屋に。」
襖を閉め切り、敷居にはまたキャリーケースを置く。
不意に開けられるのを避けるためだ。さて…
「…浅倉さん。
聞きたいことがいろいろあるんですけど。
まず、私の味方で、いてくれるんですか?」
根本的な話だけれど、一応確認だ。
私は、浅倉さんが無償で協力してくれるのが当たり前だとは思わない。
「……味方、か。それで構わん。
奥白石から、お前の助けになったれと、頭を下げられとる。
無下にはせん。」
つるさんが…
そっか、あの人には本当に、何度助けられているか…
「ありがとうございます。
それで、どうやって現世に来たんですか?」
これが最も不可解な点だ。
楽土から、死者が出たい時に出られるなんて話は聞いたことがない。
つるさんは浅倉さんを派遣して、私を助けさせてくれた。
楽土から出る方法が、わかっているみたいに。
「お前が帰った後、楽土には"渦"がいくつもできたようや。
そこに入ったら、現世に出た。」
「…大きな鳥居がある場所に出た。間違いない?」
「おう。
渦から入って鳥居のそばに出た。
楽土では、奥白石らが"渦"を守っとる。
これ以上ならず者がこっちに出てこれんようにな。」
「つるさん、そんな大変なことを…」
これで仮説はある程度証明された。
私が往復した、楼門前のポイント。仮にこれを”特異点”と呼ぶけれど、渦から入った剣士はそのポイントから現世に漏れ出てしまう。
つるさん達が防衛する前に、その渦に入り込んだのが、石剣の男やジャヤラヴァ、マラフだったのか。
いくつか渦は存在するなら、いくらつるさんでも一人で守り切るのは難しいだろう。
イーゴンさんも、別の渦を防衛してくれているのだろうか…
「どうやって渦を閉じれば…」
「それはわからん。
奥白石は、お前ならわかるかもしれん言うとったけどな。」
過大評価だよ…
解明出来ない楽土のルールの中でも、とびきり特殊な状態にあるのが、現在の状況だ。
生者が生きたまま、雷光の試しをすり抜けて帰った場合、現世へ繋がる裂け目が各所に出来た。
これを閉じる方法は…?わかるはずない…
「しっかし、今がおれの生前から何年経っとるのか知らんが、信じられん光景やのう。
昼みたいに明るいしなあ。」
「そういえば、浅倉さんって何時代の人なの?」
「え、さやちゃんも知らないんだ。」
こういう話をする前に、道が分かれてしまった私たち。
彼があの時、どういう理由で離れて行ったのか、いつか知ることができるだろうか。
「…蒙古いうのは、わかるか?」
「もうこ…元寇のこと!?」
「モンゴル帝国の?」
ちーちゃんと二人で驚いた。
歴史の授業で習った、鎌倉時代の大事件だ。
「蒙古いうんは、二回攻めて来よったんや。
その二回とも、おれは戦に出とる。
……三回目には、出れんかった。」
元寇で、モンゴル帝国は二度、日本に攻めて来た。
三回目は、なかったはず。
じゃあ、二回目の戦で…
「えっと、じゃあ対馬とか博多とかの人なんですか?」
ちーちゃんは、歴史上の大事件に関わっていた浅倉さんに、興味津々だ。
普通に会話している様子を見るに、どうやら自動翻訳なしでも通じる程度の言葉ではあるらしい。
「生まれは博多や。
対馬には三年住んどった。
おれが対馬から戻った後に、蒙古に滅ぼされたんや。」
「え…そう、だったんですね。」
ちーちゃんの表情は固まってしまった。デリケートな話題だったようだ。
浅倉さんは九州の方だったんだ。
元寇当時の悲劇的な戦場に身を置いて、戦った。日本を守るために戦った鎌倉武士、か。
彼の人物像が、少しだけ見えてきた。
「それよか、さや。
お前に言伝や、奥白石と…」
「え!なんて!?」
嬉しい…!
つるさんが私に向けて、なにか伝言を残してくれたんだ。
「おう…。
”容易く帰って来るな”、や。」
「…そっか。
もう、つるさんってば…」
わかったよ。
簡単に死んでやらないから。
次に会うのは、当分先だよ、お姉ちゃん。
胸が、なんだか温かい。
「そんで、ばりえるからも言伝や。
”よく視なさい”、やと。」
「ん?誰?」
ば、なんて言った?ばり?
「うん?
仲良うしとったやろ。
お前の脚の怪我、よう診てた娘や。」
「ん?」
脚の怪我?
脚に怪我したのは、あの浜辺と、あとは…
石門の先の部屋で擦り剥いたくらいかな?
あれ?
話が食い違ってるような。
「あの娘の名前は言い難うてなあ。
せら、にいる、か。」
「ん?セラ?」
ばりえ…
あ、ヴァリエールか。
「おう、覚えとるやないか。」
「セラから?いつ伝言もらったの?
お別れする前…うん?」
「渦に入る前や。
浜辺で、奥白石とえいごんと、大暴れしとったぞ。」
「……どういう意味?」
「話のわからんやつやのう。
お前が帰った後、奥白石ら三人に頼まれて、おれはここに来たんや。
渦に入る前に、言伝を預かったいう話や。
わかったか?」
え、全然わかんないけど…
「それ、時系列おかしくない?
まるで、まだセラが楽土でつるさんたちと一緒に…」
「やから、何回も言うとるやろが…」
え。
え?
え…
ん?
「せ、セラ!生きてるのお!?」




