第80話
五人目の標的は、私。
攻めてくるポイントがわかれば、対処のしようもあるだろう。
難しい顔で考え込む一条さんは、しばらく閉じていた口を、ようやく開いた。
「あなたは、警察が守ります。
ですが、いつかは剣で倒さなければいけない。」
「はい。
私を狙ってくるなら、太刀をそばに置いていないと。」
戦うことに迷いも恐怖もない。
現世で戦った二人の下劣な剣士とは違い、あのマラフは無差別殺人はしなかった。
でも、B組の仲間を四人も殺した張本人だ。
来るなら来い、相手になってやる。
「あ、そういえば。
九時には、一度あなたを部屋に戻して欲しいと、牧田先生から言われていました。
私も報告があるので、ここまでにしましょう。」
「また放送、かな?
今日はこれから、どうするんですか?」
「ずっとではありませんが、水月楼にいます。
警護対象もいることですし。」
警護対象、か。
また、守られる側になってしまったのか。
一条さんによると、業者さんの出入りなどの場合を除いて、水月楼の裏口は基本的に施錠したままになるらしい。
正面玄関の外に二人、館内に二人。計四人の警官が付いて、警備してくれるということだ。
「私と辻野くんは館内の担当です。
ここ何日か出入りしているので、生徒も変に思わないでしょう。」
確かに、一条さんを何度も目にしている生徒は多い。
他の警官の方が急に館内を巡回し始めたら、なにも知らない生徒たちは余計に不安に思うだろう。
警察は、生徒たちの精神状態をよく考えてくれている。見習いたいものだ。
会議室にスマホの着信音が鳴り響き、一条さんがすぐに通話を始める。
「え、どういう…?」
驚愕の声を上げる一条さんが、目を見開いている。
私と目が合い、彼女は表情を引き締めた。
通話を終え、一条さんが言葉を整理するように、口元に手を当てて考え込んでいる。
「……昨日の男の凶器、あの剣の所在確認が取れないそうです。」
「え、失くなった、って意味…?」
ジャヤラヴァが、警察署に侵入して剣を取り返したということか…?
いや、あの男にはそんな技量も度胸もない。
では、誰か他の警官が、凶器を調べるために持ち出しているのでは。
「証拠品は、持ち出すのに申請手続きが必要で、必ず記録が残ります。
それがないまま、保管室から消えた…」
「まだ外に出して、調べてるんじゃ…?」
「保管室内にあったのは、当直と担当刑事が確認していたそうです。
最後の確認から次の確認までの間に、所在確認が取れなくなった…
始末書では済まされない失態です。署内で問題になるでしょう…」
記録上、保管室から誰かが持ち出したのではないのに、紛失したという。
私としては、職員の方と監視カメラを欺き、盗み出した誰かがいたとは思わない。
……あれは、楽土から現世に渡った物だ。超常的なルールが、あの剣に適用されていても不思議はない。
剣が持ち主の元へ帰ったとか、楽土へ送還されたとか。楽土に戻ったなんて、確かめようもない話だけれど…
こんな事、一条さんはともかく、ほとんどの警察は信じないだろう。
頭を抱えた一条さんに軽く挨拶をして、部屋に戻った。
ちーちゃんは、やっぱり熟睡中だった。せっかく梳かした髪も、また散らかり放題だ。
「爆睡じゃん…」
部屋に備え付けられたスピーカーからノイズが鳴り、すぐに放送開始を伝えるチャイムが鳴り響いた。
『生徒の皆さん、おはようございます。中山です。
近隣のクリーニング店に、皆さんの着替えを洗濯して頂けることになりました。
皆さんには、これから順番に洗濯物を出してもらいます。
先生が袋を配りますので、九時半までに担任に提出して下さい。』
念願の洗濯をしてもらえるらしい。
よかった、自力で水洗いするところだった…
百人越えの生徒の洗濯物はかなりの量だし、提出期限まで三十分しかないのは、全部洗うのに時間がかかるせいだろう。
しかし、そこそこの音量の放送だったけれど、ちーちゃんの目は覚めていない。
洗濯物だけは自分でまとめてもらわないと、私にはわからない。
「ちーちゃん、起きてー。」
身体をゆすって、無理矢理起こしてみる。
「なあに、さやちゃん…」
「ちーちゃん、自分の洗濯物集めて。
クリーニングに出してくれるんだって。」
「ん…そうなんだ…」
私の言葉を理解しているのかわからないけれど、寝ぼけながらもなんとか起きてくれたようだ。
えりちゃん先生が、衣類を入れる袋を部屋に届けてくれた。
中身がわからないような、黒いビニール袋だ。名前を書くタグが一緒に留められている。
ペンを取り出して、クラスと名前を書いていき、もうひとつの袋に佐山茅陽、とついでに記入した。画数多いなあ。
「これで全部かな?」
「うん、これだけー。」
「はい、じゃあおやすみ。」
「もう起きてるよ!」
洗濯物は、一階に提出すればいいらしい。
女子と男子ので籠が分けられていて、袋の色も男女で違う。
水月楼の玄関の外に、業者さんのワゴン車が停車していて、集まり次第持って行ってくれるようだった。
「あ、一条さん、今日もいるー。」
「おはようございます、佐山さん。」
ちーちゃんは、一条さんによく懐いているというか、彼女の警察官としての仕事ぶりに尊敬の念を抱いているようだ。
一条さんは、玄関横のソファに腰掛けながら、スマホで文字を打っている。お仕事中だろうか。いや、ここにいる時点でお仕事中なのは間違いない。
「これ、なんですか?」
ちーちゃんは、ソファの横に寝かせられた竹刀袋に気が付いて、一条さんに尋ねている。
周りには他の生徒もいるので、あまり目立たせて欲しくはないけれど…
「警察の秘密兵器、といったところです。」
「わあ…」
目を輝かせて竹刀袋を凝視するちーちゃんだが、中身が太刀であると気がついていないようだ。
楽土では時間がある時、素振りをするようにしていたけれど、ここではそうはいかない。
もっと手に馴染ませておかないと、格上の相手に勝てる確率がさらに低くなってしまう。
洗濯物は全員分提出されたようで、ワゴン車に積み込まれていく。
今日の夕方頃に仕上がり、また運んで来てくれるそうだ。この人数分がそんなに短時間で仕上がるなんて、業務用の洗濯機というのはすごいパワーなんだな。
一階に集まっていた生徒たちも、徐々に解散していく。
「一条、三階異常なし。」
後ろから声がして振り返ると、辻野さんがいた。
順番に館内を巡回してくれているようだ。
違和感に思ったのは、辻野さんが一条さんを呼び捨てにしたことだった。
てっきり、彼は一条さんの後輩なのかと思っていたけれど…
「え、ああ。
辻野くんとは、警察学校の同期なんです。
歳も同じなので、私はくん付けで呼んでいるだけですよ。」
「後輩に見えてたの?
真白さん、やっぱり警官には向いてないかもなあ。」
辻野さんは、少し悔しそうな態度だ。
「あー、なんとなく、警察学校では一条さんの方が成績良かったのはわかるかも…」
二人の力関係でいうと、一条さんの方が少しだけ上な気がしている。
水月楼で仕切っていたのは彼女の方だし、指揮が一条さん、実働が辻野さんといったイメージが、私の中でもう既に組み上がっていた。
「お!お見事やね。」
「さや、正解。
やっぱり、向いてるわ。」
「え、名前で呼んでる!」
ちーちゃんは、羨ましそうに私を見ている。
この何日か行動を共にしている内に、一条さんは自然と名前呼びをしてくれている。
「私も名前で呼んじゃおうかなー。茉琴さんって。」
「…別にかまへんけど、人前ではやめて欲しいわ。」
「いつの間にそんなに仲良くなったのよー。」
ちーちゃんの警察官への憧れは、一条さんの影響が大きいようだ。
私とちーちゃんの二人で、本当に警察官を目指していけたら、それもいいな。
まだ当分、先の話だけれど。
辻野さんはもう一度館内を巡回するそうで、一階の奥へと歩いていった。
裏口はもう施錠されているけれど、用心に越したことはないというわけだ。
一条さんの隣のソファにはちーちゃん、テーブルを挟んで向かいには私が座っている。
「さや、あの瓦、覚えてる?」
「かわら…?」
「あのコインパーキングのそばで、私のすぐ横に落ちた瓦やんか。」
「ああ…」
ジャヤラヴァを取り逃がす原因にもなった、あの瓦か。
不意に背後からした音に、一条さんになにかあったのかと思い振り向いた。
しかし、駐車場の向いにあった家屋の屋根から、瓦が落ちただけだったのだ。
それに気を取られている内に、あの剣士には逃げられてしまった。
「あの時瓦が落ちたのは、偶然やなかったみたい。」
「勝手に外れて落ちたんじゃないんですか?」
「違う。
屋根の上に、人の足跡があったって、検視から上がってきててな。」
「関西弁ー。」
ちーちゃんは、話についていけないのもあって、退屈そうだ。
一条さんは、ジャヤラヴァとの戦いのことを、声のトーンを落として説明していく。
――瓦が落ちた原因になった誰かが、屋根の上にいた。
ジャヤラヴァが逃走したタイミングで、その人物も移動して、瓦を蹴飛ばした…
マラフか、他の剣士か…?
ただの一般人が、屋根の上に登って見物していたとは考えにくい。
「へえ…
本当に、さやちゃんが倒しちゃったんだ…」
「そうだよ。でもあいつ、どこに隠れてるんだか…」
…改めて考えると、やはり腑に落ちるのはこれだ。
石剣の男の死体と凶器は、一ノ峰には残っていなかった。
もし、楽土から漏れ出た剣士が死んだ後、その死体と剣が現世から消えるとすれば…
「あの直剣が消えたなら、ジャヤラヴァも死んだ可能性がある…」
「妥当な考えやね。
屋根の上におった人物が、もし他の剣士やったんなら、その誰かが倒したんかもしれへん。」
「私たちを無視して、ジャヤラヴァを追ったってことか…」
一体、何人の剣士がこの京都に潜伏しているのか。
この戦いは、いつ終わりを迎えるのだろう。
でも、そんなことを考えるより、今は立石くんとマラフの事件に集中しないと。




