第79話
起床時間となり、水月楼は徐々に動き出していく。
昨夜のこともあり、館内で被害に遭った人がいないか気になってしまう。
けれど、あの後出入り口の施錠は迅速に行われたらしい。
これだけで安全だというのも、相手を侮り過ぎているかもしれないけれど…
マラフが暗殺者なら、できる限り人目を避けるはずだ。
私が彼を見つけたのは、マラフにとっては想定外だったのだろう…
目撃者を消さないあたり、彼はかなり慎重に標的探しをしていると思う。
館内に警戒している人間、つまり私がいることで、侵入を諦めたのか。
「ん、真白か…
今日は朝食前に点呼だから、部屋にいなさい。」
「おはようございます。中山先生。」
とても疲れた顔の先生。しっかりと休めてはいないようだ。
部屋に戻ると、ちーちゃんの掛布団がまた大きくはだけている。
起床時間を過ぎているし、もうすぐ朝食だ。
ちーちゃんの頬を指でつついて、起きるかどうか試してみる。
「朝ごはんだよ〜。」
「むう……」
「ふふっ、なに、むうって。」
ちーちゃんは大きな欠伸をして、上体だけ起き上がったまま目を瞑っている。
かなり疲れていたようだし、長風呂のおかげもあって、よく眠っていたな。
「起きてるかな?」
外から聞こえたのは、えりちゃん先生の声だ。
朝食前の点呼だろう。
「はーい。起きてます。」
襖を開けて、先生が部屋に入る。
えりちゃん先生も、目の下に隈ができている。
「真白さん、佐山さん、いるね。」
「もう、食堂行ってもいいんですか?」
「うん、名簿にも丸つけてね。」
先生はそのまま次の部屋に向かったようで、振り向くとちーちゃんは座ったまま眠っている。
仕方なく、ちーちゃんのリュックからブラシを取り出し、髪を梳かす。
すると、荷物の中に、今となっては懐かしい物を見つけた。
ちーちゃんが修学旅行に持って来た、チェキだ。
一日目、奈良公園にいた時、これで写真を撮っていたな。
「ほら、朝ごはん行くよ。」
「ふわあ。………うん。」
やっと目を覚ました彼女の手を引いて、一階まで降りていく。
食堂前の名簿、彼の名前の横には、やはり丸は付いていない。
立石くんは、昨夜戻らなかった。今頃、先生たちはまた大慌てだろう。
結局のところ、マラフと立石くんの関係はわからないままだ。
毎日、朝食のメニューは変わっている。
本当なら、今日も生徒の人数分を用意するはずではなかったのに。
食事は気にしなくていいと旅館の方は言ってくれていたけれど、この水月楼には本当にお世話になっている。
来年のお盆、ここにお母さんと泊まるのもいいかもしれないな。
黙々と朝食を摂るB組の皆の中でも、昨日の事情聴取に参加したメンバーの表情は、特別暗いものとなっている。
四人が亡くなったことを知っているのは、あの場にいた私たちだけだ。
パニックの拡散を防ぐため、辻野さんは事件を公表しないよう、生徒たちに言い含めていた。
私は、用意してもらった朝食を味わいながらも、さっさと一条さんに昨夜の出来事を共有したかった。
隣を見ると、ちーちゃんはもりもりとご飯を食べ続けていた。
白ご飯とお味噌汁をおかわりして、またぱくぱくと口に運んでいる。
食が細い方だったのに、たくましいものだ。
部屋で寝なおすと言うので、ちーちゃんには一人で戻ってもらった。
会議室に直行してノックをすると、中から一条さんの声がした。
「あ、起きてたんだ。」
「あんたほんま、ええ加減にしいや。」
私のこういうからかいは、つるさんの影響が強いと思う。
一条さんは、にこやかな笑顔で答えてくれるので、嫌という感じではないけれど、あまり言い過ぎるのはよくないな。
「よく眠れた?」
「うん…
正直、館内にまだあの男…マラフがいるかと思うと不安だったけど…」
「マラフ?」
「そう、名乗っていて。
敵意が無かったみたいで、名前を聞いたの。」
一条さんは、衝撃を受けているようだ。
「あんた……ほんま、度胸あるなあ。
あ、いや、それより…」
こういう部分が、私を警官向きと評価してくれるポイントなのだろうか…
「中東系の人の言葉なんて、よく聞き取れましたね。
駐車場で戦ったあの人物とも、会話していたようでしたし。」
「………ん?」
ん?
あれ?
あ、あー!
「自動、翻訳だ…」
うわあ…私、二回目だよこれ…
頭の中で、歯車が噛み合ったような感覚がした。
なるほど…マラフが言っていたのは、このことだったのか。
「どうしたの…?」
「一条さん、ジャヤラヴァ…あの剣士の言葉は何語かわからなかったんですよね。」
「ええ…
人種から、インド辺りの言葉だとは推測してたけど…」
そういうことか…
ジャヤラヴァもマラフも、日本語を翻訳して聞き取れてはいる。
けれど、楽土の自動翻訳が機能しない相手には、話す言葉は翻訳されないまま耳に届く。
だから一条さんには通じなかったんだ。
このルール通りなら、剣士同士か、楽土にいた私との間でしか意志の疎通ができないはず。
『あの男も、言葉が通じなかった。』
あれは、そのままの意味だったんだ。
だけど、それなら…誰がどうやって暗殺の依頼を…?
言語は通じない…
まさか、スマホアプリで翻訳でもしたっていうの?
"この人たちを暗殺してくれ"って…?
「あのー。
一人で納得せんといてくれへんかなあ。
説明が欲しいわあ、お姉さん。」
「あ、ご、ごめんなさい!」
楽土に属していた、または今も属している扱いの私と、漏れ出た剣士には、ある程度は楽土のルールが適用される。
「――なので、一条さんには言語が理解出来なくて当然で、私も多言語を理解しているわけでもないんです。」
「そんな都合のいい話…」
「楽土にいた頃、イングランドとフランス出身の仲間とは、普通に会話できていました。
千年前の日本、平安時代の仲間とも。」
このルールを私が理解したのは、旅の後半部分だった。
それまで違和感なく会話していたのが、自動翻訳のおかげと知った時には、とても驚いたものだ。
「なら、あなたが深夜の非常階段前で聞いた言葉も、翻訳だったかもしれないって事?」
「あと二人…
そうですね。あの時、私には意味がわかっていた。
でも、扉の外にいたもう一人には、理解できていなかったはず。」
「それなら、殺人を依頼した人物も、全容は把握していない可能性もあります。」
「やっぱり、騙されたり、脅されたりしてるのかも…
立石くんがいないのも、標的になってしまって――」
「いいえ、協力者は立石直人で間違いありません。」
私は言葉を失った。
これまで明言を避けていた警察側は、彼を容疑者とは扱わなかった。
けれどこの瞬間、一条さんは正式に、立石くんが犯人だと断言したのだ。
確かな根拠がある。そう思わざるを得ない。
「マラフの身体的特徴に該当する人物と、別の男性が同行している所を、伏見の監視カメラが捉えています。
そのカメラの写真が、これです。」
テーブルに出されたのは、かなり荒い画像の写真だった。
薄暗い道で歩く、二人の男。
一人がマラフなのは、実際に見た私からすれば疑いようがない。
そして、もう一人…
「……立石、くん。」
「牧田先生には、この人物が立石直人だと、確認済みです。」
立石くんが、本当に…?
どうして…
「これ…いつ撮られた写真ですか?」
「昨晩、二十時頃です。
場所は、水月楼より北側の住宅街。」
「じゃあ、昨日は、立石くんの指示で水月楼にマラフが…
そして標的は、まだ見つかっていない…?」
「教員の方に確認済みですが、今朝の点呼で、立石以外に不在の生徒はいない。
五人目の標的は、まだ殺されていません。」
五人目、誰が狙われているんだ。
思い出せ、昨夜のマラフは何を言っていた…?
『…この人物ではないか。
よく似ているように見えたが。』
よく、似ている…?
私と似ている誰か。
「さや、五人目の標的となる人物に心当たりは?
順当に行けば、またB組の誰かになる可能性が、最も高い。」
「……彼の動機が、どんなものかはわからない。
でも、もし私が警察に、立石くんが怪しいと告げ口したと思っているなら…」
マラフは、私を標的とは見ていなかった。
でもそれは、立石くんの説明と、現在の私の人物像が違っていたからだとすれば…
楽土に行く前だった時点での、立石くんの印象とはかけ離れていたとしたら。
「五人目の標的は……真白さや。
――私です。」




