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剣の楽土  作者: かが介六郎
第二部 現世の剣

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第78話

汗が止まらない。

これは、風呂上がりのせいではないだろう。

あの圧力、姿勢、目線、気配の消し方、かなりの手練れだ…

どうやって倒す。


いや、まずはそれよりも優先することが…


「ちーちゃん、大丈夫!?」


大浴場に戻って、彼女の無事を確認しなければ。


「え、なにー?」


浴場の扉越しに、呑気《のんき》な声が聞こえて、胸を撫で下ろした。

あのマラフが水月楼《すいげつろう》に現れたということは、事件がまだ終わっていないということだ。

五人目の標的となる誰かを、探していたんだ…


「どうしたのー?」


「のぼせてないかと思って、それだけ!」


一度館内を見て回ろう。

もし遭遇しても、同じような態度で接すれば、また出て行くかもしれない。

あの男、無差別な殺しはしないタイプだろう。

この水月楼に標的がいる。少なくとも、一人。

その人物しか眼中にないというのか。


すぐに、一条さんに通話をかける。

またすぐに呼び出すみたいで、本当に申し訳ないけれど、こっちが後手に回るわけにはいかない。


『一条です。

…さや、またなにか?』


「ほんっとにごめんなさい、あの、ついさっき――」


ことの顛末を、早口で説明していく。

一条さんは声に疲れが出ていたけれど、事態を重く捉えてくれているようだ。


『…まずは、よく無事でいてくれました。

警察から水月楼に連絡して、今日の施錠を前倒しにしてもらいます。

応援を二名、旅館に送って警備をさせましょう。』


「で、でも、相手は剣士だし、危険です。」


『わかっています。

だから、”長物”が必要でしょう?』


え、まさか…


「い、一条さん、また来るつもりですか?」


『うん、私があれを預かってるんやからね。』


話がわかる人だな……

本当に、この人には頼りっぱなしだ。


『館内を捜索するのは待ちなさい。

それと、その不審人物の特徴を簡単に。』


「ゆったりした黒い服とフード、口元も布で隠してました。

顔立ちは中東系っぽくて、腰には金色の鞘の短剣。」


『了解、こちらで対応します。

……やっぱり、警官向きやね、さや。』


そ、そうかなあ…

一条さんは、手続きが長引くとのことで、彼女の到着前に旅館の出入り口は施錠されるらしい。


『長物の持ち出しは、なんとかします。

私の上司にはこの件、ある程度は伝えていますから。』


「わかりました。

部屋で待ってるので、また連絡下さい。」


通話が切れて、廊下はまた静まり返る。

でもちょうどいい。考え続けろ、倒す方法を。


「あれ、待っててくれたの?」


「長風呂だね、ちーちゃん…」


とにかく、この子が無事で良かった。


部屋に戻り、時間を確認する。

現時刻は、十一月 二十一日 二十二時 七分。

今日の出来事を、ちーちゃんに共有しながら、私自身も整理していく。


今日は、昼前に一条さんと伏見稲荷大社に出かけて、状況を説明しながら一ノ峰(いちのみね)まで登った。

途中、楽土の説明を駆け足で行い、楼門《ろうもん》まで戻ってすぐ、ジャヤラヴァと交戦した。

あの男を取り逃がしたけれど、警察に追われて身動きが取れないだろう。

旅館に戻って、四人が行方不明になっていると発覚し、また一条さんに来てもらって事情聴取をした。

そこで、立石くんに疑いがかかり、ちーちゃんにも話を聞くことになった。

お母さんに電話した後、一条さんが帰っていって、私たちはお風呂に。

私だけ先に上がったところで、あのマラフと館内で遭遇したのだ。


「あの日本刀で、戦ったの?」


「うん、扱えるようになってきたかな。」


「へえ…

一条さんが持ってるんだ、今は。」


「お世話になりっぱなしだよ、どうお礼すればいいか…」


「警察官、かっこいいよね。」


私が戦闘をしたといっても、ちーちゃんはあまり驚いていないようだ。

この子も、感覚が麻痺《まひ》してきているのかも。

トークの通知音がして、スマホを取り出すと、一条さんからだ。


『もう少し時間がかかります。

出入り口の施錠と、鉄格子の固定、窓の戸締まりは完了しているとのこと。

今日はもう寝て下さい。朝方、また詳しく話をしましょう。』


館内にマラフがいないと仮定すると、これで安全だろう。

少なくとも今夜、侵入経路は封鎖されている。

でも、やっぱり不安だな…


太刀の持ち出しは、やっぱり簡単にはいかないんだ…

彼女がこんなに遅くまで働いているのに、先に寝るなんてできない。


「一条さん?なんて?」


「遅くなるから、もう寝てていいって。

でも、なんか申し訳なくて…」


「一条さんだって、全然休憩してないわけじゃないと思うよ。

朝になったら、今より元気かも。」


「……そっか、そうだね。」


照明を消して、二枚並んだ布団に入る。

ひんやりとした敷布団が、じわじわと暖かくなっていく。


「さやちゃん、今日はお疲れ様。また明日ね。」


「おやすみ、ちーちゃん。」


*


「あら。

なにを悩んでいるのですか、さや。」


あれ、つるさんだ。

ここは、ああ、あの滝壺だ。

なんでここに…

まあ、いいか。


「…えっとね、自分より強い相手に、どうしても勝たないといけない時、どうすればいいのかなって。」


「相手がそなたを侮《あなど》るならば、隙はあろう。

されど、そうでないなら、その者はまことの兵《つわもの》。

そのいと賢き智慧《ちえ》で、考えるのみです。」


「…それでも、無理だったら?」


「そなたは一人ではありません。

我らが常に、傍におります。」


「ええ。私たちは、あの歳黒《さいこく》を相手に勝利したのです。

自信を持ちなさい、サヤ嬢。」


「まずは、視ることです。

そして、相手の手癖を見抜き、待つのです。焦ってはいけません。

私の戦いを覚えていますね、サヤ。」


「……うん。

皆がいれば、負けないよね。」


そっか。

皆、私を見てくれている。

だから、きっと大丈夫だ。


*


「ん…」


窓から差し込む太陽の光が、私を夢の世界から遠ざけた。

……ああ、もっと長く、皆の夢を見ていたかったな。

隣を見ると、ちーちゃんは私の方を向いて、くうくうと寝息を立てている。

しかし、上半身が完全に掛布団から出てしまっていた。

布団を整え、時間を確認する。アラームは設定していたはずだけれど、それより前に目が覚めてしまったみたいだ。

現時刻は、十一月 二十二日 六時 三十七分。


ちーちゃんを起こさないように、そっと身支度を済ませる。

今日は、もしかすると戦いになるかもしれない。

ヘアゴムを使い、髪を後ろで縛り、ローポニーテールにしてみる。これなら、動きやすそうだ。


音を立てずに廊下に出て、階段を降りていく。

一条さん、もう来ているだろうか。


「あらあ、早起きさんやねえ。」


「おはようございます。」


二階で旅館の清掃をしているお婆さんと会った。

最初ここに忍び込んだ時、大浴場の掃除をしていた方だ。


「あの、警察のお姉さん、来ていませんか?」


「玄関の方はまだ見てへんけど、パトカーが外に停まってはるらしいよ。」


お礼を言い、一階に降りて玄関口まで早歩きする。

出入り口の扉の手前で、外に停まっているパトカーを見ていると、玄関のすぐ横にあるソファに座る人影を、視界の端で捉えた。


「あ…」


ソファにもたれかかって、一条さんが眠っている。

手には、スマホを持ったままだ。

テーブルには缶コーヒーが置かれていて、夜通しここにいたのだろう。

本当に、頭が下がる思いだ。


その横には、竹刀袋がある。

口を結束バンドで縛り、封印された太刀。

…大変だっただろう。でもこれがあれば、皆を守れる。


パトカーの運転席がここからでも見えて、そこには辻野さんが座っている。

出直すつもりで部屋まで戻ろうとした時、衣擦《きぬず》れの音がした。


「あれ、さや?」


「あ、ごめん一条さん。

起こしちゃったかな。」


「……見た?」


「見たよ、気の抜けた寝顔。」


「言うやないの。

はあ、これ、持ち出すのえらい苦労してんで。」


「ね、お友達にはなんて呼ばれてるの?

まこちゃん?」


「……あんた、ほんま覚えときや。」


「ふふ、あはは。」


わざとらしく咳払いをして、ここから一気に”警官モード”だ。

私も、気を引き締めて、一条さんと向かい合う。


「――改めて、よく無事でしたね。

詳しい話は朝食後にしましょう。私も、目を覚まして来ます。」


「はい。

じゃあ…八時くらいに。あの会議室でいいですか?」


「ええ。ではまた後ほど。」


玄関から外へ出て行こうとする一条さん。


「あの…太刀、置いていくんですか…?」


「……」


そのまま無言で引き返し、素早く竹刀袋を背負い、何事もなかったかのように出て行ってしまった。

あの人は、寝起きが弱いのかもしれない。

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