第72話
「一条さん、太刀を。」
「…動くな。
そこのお前も、動けば撃つ!」
「それ、なんだあ?」
考えろ。
両刃の直剣、太刀よりは短い。
インド系の人種、女だけか、或いは弱者を狙った殺し。
年代はわからないけれど、古ぼけた直剣を使う剣士で、多分楽土では弱い部類だろう。
自分より弱い相手しか狙わないような、下劣な雰囲気だ。
道沿いには広いコインパーキング、その向かいには瓦屋根の日本家屋がある。
車は一台も停まっていない。この規模のパーキングなら、満足に戦闘できるだろう。
「伏見三十四。
刃物男一、稲荷駅南、府道沿い、至急応援。」
「なにぶつぶつ喋ってんだあ、おら!」
来る。容赦なく。
一条さん、警棒――
硬い音が住宅地に鳴り響き、一条さんが直剣の縦振りを受けた。
男は驚いた顔で、呆けている。
「――その人に、触るなあ!」
男の脇腹を全力で蹴り、相手は体勢を崩して転がった。
追撃したい、でも太刀が。
いや、剣を奪おう。
無力化してから殺せばいい。
「動くな、さや!」
一条さんの怒鳴り声が、高速回転していた思考を停止させた。
彼女は銃を抜いて、構えている。
「絶対に射線に入らないで!」
一条さんは男が転がった瞬間に、長物を投げ捨てていた。
どうする…なんとかしないと。
弾が命中すれば、傷はなくても痛みは壮絶なものだろう。
怯ませて、なにもさせないというのは、できるかもしれない。
剣を手放すのもあり得るし、ここは任せるべきなのか…?
なにもできない自分に腹が立つ…!
不気味に嗤う男は、立ち位置を変えるように移動している。
私はゆっくりと足を動かし、”長物”の傍へ。
男から目を離さず、手探りで太刀を拾い上げた。
道沿いのコインパーキングの敷地内に、じりじりと男は横歩きしていく。
一条さんは、撃たないのか?
彼女の顔を見ると、苦い顔で汗をかいている。
「…ニッパーを。」
「下がっていなさい。」
「撃てないんでしょ!」
多分、そうだ。
住宅が近すぎて、あいつを撃てないんだろう。
辺りに住民はいないけれど、家屋に当たれば問題になるとか、そんな感じか。
わかるけれど、そんなこと言ってる場合じゃないんだ…!
「おいおい、来ないのかあ?」
…弱いものいじめしかできないくせに。
さっきの一撃、明らかに熟練者の動きではなかった。
「武器を捨てなさい、撃ちますよ!」
「そのちっこい鉄でなにが出来んだよ、おら。」
あいつが油断している内に、仕留めないとまずい。
こちらに自分を殺せる武器があると、悟られれば逃げられるかも。
最適なタイミングで抜かないと――
「遊んでくれや、おい!」
理解していないだろうが、住宅を背にしたまま突進してくる男。
「くっ!」
一条さんは拳銃を上げたまま、左手で警棒を構える。
一撃、受けられたけれど、もう何度もは無理だ。
案の定、受けきれずに転ばされてしまった。
この人は、絶対死なせない。
「うおっ、なんだあ、おい!」
小ぶりな石を投擲して、注意を逸らした。
頭に当たったのが相当気に入らないようで、私を睨みつけている。
「に、逃げなさい!さや!」
「ニッパーを渡して!
それが一番、私にとって安全なの!」
私の手元にある長物を凝視する彼女と、苛ついた顔でこちらを睨む男。
…殺意だけは一丁前だな、こいつ。
逡巡する一条さんの目が、弱々しく私を捉えた。
「…情けない。くっ、うう…」
弱音を吐く一条さんが、苦い顔でそれを投げた。
オレンジ色の持ち手のニッパーが空を切る。
顔のすぐ横でそれをキャッチした。左手で太刀を、右手にはニッパーを。
ぱちん、と音を立てて、結束バンドが弾け飛ぶ。
鞘は水平に、刃を外側に。
柄巻きをしっかり握り、硬い音を立てながら引き抜いていく。
竹刀袋の中から現れた、反りの深い白刃。
「…はあ?」
「楽土の習いにて。
真白さや。お相手仕る。」
だらしなく開いた口から、涎を垂らす男。
「お、前!
ぐう、剣士だったのか、くそ!」
「聞いてやるよ、名乗れ。」
動揺を隠せない男は、後ずさりを始めていた。
太刀を上げ、お構いなしに間合いを詰める。
「…ジャヤラヴァ、だ。」
「後悔しろ、ジャヤラヴァ。」
まずは、逃げられないように足回りを潰す。
一番得意な振り下ろしで、相手の癖を見る。
暗い住宅地に剣の硬質な音が響き渡っていく。
「ふっ、ぐっ、うおっ!」
受けが下手だ。
推測は間違ってなかったな。
身体の外側に軌道を逸らさなくてどうするんだよ。
もらったよ、ほら。
「ぐああ!」
肩から胸にかけて、袈裟斬りの軌道で一直線に傷がひとつ。
でも、浅い。
戦意が削がれる前に、動けなくしないと。
じゃあ、今度は攻めてきていいよ。
私を殺せると、今は思っててくれると嬉しいかな。
私は相手を馬鹿にするように、顔を歪めて笑った。
「ふふっ…」
「なんだあ、おい、お前え!」
わかりやすい奴だ。
しかし、めちゃくちゃに振り回す直剣の軌道は、ある意味読みにくい。
けれど、間合いの管理もなっていないし、足回りだけで回避出来る。
「っと!」
コインパーキングのロック板に、躓いてしまう。
…わざと転ぶのも、上手になったものだ。
「危ない、もう、逃げなさい!」
「ばかがあ!死ねおらあ!」
そう来ると思ったよ。
得意なのは、その適当な振り下ろしだけか。
でもそれ、外したらどうなるか、わかってるのかな。
尻もちをついた私に、正面から仕掛けて来るジャヤラヴァ。
頭を狙った軌道、縦振り、両手持ち、目線は自分の剣に…
右利き、わずかに軌道が左寄り、ということは――
「がっ!」
ジャヤラヴァの左足を蹴飛ばし、体勢の崩れた相手の縦振りは、私から見て右側に逸れていく。
そのまま、金属製のロック板へと、直剣が振り下ろされた。
前のめりに倒れ、剣は手から弾かれた。
もう終わりだ。
素早く立ち上がり、男を見下ろす。
右肩を突き刺して、抵抗できなくする。
「やめ、ろお…!」
穴の開いた肩を踏みつけ、頸を落とす軌道に振りかぶった。
「やめなさい、さや!
だめ、殺しては…!」
「うっ、ふひい…!」
肩を踏んだ右足が持ち上げられ、私はバランスを崩してしまった。
即座に構えを取り直し、手放した直剣へと走るジャヤラヴァを見据えた。
まだやれるか、でも利き手は満足には――
「なっ…!」
呆れて言葉も出なかった。
楽土の剣士が、自分の剣を置いたまま逃げ出したのだ。
「待て!」
駐車場の奥側にある住宅地のブロック塀をよじ登り、血を撒き散らしながら敗走していく男。
家屋の隙間に入り込まれ、その薄暗い空間の中では、もう目視できる位置にはいなかった。
その時、なにかが割れるような音が背後から――
「っ!誰!」
駐車場の敷地の外、私の背後に座り込んだままの一条さんのすぐ横に、屋根瓦が落ちていた。
――ああ、もう、なんなの!
闇に消えた男は、もうどこに行ったかわからなくなった。
この隙間で待ち伏せされていれば、太刀では分が悪い。
血痕を追えば――
「さや!長物を仕舞いなさい!
応援が、来ます!」
急に現実に引き戻され、太刀を納刀して竹刀袋に隠す。
パトカーのサイレンが、遠くから聞こえてきている。
「一条さん、怪我は…?」
「いいえ…
手首を少し捻ったくらい、です…」
暗い顔で唇を噛む彼女には、悔しさが滲んでいた。
拳銃を持ったままの手は、震えている。
太刀は彼女に預けて、私はその手を、応援の警官が来るまで握っていた。
「――被疑者は恐らく、金属板で裂創を負ったのではないかと…」
「あの、ロック板で躓いて、その時あの剣で斬っちゃったのかも…」
口裏を合わせて、現場の血痕の説明をする私たち。
一条さんは発砲していないし、警棒で受けたのみだ。
私が太刀で斬ったり刺したりというのは、伏せる意外にない。
肩から胸への一撃は、地面に血痕を残さなかった。
ロック板の近くで突き刺した際の、地面の血痕の説明は、かなり無理矢理だ。
けれど、一条さんも同様の証言をした以上は信じてくれるかも。
話を聞いてくれたのは、あの宮本さんだ。昨日よりも、さらに疲れた顔をしている。
「真白さん、大変やったね。
また署に来てもらうことになるかもしれんけど、今日のところはもう帰って大丈夫です。
車で送るから、安心して。」
「あの、一条さんも一緒に、いけませんか?
私、怖くて…」
宮本さんを騙すようで悪いけれど、一条さんとはまだ話すことがあった。
水月楼で少しだけでも、時間が取れるといいな。
太刀の処遇は、一条さんが管理する、という方向になりそうだった。
彼女は今回の件で、楽土の話に信憑性があると思ってくれるだろうか。
伏見署で太刀を管理して、もしもの時は私に使用許可をくれる、とか。
「これは、証拠品として署で預かります。」
騒然となる事件現場の真ん中で、一条さんが教えてくれた。
彼女が管理してくれるなら、とりあえずは安心していいか。
一条さんと、もう一人の男性警官と一緒に、水月楼まで車で戻る。
先生には警察から連絡がいったたらしく、また騒ぎになるのは想像がつく。
お母さんにもこの件は伝わっているようで、着信があったけれど、トークで返信しておいた。
『私は平気、怪我してないよ。今、パトカー。』
昨日と同じように、水月楼の玄関にパトカーが停車した。
あのジャヤラヴァは、警察に任せるしかない…
剣を捨てて逃げたのだから、もう簡単には人は殺せないだろうか。
一条さんは止めたけれど、やはり仕留めておきたかった…
「真白さん、今日は…情けないところを見せてしまって…」
「さやでいいですよ。
でも、私の話、信じる気になったでしょ。」
「はは…
さやは、ずっとあんなことをしてたんか。二ヶ月も…」
「一人じゃ、なかったから。
大切な仲間がいてくれたから、今の私があるんです。」
少しだけ砕けた関西弁で話してくれるようになった彼女。
これから事後処理に追われるらしく、あまり時間はない様子だ。
疲れた顔の一条さんは、また連絡するとだけ言い残して、帰っていった。
玄関から入ると、学年主任の中山先生が待ち構えていた。
「真白!おい、怪我してないか?」
「一条さんのおかげで、なんともないです!」
「そうか、よかった…
あとで牧田先生にも声をかけておくから、夕飯まで部屋にいなさい。」
そういえば、また昼食を食べ損ねてしまった…
意外と玄関には人込みがなく、部屋まではすんなり辿り着けた。
三〇一号室に戻ると、ちーちゃんが少し暗い顔で座り込んでいる。
「ただいまー。…どうしたの?」
「あ、さや、ちゃん…
あのね、私、心配で…」
涙ぐむちーちゃんに駆け寄り、手を握る。
「私は大丈夫だから、ほら、ここにいるよ。」
「うん…うん。
でも、それだけじゃなくてね…」
身体が震えている。
自販機で何か、温かい飲み物でも――
「王さんと、新島くん、昨日から帰って、ないんだって…」




