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剣の楽土  作者: かが介六郎
第二部 現世の剣

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第71話

伏見稲荷大社までは、二十分程度歩けば辿り着ける。

今回はパトカーで向かうのではないらしく、二人で徒歩なのだそうだ。


「近いですし、公用車は出払っているので。」


全車両が街中をパトロールに出ている、ということだろうか。

別に楽をして伏見稲荷まで行きたいわけではないし、服装も靴も奇麗な状態で歩けるのは歓迎だ。

一条さんは、これはあくまで任意の同行であると、強く言い含めている。

”長物”を彼女に預け、玄関にいた利根先生に任意同行の件を伝える。


「え…そうか、巡査さんと一緒か。

でも、なるべく早く戻れ。」


「私の責任で同行してもらいます。

遅くとも十七時には、帰らせるつもりです。」


責任という言葉に納得したのか、利根先生は手を振って送り出してくれた。

旅館から出て、太陽の光を浴びながら身体を伸ばす。

一条さんは、鞄から缶コーヒーを取り出して、渡してくれた。


「飲めますか?」


「え、いいんですか?

頂きます!」


キャップ付きの缶入りの、甘いカフェオレだ。

そういえば、水とお茶以外の、味の付いた飲み物を口に入れるのは、かなり久しぶりだった。


「お、美味しい…」


「…?

そんなに感動されるとは、奢《おご》った甲斐がありますね。」


少し飲んでリュックに仕舞い、伏見稲荷に向けて歩いて行く。

水月楼の前の道には人通りはあるけれど、どうにも少なく見えてしまう。

交差点にはパトカーが停まっており、警官が二人立って、睨《にら》みをきかせているようだ。

昨日、私が水月楼に忍び込むまで、他の警官には一切会わなかったけれど、時間が早かったからなのかな。


「…あの時間、ちょうど機動隊は配置入れ替えのタイミングでした。

それに、山の手に再展開していたのも重なって、あなたは見つからずに済んだ、というわけです。」


「機動隊…なるほど。」


凶悪犯やデモなどを鎮圧するという機動隊。

大盾を装備した彼らなら、楽土の剣士から手傷をもらうことはないかもしれない。

私に対処できる程度の底辺剣士くらい、訓練を受けた機動隊なら容易に拘束《こうそく》できるだろう。


「その、機動隊の人には、亡くなった方は?」


「…いいえ、いません。

機動隊員が殉職《じゅんしょく》するというのは、あなたが考えているよりも遥かに重い事態です。

もしそうなれば、我々もこんな風には動けなくなる可能性があります。」


警官が数人亡くなったのとは、規模が違うというのか…

昔、雪に閉ざされた山荘に、凶悪犯が立て籠《こ》もった事件があったらしく、お父さんがその事件を題材にした映画を何度も観ていたな。

私の機動隊のイメージは、あの映画によるものがほとんどだ。

けれど確か、あの立て籠もりは機動隊に犠牲者が出て、テレビ中継までされた大事件だったと聞いている。

今回の件、どこまで報道されているかわからないけれど、全国規模になる可能性は充分あるだろう。


奥社で倒れていた、あの男性警官のことを思い出していた。

勇敢に戦った、名前も知らないあの人は、一条さんと同じ伏見署にいたのかな。

こんなこと、一条さんも話したくないだろうし、もう口を閉じておこう。


「一条さん、帰りにコンビニに寄っていいですか?

ちーちゃんに、なにか甘い物でも食べさせてあげたくて。」


「私の立場からすれば、寄り道はあまりしたくありませんが…

数分のことですし、構いませんよ。」


「わ、ありがとうございます!」


話題を変えて、しばらく歩いていると、見覚えのある狭い道まで来た。

まだ規制線は張られたままで、二人の警察官が立っていた。会釈《えしゃく》をして、入っていく。

ここを行くと、もうすぐ大きな鳥居が見えてくるはずだ。

伏見の神さまには、しっかりとお礼を言いたかったので、また来れて良かった。

たくさんの人が亡くなった場所で、こんな風に思うのは不謹慎かもしれないけれど、私の怪我も治してくれたし、感謝が尽きない。


「お参り、してもいいですか?」


「伏見の人間として、お稲荷さんに敬意を払う人は歓迎しますよ。

しかし、入口から順に状況を聞いた後にして下さい。」


一条さんはお仕事で来ているのだから、それも当然だ。

遺体も血痕も、もうここにはない。

あの地獄の惨状を掃除した人には、頭が上がらないな…


楼門の手前まで来て、ある地点を注視する。

――ここだ。

このポイントから、恐らく私は楽土へ転移した。

そして、同じポイントから帰還し、ここに穴が空いたんだ。

見えない裂け目。

もし、同じ場所に足を踏み入れたら、どうなるのか…


「一条さん、試したいことがあって…」


表情を崩さないまま、一条さんは首を僅かに傾けた。


「…ここは、多くの遺体が残されていた場所です。

悪ふざけでもするつもりなら、許しませんよ。」


「そんなことしません。

でも、もし私になにかあったら、剣士の倒し方だけでも、忘れないように覚えていてください。」


彼女が眉をしかめた瞬間、そのポイントへ片足を乗せた。

背筋が、急に寒くなっていく。

これは、間違いない。

――楽土の気配、あの真っ暗な穢《けが》れに近いもの。

ここから繋がっているんだ…


「うっ…はあ…」


堪《たま》らず足を退けて、周囲を見渡す。

一条さん、鳥居、楼門、あの公衆トイレ。

…転移はしていない、か。


「なにを、したの?」


「…長い話、なので。

歩きながらでも、いい、ですか…」


体力を一気に持っていかれたような消耗具合と、荒くなっている呼吸。

けれど思考ははっきりしていて、考える余裕はある。

多分、このポイントは一方通行だ。

私を含めた生者は、ここから楽土へ入ることはできない。

死者は…どうだろう、帰れるならここに連行して無理矢理にでも押し込みたいけれど。

そのまま、遺体を発見したルートを辿っていくことになるが、一件だけ済ませておかないといけない。


「一条さん、これなんですけど…」


リュックから、警官が所持していたライトを取り出して、彼女に渡す。

同じ物を持っているであろう彼女は、すぐに察しがついたようだった。


「ここで亡くなっていた警官の方から、勝手に拝借《はいしゃく》していました。

本当に、すみませんでした。」


頭を下げて謝罪する。

緊急時だったとはいえ、遺体から物を盗むなんて、到底許されないことだ。


「正直に申し出てくれたのには、感心します。

…これは、私の先輩の遺品です。」


――そうだったんだ。

ここで亡くなっていたのは、同じ伏見署の男性警官。

…という事は、一条さんは先輩の遺体を残して、私を追って水月楼まで…

どれだけ、悔しかっただろうか。

なのに、私はそんなことも知らずに、あんな失礼な態度を彼女に取っていた。

自分が情けない…


「これは私が預かります。

署で発見物として処理します。

あなたの名前は出しません。」


「…はい。」


当時の状況を説明しながら歩き、本殿まで来た。

このタイミングでお参りをしてもいいとのことだ。

一条さんは、少し先の方で待っていると言い残し、奥に歩いて行く。

すると、本殿の傍に、狐が一匹丸くなっているのを見つけた。


「わ、可愛い…」


近寄ってみると、狐は逃げずにこちらを見返している。

真っ白な狐だった。こういう毛並みの種類が日本にいるんだな。

お山の麓《ふもと》だし、どこかから降りて来たのだろうか。

撫でようと手を伸ばすと、突然立ち上がり、足早に去って行ってしまった。


「あー…残念。」


奇麗な子だったけれど、今は参拝を済ませて一条さんと合流しないと。

改めて本殿の方へ行くと、先にお参りをしている男性がいて、その方が離れるまでは遠慮しておくことにした。


「ん、君は…」


「はい?」


男性は私を見て、なにか反応を示した。

どこかで会ったことがある人かな?


「いや、なんでもない。

元気そうでよかった。」


それだけ言って、男性は出口の方へ去っていく。

初対面の私に、変わった態度の人だな。

…でも規制されてるはずなのに、どうやって入ったのかな。

あ、捜査関係者の方なのかも。


私はお賽銭を入れようと財布を取り出したけれど、まとまった小銭を持っていない。

千円札をお賽銭箱に入れて、お礼をすべく手を合わせる。


――伏見の神さま、まずは境内を血塗《ちまみ》れにしてしまったこと、深くお詫び致します。

そして、この神聖な場所で、私刑を行ったことも言い訳のしようがありません。

けれど、無残に殺された人々の傷を、癒して下さった。

私の致命傷も、奇麗に治して下さり、本当に感謝してもしきれません。


「――はは、それは申し訳ない。」


遠くで、さっきの男性の声がした。

気が散ってしまったな、えっと、続きは…

――どうか、亡くなった人たちが、穏やかに眠れますように…

私の二人の親友には、これ以上痛みも苦しみも、感じて欲しくありません。

どうか、お願いします、神さま…


『―――』


「お待たせです、一条さん。」


「いいえ、構いません。

ところで、一ノ峰(いちのみね)まで行くなら、かなり時間がかかりますが、わかっていますか?」


「はい、一度登ったので。」


彼女には、あの夜のことを一から十まで話したわけではない。

まず前提として、楽土の説明が必要だし、これは歩きながらしていこう。


本殿から千本鳥居へ入っていく。

今になって気がついたけれど、鳥居の側面には文字が彫られていて、奉納した人の名前なのだとわかる。


「あれ…?この色…」


鳥居は、どれも同じように鮮やかな朱色で塗られている。

…もしかして。


「鳥居?朱色は、魔除けの色とされています。」


「わあ…

そっか、そうだったんだ…」


この朱色、つるさんの楢断《ならだち》の鞘と全く同じ色だ。

千年も前から、ずっとこの色が使われていた…

三条さんという刀鍛冶の職人さんが、つるさんの身を案じて、あの色を塗ったのだろうか。


千年鳥居を抜けて、奥社に入る。

歩きながら、楽土への転移から帰還までの話を、かなり駆け足で説明した。

私の大切な人たちや、恐ろしい敵の話を省くと、意外な程にすんなり完走できたように思う。


「…その話、まさか簡単に信じるとは思っていませんね?」


「わかってます。でも真実なんです。

…この指の傷が、楽土から持ち帰れた唯一のもの。

完全に切断されたのに、数日で完治したんです。」


見る人が見れば、鋭い刃物による傷だとわかるはずだ。

一条さんは私の左手を取って、じっくりと観察している。


「…確かに、切断されていたようですね。

しかし、縫合《ほうごう》した跡はない。

通常、この規模の切創《せっそう》が、これだけ奇麗になるには数か月から一年はかかるはず。」


「それに、痛みも違和感もなく、自由に動かせます。

この傷を負ってから、二ヶ月も経っていないのに。

学校の誰かに確認しても、傷が古くからあった物かは証明できません。

でも、これなら――」


私はスマホを取り出し、楽土に行く前に撮った最後の写真を見せた。

修学旅行に合わせて、美容室で髪を整えた後、家で撮った写真だ。

左手でピースする私の自撮り。


「タイムスタンプは十一月 十五日 十四時 三十一分。

”こっち”で言えば先週です。

でも、髪も数センチ長くなっているし、指の傷もない。」


「…少し、考えさせて下さい。」


そこからは無言で、ただただ登っていく。

途中、一般の登山客の遺体を発見した場所や、お土産の販売をしているお店を通り、頂上までかなり近くの地点まで来た。

息が切れてきているけれど、休憩は必要ない。

一条さんはずっと、難しい顔をしている。


石剣の男と殺し合いをした、一ノ峰まで登り切った。

明るい内に見ると、よくこんな狭い場所で立ち合っていたものだと思う。


「ここで、あの男が血塗れで待っていたんです。

それで、私…怒りでどうにかなっていたので。

太刀で痛めつけて、あいつを…殺しました。」


「それです。

あなたはそう言うけれど、ここに血痕はあっても遺体はなかった。」


「え…?

確かに、喉から真下に切り開いて殺したはずなのに…

あいつ、生きてっ――」


殺意が燃え上がるように、目の前がまた真っ赤になる。

生きているなら、もう一度気が触れるまで苦痛を与えて――


「落ち着きなさい。

そもそも、その楽土の剣士の遺体というのは、生物の死体と同じようなもの?

幽霊みたいな相手なんでしょ?」


そういえば、そうだ…

楽土では、剣士の遺体が腐っていくなんてところは見た覚えが無い。

でも、それは倒した相手を埋葬もせずに、どんどん進んでいたからで、あの土地で人間の死体がどうなっていくのかは、私も知らない。

楼門で倒れていた二人の剣士も、消えていた。

漏れ出た殺人者は、その死体は、楽土へ還ったのだろうか…


状況確認が取れて、下山していく私たち。

登りよりもスピーディーに、奥社まですぐに戻れた。

ここに来ると、どうしてもあの警官が倒れていた場所を見てしまうな。


千本鳥居の中腹で、石の地面に消し切れていない血痕を見つけた。

これは、多分私の血だろう。

…ここで意識を失って、楼門まで誰かが運んでくれたのかな。

あのダウンコートの持ち主が、その人なのかもしれない。


「疲れていませんか?

コンビニに寄って、水月楼に戻りましょう。」


一条さんは、柔らかい表情で語りかけてくれる。

規制線から出て、ちーちゃんと歩いた狭い道を通り、旅館を目指していく。

その時、一条さんの肩に取り付けられていた無線が鳴った。


『――伏見署より全員。刃物を持った人物の通報あり。ペアリングを確認しろ。』


宮本さんの声だ…

あの剣士、どこかに現れたな。

止めないと、ここで放置は出来ない。


「探さないと!」


「あなたを送ってからです。」


一条さんからすれば、未成年を危険に晒《さら》す真似はできないだろう。

でも、私には責任が――


「その必要は、ないよなああ。」


誰の声だ。

辺りは、薄暗くなっていて、人気が全く無い。

振り向くと、浅黒い肌の男が一人。

その手には、両刃の直剣。

いた。楼門で見たあの剣士だ。


「いけないなあ。

こんな人通りのない道に女が二人…

殺されても、文句言えねえよなあ。」


「動くな。

手に持っているものを捨てなさい!」


「…お前、何人殺した?」


警官としてこの異常に対応する一条さんとは違い、私は男の態度に不安しかなかった。

下品な笑い顔、女性を狙う発言…

現代に、一番いてはならない手合いだ。


「へへえ…四人。ぜえんぶ、女。

泣いてばっかりの、弱いやつら…」


「……殺す。」

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