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剣の楽土  作者: かが介六郎
第二部 現世の剣

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第70話

大きな音を立てて、非常階段の扉は目の前で閉まった。

どうする…

今ならまだ、追いかけて連れ戻せるかもしれない。

後ろの廊下を振り返って、誰も来ていないことを確認する。


「――あと二人だ。」


誰だ。

誰の声だ、これは…

外から微《かす》かに聞こえた、男性の低い声。

電話でもしているのか。

だとしたら、三階の非常口の外でわざわざ話す理由は、なんだ。

扉に耳を当てて、外の音を拾えるか試しているけれど、風の音以外はなにも聞こえない。


ドアノブには手をかけずに、その場を後にする。

この非常階段の扉は、外には出られても、中には戻っては来られないらしい。

この旅館は、二十二時に正面玄関と裏口は施錠される決まりがある。

私たちが忍び込んだ時のように、朝方に戻るしかない、ということだ…


迷ったけれど、後ろ髪を引かれる感じがして、外に出るのは躊躇《ためら》われた。

ひとつは、ちーちゃんのことだ。

体調を崩してしまった彼女に付いててあげるのが、私にとって一番大事だ。

もうひとつは、一条さんとの約束。

勝手に動いたと知れたら、もう信頼は得られない。

外出した生徒を追うなんて理由があったとしても、きっと彼女は許さない。

…この件は明日、先生に相談してみよう。


三〇一号室に戻り、着替えとタオルを用意する。

お風呂に行く前に、彼女の具合を確認しておく。

額に張り付いた前髪をそっと撫で分け、軽く手を当てて熱を測る。

…よかった。私の体感だけれど、落ち着いてきているようだ。

ちーちゃんはよく眠っているし、うなされている様子もなく、少し安心した。


念のため、太刀をもう一度確認しておこう。

少し慌てて押し入れに隠したのもあって、不安が残っていた。


先生の話では、深夜二時まで大浴場は使っていいらしい。

私の場合はちーちゃんの看病があったから特別だと言っていたので、今日だけはこの時間だ。

迷惑にならないように、音を立てず廊下をそっと歩いて行き、二階への階段を降りる。

こっそりと大浴場に向かうのは二度目だけれど、今回は特に緊張感はないかも。


二階まで降りて、踊り場で足を止めた。

この階段は、踊り場で進行方向が反転する造りだ。

さっきまで自分が向いていた方向とは、ちょうど逆を向く。

その、背後に折り返した一階側から、足音が上がってきた。

目を凝《こ》らしてよく見てみると、ちょうど一階から二階に上がってきた人物がそこにいた。

階段の傍にいたのは、同じクラスの――


「あれ?立石くん…」


「……真白さん、どうしたのこんな時間に。」


ジャージ姿の立石くんと、正面から鉢合わせした。

さっきの声の主かと一瞬疑ったが、全然違う声質だ。

私はかなり驚いたけれど、彼はそうでもないらしい。

こんな深夜にばったりと遭遇したのに、落ち着いた人なんだな。


「いや、お風呂にね。

…って、立石くんこそ。」


「……トイレにね。

なんだか、寝付けなくて。」


目線を合わせないまま、後ろめたさを感じさせる態度だ。

すらすらと答える立石くんは、平然とした雰囲気だけれど、彼もこの状況に参っているはず。

息を上げて、少し汗ばんでいる。

トイレと言っていたけれど、もしかすると中庭とか、大広間で運動でもしていたのか。

どこか広い場所で気分転換をしたかったのかもしれない。


大浴場までの廊下を歩いていると、先生たちの部屋も消灯している。

この一日で相当疲れただろうし、特にえりちゃん先生は伏見署まで同行してもらったのだ。

保護者の方への対応は、想像も出来ないほど大変だろうし、ゆっくり休んで欲しいな。


こそこそしていた朝の入浴とは違い、堂々と湯船に浸かって心身を癒す。


「はあ~~~。」


気分が落ち着く…

入浴は生者にとって、とても大切なことなんだな。


――今日は、いろいろあったな。

傷が消えた身体でちーちゃんを保護して、剣士を取り逃がして、一条さんに会った。

おにぎりで大泣きして、旅館に忍び込んで、先生に見つかって、お母さんと電話もした。

警察の取り調べも、人生初だったけれど、ちーちゃんのことで頭がいっぱいだったのもあって、そんなに緊張しなかったな。


…あの剣士が、誰かを無残に殺しているのかと、どうしても考えてしまう。

そしてその原因は、私にあるとしたら…

もし、私が楽土から戻った地点、あの場所に目には見えない裂け目とか、亀裂みたいなものがあるなら、楽土の剣士がそこから漏れ出てくるのではないか。

解明できないルールが多くあった剣の楽土。

私の仮説も、完全には否定できないだろう。

これ以上犠牲者を出す前に、解決策を考えないと。


湯船に浸かって、かなり眠気が出てきた。

今日は不規則に寝ていたので、夜に眠れるか心配ではあったけれど、私も疲れていたんだな。

部屋に戻って、起こさないよう慎重にちーちゃんの隣の布団に入る。

スマホを充電器に繋ぐと、画面が点灯して時間を確認できた。

現時刻は十一月 二十一日 零時 五十五分。

それだけ見ると、途端に瞼が重くなっていった。



「――やちゃん。さやちゃん、朝ごはんだよ。」


「ん…」


声がして、目が覚めた。

ちーちゃんが私を覗き込むような態勢で、目の前にいた。


「おはよ……

具合、どう?ふああ…」


「元気になった!

昨日は、ありがとね。」


眩しい笑顔のちーちゃんは、活力に満ちているようだ。

お腹が空いた様子で、すぐにでも食堂に走っていきそうな勢いだけれど、二人とも髪が寝ぐせでぼさぼさだ。

最低限の身だしなみを整えて、一階の食堂へ降りていくと、もう食べ終わった生徒たちと階段ですれ違った。


「おはよう。九時からなんかあるみたい。」


かなり曖昧な情報をくれたのは、B組の岸本くんだった。


「大広間で?」


ちーちゃんが質問を返す。


「いや、館内放送で先生がなんか話すっぽいよ。

九時には部屋にいろーってえりちゃん言うとった。」


補足の説明をしてくれたのは、同じくB組の石井くん。

この二人はよく教室で、漫画やアニメの話題で盛り上がっている。

…そういえば、彼らのおかげで、つるさんとの距離が近くなったようなものだ。

心の中で、密かに感謝しておこう。


食堂の前には、各クラスの生徒名簿が用意されていた。

名前の横に丸をつけて、仮の点呼としているらしいのだが、ここを先生が見張るのが普通ではないだろうか…

まあ、あくまで自己申告のようなものか。

見ると、丸がついていない生徒は、かなり少数だった。

昨日勝手に外出していた王さんと新島くんも、もう朝食を摂《と》ったみたいだ。

見つからずに戻ったのか、こっぴどく怒られたのだろうか。


ちーちゃんの分も一緒に丸をつけておく。

B組の生徒が集まる長机で、御膳を頂いた。

昨日よりも人が少ないけれど、私たちはかなり出遅れたみたいだし、そういうことだろう。

えりちゃん先生が気づいて、声をかけてくる。


「佐山さん、体調どう?

真白さんも、よく眠れた?」


「うん、さやちゃんがずっと看病してくれて、私もう元気だよ!」


「あはは…

いっぱい食べてね、ちーちゃん。」


数十名の生徒がいる中で名前を出されるのは、さすがに気恥ずかしいというか。

見渡すと、こちらを気にしている生徒はいないけれど、なにか…


ん……?

なんだろう、この違和感は。

この食堂、昨日と、なにかが違う。


「ごめんちーちゃん、ちょっと先生と話してくる!」


「え、うん。いってらっしゃい。」


食べ終わってすぐ、えりちゃん先生に、深夜に外出した人物のことを話しておきたかった。

食堂を出て辺りを探してみているが、見当たらない。

さっきまでいたはずが、どこに行ったのだろう。


「真白ー。放送始まるぞ、部屋に戻らんか。」


「あ、はい!」


うろうろしていた所を富士矢《ふじや》先生に呼び止められ、仕方なく部屋に戻るしかなかった。

私の感覚からすれば危険だけれど、深夜の外出くらいで目くじらを立てすぎかな。


部屋で荷物の整理をしていると、リュックから大きなライトを発見した。


「うわ、やば……」


これは、伏見大社で警官の遺体から拝借した物だ。

次に一条さんに会ったら、事情を話して返さないと。

そうしていると、館内放送の開始を伝えるチャイムが鳴った。


『中山です。生徒の皆さん、今日は本当なら埼玉へ帰る日でしたが、やむを得ず留まる事となりました。旅館のご厚意――』


なんだ、昨日の話と同じか。

注意喚起と、外出禁止の徹底とか、改めて説明をして放送はすぐに終わった。


トークの通知音がして、スマホを取り出すと、なんと一条さんからのものだ。

電話番号は交換したけれど、番号から検索をかけてアプリでメッセージを送ってきたみたい。


『伏見署の一条です。電話できますか?』


アプリ上での名前は「まこと」となっている。

そういえば、コンビニの前でフルネームを聞いたっけ。


『真白です。部屋にいるんですけど、聞かれない方がいい話ですか?』


ちーちゃんと同じ空間でできる話なのか気になって確認してみる。


『今日、昼前に水月楼に行きます。

その後、伏見稲荷大社に同行して欲しい。

できれば佐山さんも一緒で。』


…できれば、か。

あそこに、ちーちゃんを連れて行きたくはない。

彼女を横目で見ると、スマホを両手で握って、誰かとトークでやり取りをしている様子だった。

せっかく落ち着いているのに、事件現場に行けばまた調子を崩してしまうかもしれない。

その旨を、一条さんに文章で伝える。


『わかりました。

電話は結構です。

また水月楼で会った時に、詳しく話をしましょう。』


『はい。ではまた後で。』


続いて、お母さんにもトークを送っておく。

お仕事中に電話をかけるのは気が引けたし、また夕方頃に連絡すると伝えておいた。


「ちーちゃん、今日ちょっと、一条さんと出かけることになって。」


「ええ?

…そうなの?また、取り調べ?」


「うん、多分ね。

コンビニとか寄れたら、お菓子でも――」


「――なにを考えているの!!」


廊下から、大きな怒鳴り声が響いた。

二人して目を見開き、瞬きを繰り返す。

続いて、数人の荒っぽい足音が、部屋の前を通り過ぎていった。


「びっくりしたあ…

今の、えりちゃん先生かな…」


確かに、そう聞こえた。

B組の他の部屋で点呼を取っていたのだろうか。

朝食後すぐのこのタイミングで、また抜け出した生徒がいたとか、そんなところかもしれないな。


「入っていいかな?」


襖越しに、声がした。

点呼だろうか、でもえりちゃん先生ではなく、男性教師のようだ。

部屋に来たのは、A組の担任で国語教師の利根《とね》先生だった。


「真白、佐山、よしいるな。」


「先生、さっきの声、なんだったんですか?」


ちーちゃんが無邪気に尋ねると、利根先生は難しい顔になった。

どうやら本当に、抜け出した生徒がまた出たのだろう。


「今は話せないんだ。

悪いけど、大人しくしててくれ、頼む。」


疲れた顔の先生を見ていると、気の毒でならない。

先生の張り詰めた様子を見て察したのか、ちーちゃんはそれ以上なにも訊《き》かなかった。

B組の古文の授業では明るい印象の利根先生。

古文…ちゃんと勉強しておきたいな。

えっと…いと、お疲れのご様子にて。

つるさんならこんな感じに言うかな。


部屋で二人、軽く話をしている内に、昼前になっていた。

現時刻は、十一月 二十一日 十一時 十九分。

襖が軽くノックされ、外から声をかけられた。


「真白さん、一条巡査が来てるわ。

一階で待ってるって。」


えりちゃん先生の声だけれど、なにか落ち込んだような、テンションの低い声色だ。

軽く返事をして襖を引くと、もうそこに先生はいなかった。

ちーちゃんも一条さんに会いたがっていたので、一緒に一階まで降りる。


「こんにちは。

少し、話をしましょうか。」


「こんにちは、お巡りさん。」


「一条さん、三人でですか?」


トークで確認した内容だけれど、一条さんは頷いて答えた。


「真白さん、佐山さん、これから伏見稲荷大社へ同行してもらいたい。

もちろん、これも任意ですので、断っても構いません。」


私からすれば、ようやく外へ捜索に出られるのだから、断る理由はない。

ちーちゃんは、表情を暗くして動揺している。

やがて、絞り出すように言葉を発した。


「ここで、待ってる…」


ちーちゃんは、玄関口のソファに座り込んで、また誰かとトークを始めたようだ。

リュックを取りに戻ろうとしたその時、一条さんも部屋まで同行すると言い出した。

なにか、聞かれたくない話だろうか。

二人で三〇一号室の畳に上がると、一条さんが持っていた鞄《かばん》からなにかを取り出して、渡してくれた。


「署で借りてきました。

これから”それ”は、長物と呼称します。

私と同行している場合は、私が預かって取り出せなくします。

構いませんね?」


見ると、畳まれた布のようなそれは、竹刀を収納するための袋だった。

紺色の無地の生地で、とても無難で目立たないカラーリング。私が待ち望んでいた物だ。

一度部屋に戻り、袋の口を開けて、中に太刀を収納していく。

竹刀袋の口を、一条さんは結束バンドできつく縛り、道具がなければ物理的に取り出せなくしてしまった。


「緊急時にはこのニッパーを使って、封を破ることを許可します。

しかしそれ以外の場面では私が所持し、決して抜かせません。」


「わかりました、約束します。

でも、持ち出して、いいんですね。」


「異常事態ですから。

私も、通常通りに仕事をするのは、やめました。」

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