第65話
三〇一号室の襖をそっと開くと、ちーちゃんは壁の方を向いて眠っていた。
私は自分のキャリーケースの中から、使えそうな物を探す。
すっかり忘れそうになっていたけれど、スマホも充電しておく。
全長一メートル程度の太刀を隠すのに、十分な大きさの布は案外ない。
制服では完全には覆うことはできないし、これが一番困る。
太刀佩きには、私服のスカートで使っていたベルトと、セーラー服のリボンを使用すれば上手くいきそうだ。
太刀を手に取る。
急速に、思考が回転する感覚を覚えた。
私がこれからしないといけないことは…
もう一度、一条さんと話そう。
深く呼吸をして、目を閉じ、楽土にいた頃のように集中する。
私は、確かに焦っている。
けれど、もし今抜け出して、あの剣士を運良く発見し、殺せたとしても。
私の不在が露見すれば、また大騒ぎになる。
旅館に帰って、一条さんか先生、生徒の内、誰か一人にでも発見されれば、もう二度と自由には行動出来ない。
まだ他に剣士が潜伏しているなら、もう止められなくなる。
彼女の信頼を得られれば、少しは街中を捜索させてもらえるかもしれない。
太刀を制服に包み、押し入れの中に隠す。
ちーちゃんは、顔は見えないけれど、うなされているようには見えない。
スニーカーを履いている最中、さっき立石くんに教えてもらった、血液汚れの洗い方を思い出した。
セスキは手に入らなくても、軽く水洗いでもすれば、少しは奇麗になるだろうか。
廊下に出ると、先生の見回りは来ていなかった。
中央ホールで、「腰巾着」の坂本さんが、自販機前のベンチで缶ジュースを飲んでいる。
私を見て緊張した様子だ。
王さんはさっさと旅館から抜け出したのに、着いて行かなかったのか。
「真白さん、今朝は…」
「ああ、それはいいよ。じゃ、私行くから。」
中途半端に謝られても気分が悪いだけだ。
あの時、王さんと一緒に笑っていたのには気づいていた。
階段で一階に降り、また富士矢先生と遭遇した。
「ん?またか…
仕方ないが、なるべく出入りはするな。五分で戻れ。」
「はい、すぐ戻ります。」
玄関を出ると、離れた場所で一条さんは電話をしている。
こちらに気づいて、少し待つようにと手を上げる。
「――はい。……了解しました。
宮本係長、よろしくお願いします。
…お待たせしました、なにか?」
「一条さん、まず、謝らせてください。」
頭を下げ、心からの謝意を伝える。
私は、いくらなんでも生意気過ぎたと反省した。
顔を上げると、面食らった表情を見せる一条さん。
「私、一人で剣士たちを止めないといけないって、焦ってて…
あんなに多くの人が殺されたのは、私のせいなんです。
だから、私には責任がある。」
「"剣士たち"…何人、この街に?」
「わかりません。
伏見稲荷の頂上で一人。
楼門で一条さんと会う直前に、一人目撃しています。
今朝のあの剣士が、さっきの話の犯人だったら…
私が取り逃がしたような、ものだから…」
「さっきのあなたの話が本当なら、警察だけでは対処が難しい可能性がある。
しかし、その武装者は、全員が悪人で、無差別殺人を繰り返す人ばかりなのかな?」
「…いいえ。
私の尊敬する剣士たちは、生涯を剣に捧げ、善良な人々を守った。
悪人ばかりではない事は確かです。
でも、京都にそういう剣士がいるかどうか…」
考えもしなかったけれど、もしつるさんやイーゴンさんが京都に現れたら、私にとってはこれ以上ない朗報だ。
あの二人に敵うどころか、まともに戦える剣士すら、そう多くはない。
「なぜ、京都なの?」
「え…?」
「あなたの言い方では、その剣士は、京都にしか存在しないように聞こえる。
他の地域にいないと、断言しているような。」
これを説明するとなると、楽土の話から始めなければならない。
けれど、私はこの人から信頼を得る努力をしたい。
一条さんと協力できれば、きっと多くの人を救う足掛かりになる。
「部屋まで来てもらえませんか?
立ち話でする程、簡単な話ではなくて…」
「…いいえ、会議室か空き部屋を借ります。
担任か、学年主任の先生を呼んで下さい。」
「わかり、ました。」
楽土のことを話したかったけれど、先生が同席するなら、それはやめておいた方が良さそうだ。
えりちゃん先生と三人で、旅館の会議室を借り、中で事情聴取を受ける。
確認されたのは、行方不明になった時間、場所、最後に誰と一緒だったか、などだった。
「時間は…午前十時くらいだったと思います。
同じ班の三人と、楼門の辺りにいて、直前にちーちゃんにスマホを預けたんです。」
「それで、気がつけばはぐれていたと。
連絡が取れなかった理由はわかりましたが、周囲に他の生徒や学校関係者は?」
「いえ…
私、パニックになって、山の方へ迷い込んじゃって。
長い間彷徨って、やっと楼門の前まで戻れたんです。
でも、もう暗くなってて、人が、いっぱい…」
一条さんがメモを書く、ボールペンの走る音。
会話が途切れ、無言となった。
重い空気になり、えりちゃん先生が強引に話を切り替える。
「保護者の方と連絡は取れたの?」
「うん…
お母さんと、電話した。
京都に来るつもりだったみたいだけど、危ないからやめてって。」
文字を書くのが止まり、一条さんは軽く咳払いをした。
「犯人を見たというのは?」
「え?真白さん、本当なの!?」
「うん…
上半身が裸の、血塗れの男…山の、上の方で見たの。」
ここまで、特に嘘は吐いていない。
信頼を得ようと思うし、本当のことだけを話すつもりだ。
それから、犯人の目撃情報を、詳細に聞かれた。
凶器と、犯人の特徴などだ。
「凶器は…あ、これ。」
少し前に、ネットで調べて、情報を得ていた。
羽子板のような木の板に、石の刃が並んだ剣。
あれは、マクアウィトルというものらしい。
鋭いガラス状の黒曜石が、歯のように並列した武器。
アステカという文明の、特徴的な武器なのだそうだ。
スマホで調べた画像を見せて、凶器の情報を提供した。
犯人像はというと…
「一人で、大声でなにか喋ってた。
内容は、意味のわからないものだったけれど、なにか…
なにか、嬉しそう、だった…」
生贄を捧げる目的を果たせると、あの男は歓喜の声を上げていた。
惨殺されたあの男は、自分が生贄になれて本望だったろう。
本当はもっと長いものらしいけれど、事情聴取は一旦終了となった。
記録を付けた一条さんは、書類の束をとんとんと整えた。
「真白さん、伏見署で正式に聴取を行いたい。
上に確認を取ります。
牧田先生、構いませんか?」
「あ、はい…
真白さんだけ、ですか?」
「いいえ、牧田先生と佐山さんも同行して頂きたい。
保護者代理及び、最後に一緒にいた人物として、確認が必要です。」
寝かせてあげたいけれど、ちーちゃんも事件を目撃している。
でも、あの場所で見たものを話すのは、彼女にとっては辛すぎる。
「あの、一条巡査。保護者への連絡は。」
「こちらで対応します。
同意を得た上で、任意同行とします。」
「…じゃあ、私、起こしてきます。
警察署まで、どのくらい歩くんですか?」
「ああ、徒歩では行きません。
記録上も、安全上も良くない。車を回します。」
そう言って、電話をかけた。
「地域課、一条です。
未成年二名及び保護者代理一名、重要目撃供述あり。
一次聴取済み。任意同行を求めます。
指示願います。」
手続きは複雑なようで、確認待ちとなっている。
上司に逐一確認が必要なんて、大人は大変なんだな。
「係長の許可が出ました。
任意同行で、伏見署まで来てもらいます。
真白さんと佐山さんの保護者の方に、連絡を取りたい。」
保護者への連絡は、学校側の協力でスムーズに出来たようだ。
お母さんは不安に思うかもしれないし、後でトークを送っておこう。
電話を終えると、すぐにまた一条さんは別の番号にかけた。
「一条巡査です。
未成年二名、目撃供述あり。
承認済み。伏見署で継続希望。公用車、回してください。
到着次第、署へ直行します。」
車は、十分程で到着するとの事だ。
三〇一号室に戻って、襖を開くとちーちゃんは仰向けに寝ていた。
険しい表情で眠るちーちゃんは、額にびっしょりと汗をかいている。
悪夢を見ているのか。
タオルで汗を拭き、ちーちゃんの身体を揺らして起こす。
「あ…え、さやちゃん…」
「ちーちゃん、うなされてたよ。
大丈夫?お水飲む?」
コンビニで買ったお水を手渡し、落ち着かせる。
直前まで見ていたであろう悪夢の内容までは覚えていないようだ。
「私と一緒に、伏見警察署まで来てほしいの。
事情聴取、ってやつ。
ちーちゃん、大丈夫そう?」
「……うん。
でも、お話、できないかも…」
事件の話を、自分の口から説明するということ。
どれだけ、彼女にとって苦しいものか。
言語化する際に思い出す光景は、どれ程彼女の精神を痛めつけるだろうか。
私には、強制はできない。
それは、多分一条さんにも。
「でも、さやちゃんと一緒なら、行く。」
正直に言って、私は驚いた。
同じ立場なら、私には絶対に無理だと思ったからだ。
セラを失ったあの時の、自分の精神状態では、不可能だっただろう。
最低限の身だしなみを整え、時間を確認しておく。
現時刻は、十一月 二十日 十一時 四分。
一階に降りると、野次馬がたくさんいた。
水月楼の玄関前には、パトカーが停車していて、物々しい雰囲気だった。
もう一人、別の男性警官がいて、車の後部ドアを開けてくれている。
私とちーちゃんは、他の生徒からじろじろと見られながら、一条さんに案内されて、パトカーに乗り込んだ。




