第64話
寝息を立て、ちーちゃんが深い眠りに就いたのを確認して、そっと襖を引いて外に出た。
どこか、一人で電話が出来る場所を探そう。
「真白さん、どこ行くの?」
「あ、えりちゃん先生。
お母さんに、電話したくて。」
見回りをしている様子のえりちゃん先生。
男子部屋の方から話し声がしていて、他の先生も巡回しているようだ。
集会で中山先生が言っていたように、外出禁止は徹底されている。
「ああ、そうよね…佐山さんは?」
「今、眠ったとこ。
私よりずっと疲れてたみたいだから、静かにしてあげて。」
納得したようで、先生は他の部屋へ見回りに向かった。
中央ホールまで歩き、一階に降りていく。
階段とエレベーターがあるけれど、ちょうど扉が開いていたので、楽な方を選んだ。
エレベーターでは、同じクラスの新島くんと一緒になった。
「お、真白…怪我とかしてない?」
「うん、平気だよ。」
それ以上は聞いてこない。
なにか、空気を読んでくれているような態度だ。
エレベーターには、二十二時には出入口が施錠されるとの張り紙がある。
抜け出すなら、それまでにしないと。
「いつ、帰れるんだろうな…」
新島くんはB組の中心人物というべき人で、いつも明るく調子のいい軽口でクラスを盛り上げている。
その彼が、不安げな顔で呟くように話すのを見ると、クラス全体の雰囲気もある程度掴めたような気になる。
「…家族、心配してるだろうね。」
「さっき電話してて、もう京都まで飛んで来そうな勢いでさ。」
家族と連絡を取ったばかりという新島くん。
どこか、人が来ない場所を知っているだろうか。
そう思い、尋ねてみると、
「ああ、中庭の端で電話したら?
あそこ、静かでいいよ。」
エレベーターが一階に着き、新島くんは待ち合わせをしていたのか、クラスの男子と合流した。
集会のあとは、次の連絡があるまで各自部屋待機と言われていたけれど、大広間へ向かうようだ。
あの場所なら身体を動かした遊びができるとか、そういう意図かもしれない。
先生の見回りは充分ではない様子で、生徒もただ従うわけではない。
あと何日間、ここへ缶詰となるかはわからないだろうし、息抜きは必要ということだ。
私は中庭へと降りていき、その隅にある石のベンチでスマホを取り出す。
現時刻は、十一月 二十日 九時 三十三分。
現世時間で、私の行方不明発覚から、丸一日くらいだ。
平日だし、お母さんはお仕事中だろうか。
いきなり電話をしたら、驚いてそれどころではなくなるかもしれない。
そんな風に、連絡をするのに遠慮してしまう気持ちが、私の中にあった。
私はもう、お母さんの知っている「さや」とは違う。
上手く話せるかな…
けれど、お母さんにだけは、全部説明したい。
意を決して、トークアプリで通話をかける。すると、僅か数秒で繋がった。
『さや!?さやなの!?』
「…うん、お母さん、私。」
『どうしてたの…?
警察から電話があって、さやが行方不明って…
もう、どれだけ心配したか…』
お母さんは、涙ぐむ声で続けた。
『お母さん、今日の昼から京都に向かうつもりだったの。
夕方には着くから、旅館まで行けばいいかな?』
「だめ。来ないで。」
絶対だめだ。
お母さんが危険な目に遭うなんて、想像しただけで頭が沸騰してしまいそうになる。
言葉を詰まらせたお母さんに、状況を簡潔に説明する。
「今、この近くで殺人事件が起きてる。
学校の生徒も、六人殺された。来るのは、危なすぎる。」
『え、どういう…』
「りりちゃんとしおりちゃんも……殺されたの。
生徒も先生もしばらく、京都から動けなくなってる。」
亡くなった二人の親友は、私の家に何度か遊びに来たことがある。
お母さんとも、面識があった。
『え……本当なの…?
なんで、あの子たちが…』
相当ショックを受けている様子だ。
新幹線は止まっているけれど、他のルートで京都に来る方法はあるだろう。
新島くんの家族のように、飛んで来るような勢いになられると困るので、そこも諫めておかなければ。
「私は大丈夫。
お母さんは絶対に来ちゃだめだよ。
私じゃ、守ってあげられないかもしれないから。」
『さや、どうしちゃったの…?』
「…話すことはたくさんある。
でも、悪いけど今はできないの。帰ったら、全部説明するから。
…本当に、ごめん。」
拒絶するようで心が痛いけれど、お母さんに危険が迫るより、遥かにましだ。
弱い私では、守り切れない。
『…お母さん、さやに会いたいよ。』
「……うん、私も。
いっぱい、話したいこと、あるんだ。」
『…迎えに行きたいけど、さやがそこまで言うんなら、言う通りにするよ。
でも、これだけ、約束して。
最低一日一回、必ずお母さんに電話すること。
無理ならトークでもいいから、絶対に連絡しなさい。』
「わかった、約束する。
また、明日連絡するから。」
お母さんは、不安で仕方ないはずだ。
それなのに、私を尊重して、気持ちを押し殺してくれた。
楽土のこと、つるさんのこと、イーゴンさんのこと、セラのこと…
私を助けてくれた、大好きな人たちの話を、聞いて欲しい。
しかし今は、やるべきことをやるのみだ。
名残惜しいけれど、通話を終えた。
次は、外で警備をしている一条さんに会いに行かないと。
中庭から屋内に入る際、クラスメイトの立石くんと鉢合わせした。
立石くんは、教室では私の隣の席だけれど、ほとんど話をした覚えはない。
確か彼も、ちーちゃんと同じ中学だったと聞いた。
「…靴、汚れてるね。」
珍しく、声をかけられた。
私のライトブルーのスニーカーは、伏見稲荷で血に汚れてしまっている。
今まで、他の生徒に突っ込まれなかったのが不自然な程に、血の赤黒い痕で染まっていて、とても悍ましい具合だ。
ふと、尼僧剣士の太白を思い出した。
彼女の足元も、同じように血で汚れていたからだ。
「洗いたいなあ…
血って、落ちにくいよね、多分。」
「……セスキで落ちるよ。
でもそれ…スエードだから、他にもっといいやり方があるかも。」
立石くんは、私の顔を見ず、靴を凝視していた。
「え、そうなんだ。
ありがとう、試してみるね!」
セスキは、ドラッグストアとか百均にも売っている炭酸系の汚れ落とし洗剤だ。
お母さんが、キッチン周りのお掃除に常用しているから、たまたま知っていた。
外に出られた時には、どこかで買ってみよう。
それにしても、立石くんが、こういう知識がある人とは知らなかった。
まめにお掃除をするタイプなのかもしれない。
正面玄関から出て、一条さんを探すべく扉に向かっていると、声をかけられた。
「真白、外に出るな。」
D組の担任で、数学教師の富士矢先生だ。
生徒が勝手に外出しないよう、ここで見張りをしている様子だった。
やはり真っ当なやり方では、この水月楼を出るのは難しそうだ。
恐らく、裏口にも誰か見張りの先生がいるだろうし、学校側の責任ということか。
しかし、今だけ私には大義名分があった。
「外にいる、一条さんってお巡りさんと、会うことになっているんです。」
「あの巡査さんにか?
…行くなら、玄関先までだぞ。すぐに戻って来い。」
疑いの目を向ける富士矢先生だが、道を開けてくれた。
玄関を出てすぐの所に、一条さんが姿勢を正して立っている。
こちらに気が付いて、首を傾け、こちらへ来いという合図を見せる。
正面玄関から横に逸れた場所まで案内された。
「真白さん、任意で同行してください。」
「無理です。」
丁寧な対応だけれど、今の私には絶対にするわけにはいかない選択肢だ。
私が一条さんに会いに来たのは、情報の交換のためでしかない。
「…付近で、刃物による殺人事件が、新たに起きていませんか?」
「起きていたとして、あなたに共有するとでも?」
「…どうしてたった一人の男に、警官を含めた十人以上の人が一方的に殺されたのか、説明すると言ったら?」
途端に険しい顔となった一条さん。
情報の交換は、私にとってはメリットが大きい。
剣士に傷を与える方法を教えれば、剣道の有段者が多いという警察側は、かなり対抗出来るようになるかもしれない。
真剣を扱える人がいるかはわからないけれど、東郷さんの木刀のように、竹刀などでも楽土のルールが適用される可能性はある。
けれど、あれは東郷さんだから出来ていたのかもしれないし、確証はない。
長考している一条さんは、観念したように溜め息を吐いた。
「…話を聞きます。」
「信じる根拠があるんだ、私に。」
「真白さん。
あなたは明らかに普通ではない。
牧田先生から身を隠す際のあなたの動きは、訓練を受けた人間のそれに近い。
少なくとも、一般の高校生のものではない。」
…そんな風に見えていたのか。
とにかく、彼女にとっては突拍子もない話でも、信じてもらえるかもしれない。
「じゃあ私から。
あの石剣の男のように、剣とか刀で武装している相手には、同じく剣でしか手傷は与えられない。
ルールはいくつかあるけど、一番重要なのはこれ。」
「…?
漫画かなにかの話?」
「違う、真剣に聞いて。
私があの男を殺せたのは、太刀を使ったから。
伏見稲荷の奥社にいた警官は、拳銃を握ったまま亡くなってた。
拳銃では、ダメージは与えられなかったの。」
拳銃の弾が何発撃たれたか、そこまで確認はしていないけれど、あの男性警官は必死の抵抗をしたはず。
現代から離れた時代に生きていた石剣の男からすれば、未知の武器である銃火器。
当たれば本来、致命的な傷となるが、あの男には銃撃のダメージがあったようには見えなかった。
現世でも、楽土のルールが適用されている…
「……納得はできませんが、心に留めておきます。
私も、情報を提供しなければなりませんね。」
その言い方から、察してしまった。
なにかが、起きたことを。
「先程、本部から伏見方面の巡回員に指令が入りました。
まだ内部情報です。他言無用でお願いします。
本日早朝に通報が入り、現場で二名の死亡を確認しています。
詳細は言えませんが、刃物による事件とだけ。
あなたの言う、”剣”によるものという可能性は否定できない。」
奥歯を噛みしめ、感情が爆発しそうになる。
もしも、その二人を殺害したのが、今朝楼門で見た、あの剣士だったとしたら…
その二人の死は、私の責任だ。
「…遺体が見つかった場所は?」
「そこまで教えるつもりはありません。」
「わかりました。
情報、ありがとうございます。」
私は足早に旅館に戻り、焦燥感に駆られながら、考えを巡らせた。
どうにかして水月楼から、太刀を隠し持ったまま抜け出し、街中を捜索しなければならない。
三階まで階段で上り、中央ホールに出ると、誰か女子生徒の背中が見えた。
あれは…ああ、王さんだ。
一人で、女子部屋の方に向かっている。
私も同じ方向なので、着いていく形になるけれど、今顔を合わせると喧嘩になりかねないので、足音を消して歩く。
しかし、女子部屋の前を通り過ぎて、更に奥へ進もうとしている。
なんとなく、違和感を覚えて、静かに尾行してみた。
すると、その先には非常階段があり、当然のように扉を開けて出て行ってしまった。
…外出禁止の見回りは、正面玄関と裏口に偏っている。
非常階段までは手が回っていない。
抜け道は、見つかったかもしれない。




