第63話
大きな足音を立てて、誰かが部屋に近づいている。
息を殺して、音に集中していると、眠気が飛んで頭が冴えていく。
「なんでそんな、怖い顔…」
声を発すちーちゃんに、指を一本だけ、口の前に立てるジェスチャーをした。
なんと思われようと、私は今見つかるわけにはいかない。
「刀から手を離しなさい。」
強張った顔の一条さんが、立ち上がって凄む。
私はまた、左手で太刀を握っている。
…誰を、斬るつもりだ。
太刀を置いたが、しかし警戒は解くつもりはなかった。
起床時間は…確か七時。
朝食が七時半だったはずだ。
生徒に行方不明者、死傷者が出ているこの状況では、点呼や見回りが強化されていても不思議ではない。
押入れの中にでも隠れようか――
突然、部屋の中に大きな音が響いた。
誰かのスマホの、着信音だった。
まずい、中に誰かいるとばれてしま――
「佐山さん!?中にいるの?」
襖越しに、女性が声をかけてきた。
ちーちゃんに目配せをして、首を横に振る。
「あ、えっと、入ってます!」
慌てた様子で返事をしてしまったちーちゃん。
ああ、もう…それはトイレに入ってる時の…
襖が勢いよく引かれ、中に人が入ってくる。
「ああ、帰ってたのね!
もう、心配したよお。」
騒がしい声を上げる女性は、私たち二年B組の担任教師の、えりちゃん先生だった。
心底ほっとしたような雰囲気で、まだ私に気付いてはいない。
けれど、時間の問題だろう。
ぎりぎり死角になっているけれど、もう何歩か部屋に踏み込まれれば、居るのがばれてしまう。
太刀を制服で包み、キャリーケースの陰に隠す。
音を出さず、慎重に。
「昨夜の点呼でいなかったから、てっきり…
あ、警察の方…?」
「…はい。伏見署の一条です。
彼女を保護して、ここまで同行しました。
先生方はまだ寝ておられるとの話でしたので、ご挨拶が遅れて申し訳ありません。」
一条さんは、警察手帳を見せて、すらすらと状況を説明する。
とても慣れた様子だ。
「ああ…。ありがとうございました…
この子の担任の、牧田恵理子です。
佐山さん、怪我はしてない?」
「うん、私は、隠れてたから…」
ちーちゃんの微かな声は、恐怖体験を思い出してのことだろう。
人が殺される瞬間を、実際に見たのだろうか。
りりちゃんとしおりちゃんが苦しむ姿を、その目に映してしまったのだろうか。
あまりにも、残酷だ。
収まったかに思われた殺意が、まためらめらと燃え上がっていく感覚を覚えた。
その矢先、再び着信音が鳴り響いた。
私のすぐ傍、吊るされたコートのポケットの中から。
さっきから鳴っていたのは、私のスマホだったんだ。
コートから視線を戻すと、えりちゃん先生がこちらを見ていた。
驚愕の表情の先生と、目が合った。
「真白さん!?あなた!」
…遅かれ早かれ、見つかっていたか。
どうにもできなかった。
「えっと…真白さや、戻りました…」
そこからは大騒ぎだ。
三〇一号室に殺到する教職員、B組の生徒、他のクラスからも。
事情を問いただされたけれど、はぐれたと誤魔化すしかなかった。
先生たちは私の顔色と怪我の有無、ちーちゃんの様子、昨夜の足取り。
その確認で手一杯だ。
けれど誰も、荷物の中身まで覗く余裕はない。
警官の制服というのは圧があるようで、部屋の奥まで踏み込んでくる人はいなかった。
一条さんのおかげもあって、荷物検査などは回避できた。
朝食の時間となり、徐々に解散していく野次馬たち。
焦りを覚えるまま、私は一階にある食堂に向かうしかなかった。
「私は外で警備をしています。
既に、先生方と旅館の従業員の方には説明済です。
あなたは、自由に動けるタイミングになったら外にきなさい。」
一条さんはそれだけ言って、水月楼の玄関から出ていく。
手際のいいことだ。
私なんかに言いくるめられる人では、本来ないのかもしれない。
この異常な状況に、彼女も参っているのだろう。
ちーちゃんと食堂に着き、辺りを見渡す。
ここには窓があるけれど、鉄格子が外側に取り付けられていて、出ることは不可能だ。
長机の上に、人数分用意された朝食のお膳が広げられていた。
B組の皆の近くで、朝食を頂きながら、クラスメイトの様子を観察する。
私が知っているだけでも、クラスから二人の死亡者が出ている。
案の定、どことなく暗い様子で、会話も少ない。
「真白、どこ行ってたん?」
右隣で食べていた前田くんが、話を振ってきた。
さっき三〇一号室で話を聞いていた生徒の中に、彼はいなかったのか。
「伏見稲荷ではぐれちゃって、スマホも預けてて…」
道に迷ってしばらく帰れずにいたと、そういう感じの話をしたが、これは全く嘘なんかではない。
かいつまんで事情を説明していると、他の生徒も私を見ている。
「えー?いくらなんでも方向音痴すぎない?」
大きな声で話に乱入してきたのは、斜め前に座っていた、同じクラスの王さんだ。
彼女は中国系の裕福な家庭の一人娘で、いつも教室で騒いでいる、ちょっと迷惑なクラスメイトだった。
「翠玲ちゃん、やめなよ…」
王さんを隣で制止しているのは、坂本さんという女子で、確か同室か同じ班だった覚えがある。
ちらちらと、気まずい表情で私を見る坂本さんは、いつもクラス内カーストの高い王さんにくっついているタイプの生徒で、りりちゃんはよく、「腰巾着」と陰口を叩いていた。
なにを言われてもどうでもいいけれど、早く食事を済ませて、旅館から抜け出す方法を考えないと。
自然と会話が途切れた頃、左隣のちーちゃんが、私の左手を取った。
「ん?」
「さやちゃん、指、どうしたの?」
不安げに、指の付け根にある傷跡を見るちーちゃん。
なんでもないよ、と喉元まで言葉が出そうになる。
けれどその時、楽土から出る直前のイーゴンさんとの会話を思い出して、そんな誤魔化しは、したくないと思った。
「…大切な人を、守るために負った傷。
私の勲章なの。」
ちーちゃんには、何故だか正直に伝えたかった。
私の、大切な――
「ぷっ…!なに、それ!」
吹き出して、声を上げる王さん。
私の大切な思い出を、馬鹿にしたような態度。
一瞬だけ感情が出て、腰に手を添えそうになる。
行き場を失った両手を強張らせ、つい、睨みつけてしまった。
「な、なによあんた。」
「声、大きいよ。
ご飯が口から飛び出しちゃう。」
私が言い返さないと思っていたのか、絶句する王さんと坂本さん。
強引に会話を切り上げて、黙々と食事を続ける。
右隣の前田くんは、長机の下で親指を立て、「よく言った」と目で訴えてきた。
朝食後、私たちは大広間に集められた。
整列して座る生徒の前に、神妙な面持ちの先生たちが横並びになって、なにか話があるみたいだ。
大浴場からの帰り道で、微かに聞こえた会話内容から察するに、学校側の対応に関する話だろうか。
「知っている人もいると思いますが、生徒の中に、事件に遭って亡くなった方が数名います。」
学年主任の中山先生が、代表して話している。
亡くなった生徒の中で私が把握しているのは、B組のりりちゃんとしおりちゃん。
あと何人か、伏見稲荷で同じ制服の生徒を見たけれど、顔は見ていない。
「――B組は椿本莉々《つばきもと りり》さん、早川栞さん。C組は…」
A組は一名、B組は二名、C組も二名、E組も一名、それぞれ亡くなったそうだ。
合計六名の生徒が、あの狂った儀式のために殺された。
とてもひどい、拷問を受けて…
すすり泣く声が、大広間のそこら中から聞こえてくる。
「警察によると、犯人を全力で捜索中とのことです。そして…
――交通機関の封鎖が発表され、久喜北高の全員が、明日予定していた新幹線での帰宅が、できなくなりました。」
一斉にどよめきが広がり、緊迫した空気が流れ始める。
なるほど、犯人の逃走を防ぐためだとか、この一帯に遊び半分で野次馬を来させないためだとか、理由は様々だろう。
あの時先生たちが話していた内容はこれか。
「これは、警察の判断によるものです。
そして旅館のご厚意で、しばらくの間、ここで滞在させてくれるとのことです。
今日予定していた体験学習も、中止となりました。
事件が解決するまで、生徒の皆さんは、外出を控えて下さい。」
まずいな…
ここに籠っていれば、学校関係者に危害が加わる可能性は低いだろう。
しかし、私が外に出なければ、他の関係ない人が殺される。
どこか、旅館から出る抜け道はないものか…
集会が解散となり、陰鬱な雰囲気でそれぞれの部屋に戻っていく生徒たち。
ちーちゃんも、一層不安な表情だ。
「真白さん、ちー、大丈夫?」
部屋までの道で声をかけてきたのは、学級委員の平沢さんだった。
ちーちゃんとは中学から一緒らしく、よく内輪ネタで盛り上がっていた覚えがある。
私たちの班は、二名の犠牲者が出ている。
教室でいつも仲良くしていた四人組だったのは、彼女も知っていた。
気遣って、声をかけてくれたのだろう。
「あ、ななちゃん…
大丈夫じゃ、ないけど…」
「そうだよね…ごめん。」
会話が途切れる。
私はそれより、彼女の姿を注視していた。
状況が状況なだけに、違和感がある。
しっかりと身だしなみを整えて、ヘアメイクもばっちりの平沢さんの顔。
早起きして、今日の体験学習のために気合を入れて化粧したのだろう。
部屋に戻ってすぐ、布団を敷いてあげた。
「ちーちゃん、今はとにかく、休んで。
暖かくしてね。」
「さやちゃん、外に行くつもりなの…?
嫌だよ、一緒にいてよお。」
「…ごめん、お母さんに電話しないといけないの。
まだ、連絡取ってないから、心配してる。」
これも本当のことだ。
さっきスマホを確認した時、二度鳴った着信が誰からのものであったかわかった。
お母さんが、朝起きて一番に電話をかけてきていたようだ。
私が行方不明になったことは、警察にも通報したとの話だったし、当然保護者にも連絡が入っていたはず。
…本当に、心配かけちゃったな。
ちーちゃんは、しぶしぶ納得したように、大人しく眠ってくれた。
穏やかとはいえない寝顔だけれど、こういう時は寝るのが一番だと、私の経験則ではそう思う。




