第60話
佐山茅陽ちゃん。
ちーちゃんは、私の通う久喜北高校の二年B組、同じクラスの親友だ。
最初はちーちゃんの苗字と、私の名前の音が似ている、なんて他愛もない話から、会話していく内にすぐ仲良しになっていった。
皆の妹分のような存在で、胸元まで伸びた真っ直ぐな黒髪が、いつも奇麗だねと仲間内で話題の種だったな。
震えて泣きじゃくる彼女の手を引き、冷えた石垣に座らせて、落ち着くのをじっと待つ。
この子が感じている恐怖は、少し前の私が感じていたものと同種のものだろう。
いきなり非日常に巻き込まれて、大好きな人がいなくなって、一人ぼっちになる……
想像できてしまう。
体験したからこそわかる、底冷えするような恐怖。
私は彼女を介抱しながらも、思考を巡らせ続けていた。
私の消えた傷と、りりちゃんの全身にあったはずの傷。
見渡すと、付近に倒れている警官や、一般客たちの傷も、消え去っていた。
ライトで照らせた範囲しか見ていないけれど、あまりに酷い損壊をした遺体も、確かにあったはずだ。
…首が落ちていた人の遺体も、その頭は正常な位置に戻っている。
こんなことができる人がいるとしたら、それは神さまと呼ばれる存在だろう。
死にかけの私の命を繋ぎ、傷を全快させた。
さらに、死んでしまった人たちの尊厳を、可能な限り取り戻して、弔う人の気持ちに寄り添う。
慈悲深い、尊い方なのだろう。
伏見の神さまが、傷付いた人々を癒して下さったのだろうか。
だとしたら、感謝してもしきれない。
けれど、贅沢を言うなら。
どうか、無残に殺された人々が、死後も苦しい思いをしないように…
どうか、お願いします神さま…
『―――』
「さや、ちゃん。どこにいたの…?」
手を繋いだまま、ぴったりと私にくっついて、ちーちゃんが声を発した。
ようやく、話せるくらいには落ち着いたようだ。
小刻みに震える身体は、寒さのせいだけではないだろう。
「……ごめん、はぐれちゃって。」
上手く説明できる気がしないし、今の彼女に楽土のことを話しても、余計に混乱するだけだろう。
「皆で、探したんだよ…
先生にも電話して、それでも見つからないから、警察にも。
心配、したよお…」
「ごめん、私、そんなつもりじゃなくて…」
楽土への転移は不可抗力だと弁明しても、言い訳になるだけだ。
私をこの稲荷大社で探していたせいで、りりちゃんとしおりちゃんは、殺された。
ちーちゃんも、殺戮の現場を目撃しただろう。
…友達が殺されて、一生消えない傷を、心に負った。
「血がいっぱい…病院、行かないと…」
改めて自分の姿を見ると、全身血まみれだ。
顔にも乾いた血が付いた感触があり、コートで隠せない足元は、転移してすぐに汚れている。
「ううん、大丈夫。
怪我してないよ。ほら。」
血が付着している場所を見せると、ちーちゃんは表情を強張らせた。
けれど、そこに傷が無いとわかると、安心したように溜め息を吐いた。
「…?
さやちゃん、髪、伸びた?」
「そ、そう?気のせいじゃない?」
ちーちゃんからすれば、たった一日にも満たない間に、だいたい二ヶ月分くらい髪が伸びているように見えるはず。
こういう時、周囲の変化に過敏になる気持ちは、よくわかる。
楼門付近の遺体に、怯えて目を伏せるちーちゃん。
血の海が広がっているけれど、傷が消えて、穏やかな表情に変化しているのもあって、本当にただ眠っているだけに見えてしまう。
私は身体を使って、りりちゃんの遺体への視線を切った。
きっと、見ればパニックを起こすだろう。
とにかく、落ち着いたのなら、旅館を目指して出発しよう。
「ちーちゃん、旅館まで戻ろう。
道、覚えてる?」
「うん…あ。
ちょっと、待ってて。」
立ち上がり、トイレの中へ入っていくちーちゃん。
個室の扉を開閉する音が聞こえて、すぐに戻って来た。
あ、私のリュック!
「これと、スマホ、預かったままだったから。」
真っ赤に泣き腫らした顔で、妙に冷静な対応をしてくれる彼女。
「ありがとう。
持ってて、くれたんだ。」
リュックを背負い、スマホで時間を確認して、制服のポケットに仕舞う。
現時刻は、十一月 二十日 五時 三分。
修学旅行の三日目だ。
スマホの充電も半分以上あるから、旅館までは充分もつ。
出発すべく立ち上がり、制服で太刀を覆って隠す。
なんとか鞘の途中まではカバー出来た。
目立たないようにしたいけれど、この長さの物を隠すのは難しい。
「え、それ…
持って行くの?」
「…うん。
これがないと、守れないから。」
当たり前の反応だけれど、今はとにかくここを離れた方がいいだろう。
大量殺人の現場で、血塗れの身体で太刀を所持した私と、事件を目撃したちーちゃん。
警察に見つかれば、身動きが取れなくなる。
そう考えて、稲荷大社の出口側を見渡した、その瞬間――
「っ!」
間違えようがない、剣士だ。
楽土から、正に今この瞬間に、現世に現れた。
剣士はこちらに気付いて、僅かに身構える。私は、即座にちーちゃんの前に出た。
敵でも、そうでなくても、どうでもいい。
「…ひひっ。」
嘲笑うような声を上げた、浅黒い肌の剣士は、一瞬で私たちから距離を大きく離し、立ち去っていく。
「待て!どこに行く!」
「さやちゃん!待ってよ…!」
「っ、なに!」
あ…
手を引っ張られて、つい大声を上げてしまった。
振り向くと、小さな身体を震わせて、涙目の彼女。
怯えた表情を貼り付けた、ちーちゃんの顔がそこにあった。
荒くなった呼吸を落ち着かせて、大きく息を吸う。
……追えば、彼女を置き去りにしてしまう。
もし、私がいない間に襲われたら、絶対に無事では済まない。
今回のは、ちーちゃんにとって運が良かっただけのことに過ぎない。
「ごめん。出発しよう。」
こういう時、セラやつるさんはなんと言って落ち着かせてくれたんだっけ。
上手い言葉が、出てこない。
消えた剣士がいた方向を見る。
……最初にあの男が立っていた場所。
ここは、私が転移して戻った地点だ。
まさか…そうなの……?
私の、せいなのか…
「そこ!何をしている!」
不意に声をかけられ、緊張したままの身体が即座に抜刀の構えを取る。
声のした方向を睨むと、警官が立っていた。
腰に手を添え、威嚇する女性警官。
私に戦闘の意思があると取ったのか、緊張の面持ちだ。
けれど――
「お巡りさんだ、よかったあ…
さやちゃん、保護してもらおうよ!」
ちーちゃんは安心した様子だけれど、私は保護されるわけにはいかない。
既に何人も警官が殺されている。
私に殺せる程度の、楽土の底辺なんかに。
警官を悪く言うつもりは全くないが、任せるつもりはない。
「だめ。
警官じゃあいつらには勝てない。」
「え、なに、言って…」
無線のノイズが走り、男性の声が響く。
『――伏見署から全員。単独で動くな。』
警察は、かなり対応が後手に回っているようだけれど、それも仕方ない話だ。
目の前の女性警官は、無線に短く応答して、すぐこちらを注視した。
ゆっくりと近づく警官を観察していると、かなり年齢が若いようだ。
二十代前半、多分新人の警官なのだろう。
手慣れていない感じがするし、手先が震えている。
周囲の遺体に動揺しているのか、私の態度のせいで警戒しているのか。
「手に持っているものを、離しなさい。」
コートの裾を、ちーちゃんがぎゅっと掴む。
…言われた通りにするしかないか。
制服で覆われた太刀を地面に置いて、距離を取る。
警官はしゃがみ込んで、それがなんなのかを確認した。
「なぜ日本刀を…
これを、どこで手に入れたの。」
「この辺りで拾いました。」
そう言いながら視線を向ける。楽土の剣士が二人――
…あれ、確かここに倒れていたはずなのに。
「…そこを動かないで。」
太刀の所有者は消えていたけれど、この付近で拾ったのは本当だ。
私は、嘘を言うつもりはない。
私なんかが嘘を吐いても、警官相手には見破られるだろう。
相討ちしたと見られる楽土の剣士たちの姿はない。どういう、ことだ…
皆の傷を癒して下さった神さまが、どこかに隠したとか…?
…都合の良い考えだ。
二人とも生きていて移動した…?いや、死んでいたはず。
思案を巡らせていると、規則正しい革靴の足音が聞こえて来る。
警戒を露わにしながら、その人はすぐ近くまで来て、
「…怪我を、しているの?」
「いいえ、してません。」
「その血は?」
「この辺りの人たちの、血です。」
私の身体は全身血塗れだ。
足元は転移直後に座り込んだせいだし、上半身のは自分のものだ。
この辺りの人たちの血。自分も含まれるだろう。
「とにかく、伏見署に来てもらいます。事情はそこで。」
「だめ。行きません。」
「…なにを、こちらで保護を――」
「行けません。
私が動けない間に、もっと沢山の人が死ぬ。」
これも、真実だ。
楽土の住人を止められる方法を知るのは、実際に行って帰ってきた私と、漏れ出た剣士だけ。
動揺を隠せない女性警官に、更にまくし立てる。
「山の上まで行って来たけど、何人も警官が亡くなってた。
たった一人の男に、二十人以上殺された。
でも、私なら殺人者を止められる。」
「ただの、学生が何を言うの…」
「ただの学生に見えるなら、そう思えばいい。」
それきり、警官は押し黙ってしまった。
地面に置き去りとなっていた太刀を拾い上げ、また制服で包む。
私は、ちーちゃんの手を引いて、旅館へ向けて歩き出す。
思惑通り、止められはしなかった。
けれど、少し離れた所から、ずっとその女性警官は着いてきている。




