第59話
出血が…ひどい。
視界が悪いのは、多分暗さのせいだけではないだろう。
半分になった視野で、足元を確認する。片目を失っても、後悔はない。
仇は取ったよ、りりちゃん、しおりちゃん。
ちーちゃんは、無事かな…
ゆっくりと、重い身体を引きずるように、階段を降りていく。
どれだけ深く息をしても、息切れが治まらない。
でも、他に殺人者がいるなら、そいつも止めないと。
もう誰も、死なせない。
「ぐっ、はああ…はあ…」
手で胸の傷を押さえ、僅かでも出血を止めようとしているけれど、傷口が大きすぎる。
こんな時でも、頭は多少冷静で、ちゃんと太刀を納刀していく。
下山して、誰かと連絡を取らないと。
…お母さん、すぐに電話できなくてごめん。
縺れる足に、無理矢理言うことをきかせて歩かせる。
倒れたら、多分立ち上がれない。気を抜いたら、意識が遠くなっていく感覚があった。
セラ。
私のこと、見ていてくれたの…?
あなたの声が、遠のいた私の意識を、呼び戻してくれたんだよ。
それとも、ただの幻覚だったのかな…
楽土で別れた後のこと、全部知って欲しい。
私、一生懸命にやったの。
でも、でも…こんなことになるなんて…
戻ってくるべきでは、なかったのかもしれない。
奥社まで降りて、またあの警官の遺体の傍を通る。
無線は、鳴っていない。
他の殺人者の情報を得られれば、よかったんだけれど。
…この人は、拳銃で抵抗したのだろう。
あの男に立ち向かって、殉職した。
彼の左手の薬指には、結婚指輪がある。
それに、登りで見たスマホのロック画面には、二人のお子さんの写真が…
こんな死に方をしたと聞いて、奥さんやお子さんは、なんて思うか。
胸が張り裂けそうだった。
千本鳥居までなんとか戻ったけれど、もう、動けない。
冷たい石畳に座り込んで、浅い呼吸を繰り返す。
身体が、冷たくなっていくのを感じる。
石畳には私の血が染みついて、どんどん汚れていく。伏見の神さまは、もう許してくれないだろう。
地獄行きに、なっちゃうのかな…
それは、それだけは、嫌だ。
悔しい…
まだ、やらなきゃいけないことがある、のに。
ちーちゃん、お母さん、ごめん…
吐く息が、白くなくなっていた。とても寒い。
もう、死ぬ、のかな…
『彼を理解できなかったとしても、その信仰まで否定することは、してはいけません。』
いつだったか、セラが言っていた。
プララヤの目的は、信仰に基づくものだった。
さっきの男も、間違いなくそうだ。
けれど、信じる神のために何十人も殺すなんて、そんな信仰を肯定できるはずない。
ましてや、死者が生者を生贄に捧げるなんて、許されるものか。
ごめんね、セラ。
死んだら、楽土へ行くのかな。
つるさん、イーゴンさん。ごめんなさい。
私、教えてもらったこと、全部無視して戦った。
自分の命を顧みない、命を使い潰すような戦いを、してしまった。
皆が守り切ってくれて、送り出してくれた、私の命。
叱られちゃうな…
でも、頑張った…よ…
*
まずいな、傷が深い。
体力がもてば、なんとか持ち直せる。
頑張れ、いいぞ…
……よし、よく耐えた。
この事態を静観するつもりなのか…?
異物を土地の外に出さないよう対策はしているようだけど、意図的に穴を作っているな。
あの人のやることなら、なにか考えがあるんだろうけど…
この一帯の惨状の源、もしやこの子が食い止めたのか。
すごいな、君は。
あの寒い夜のこと。
傷だらけの身体、冷たくなった小さな手。
たった一人の、生存者。
…思い出すな。
あの時も同じように、あの子は懸命に生きようともがいていた。
『優しき、言葉とは。
このようなものか……もので、しょうか。』
――つる。
俺はまた、誰かを助けることができたよ。
*
「……ん。」
気がつくと、転移した楼門付近の石垣に、もたれ掛かって眠っていたようだ。
明け方に差し掛かっているのか、空が白んできている。
身体が妙に暖かい。
見ると、誰のものなのか、ベージュのダウンコートが着せられていた。
けれど、それ以前に、おかしい。
痛みが全くないし、なにより…
「あれ…?目が、両方?」
失ったはずの右目が、鮮明に朝の境内を映し出している。
慌てて、胸の傷を見ると――
「うそ、どういう、こと…?」
血まみれの制服の切れ目から覗く、私の左胸。
鎖骨のすぐ下にあった傷は、最初から無かったかのように、奇麗に治っていた。
まさか、未だに楽土のルールが私にも適用されている…?
左手の人差し指と中指を見ると、確かな傷跡が刻まれている。
指が治った時のように、通常より早い回復が起きたというのか。
確証はないけれど、そうとしか考えられない。
そもそも、このコートは誰のものなんだろう…
誰かがここで寝ていた私に着せてくれたなんて、それも不自然だと思うけれど。
「…りりちゃん。」
向かい側に倒れる、りりちゃんの遺体。
…?
なんだか、妙だ。
りりちゃんの身体、あれ、さっきと違う…?
「え、なにが…?」
りりちゃんの、傷だらけだった身体。
無数に刻まれていたはずの痛々しい傷跡は、全て消えて無くなっていた。
心なしか、穏やかな顔で眠っているようにさえ見える。
全部、夢だったのかと、疑う程に。
けれど、確実に息は、していなかった。
「っ!だれ!」
楼門のすぐ傍には、公衆トイレがある。
その方向から、物音がした。
石垣に立てかけられていた太刀を持ち、ゆっくりと近づいていく。
つい、声を上げてしまったけれど、慎重にいかなければ。
静かに、足音を立てず、じりじりとトイレに寄っていく。
男子トイレと女子トイレの、どちらから音が聞こえたのかまではわからなかった。
男子の方に入るのは気が引けるけれど、そんなことを言ってる場合ではない。
けれど、そもそもこの太刀では、トイレの中で戦闘なんてできはしない。
小太刀でも、かなり制限されるだろう。
思考を加速させて、戦術を練っていると――
「さや、ちゃん…?」
「え?」
突如、私の名前を呼ぶ女性の声。
女子トイレの方から聞こえたそれは、どこかで、遠い昔に聞いたような声色だった。
知っている、声。
半身だけ姿を現したその人物は――
「ちー、ちゃん。」
「さや、ちゃあん…
ぐすっ、うええ…」
「ちーちゃん!」
…ああ、生きていてくれたんだ。
あの殺戮を逃げ延びて、生きていた…
ここに隠れて、どれだけ怖かっただろうか。
トイレから出たちーちゃんに駆け寄り、怪我はないか確認する。
大泣きするちーちゃんは、よほど緊張していたのだろう。
手で顔を覆い、声を上げて嗚咽を漏らしている。
私は自然と、彼女を抱きしめた。
…同じだ。
恐怖の瞬間を乗り越え、目の前のつるさんに抱き着いた、あの時の私と。
ちーちゃんは、同じなんだ。




