第58話
鞘を放り投げ、石の鳥居をくぐり、階段を上る。
殺人者の手には血まみれの奇妙な剣。あれが、剣だというのか。
木で作られた柄の先に、羽子板のように平らな板。
しかし、その板の側縁に沿って、鋭利な黒い石が歯のように並んでいる。
あんな物で、痛めつけられて…
怖かっただろうに。
ほとんど裸に近い男の姿は、どこかの部族のものか。
腰に差した黒光りする石のナイフが、気味の悪い光を放つ。
お前がどんな神を信仰しているかなんて、関係ない。
本当に、連れて来てくれていいよ。そいつも殺してやるから。
「そら、娘!
とにかくここへ寝るのだ!」
「……ここに?」
お賽銭箱のあるスペースに、石の台が置いてある。
寝台にでも使うつもりか。
「ああ!
しっかりと自分の足で登ったな、これで――」
乗ってやれば、その気になって説明しだす。
石の台の方に、よそ見をしている男。…私が、ただ殺されにきたと思ってる。
抜き身の太刀を持った人間がすぐ近くにいるというのに。
馬鹿じゃないの。
私は、揺れる切っ先を突き出して、男の右肩を突き刺した。
「ぎっ、あああ!
な、なにをする…!」
「痛い?よかった。」
引き抜いて、血を振り払う。
なにをするって、なんだよ。
不意打ちで殺すなんて、そんなにあっさり死なせないよ。
苦しめ。
左手に石剣を持ち換えて、抵抗する男。
そこへ、私の太刀筋が交差する。
数え切れない回数をこなした、素振りの動き。
振り下ろして、太刀と石剣が火花を散らした。
打つ、打つ、打つ。
なんだ、防御してばかりか。
必死の形相の男は、肩の傷とは関係なく、冷や汗をかいている。
そうか。
「抵抗できない相手にしか、強く出られないんだ。」
いつか、浅倉さんが首切り役人ザムエルに放った台詞だ。
こいつは、剣士じゃない。
ただの屠殺者だ。
「ぎええ!」
涎を飛び散らせた無様な顔。
雑な振り回しだ、対応――
あ、重…
「ぐっ…!」
しま…った。
左胸を斬られ、血がどくどくと溢れ出す。
反射で受けに回ったのが、間違いだった。
まずい、両手で太刀を支えるのが難しくなる。
小太刀の癖で――いや、今はそんな言い訳はいい。
痛くても、両手で振れば関係ないだろう…殺せれば、なんでもいい。
激しい出血を無視して、両手で太刀を打ち下ろし続ける。
こいつは、楽土の最下層の弱者。
私の憧れの人たちに比べれば、虫みたいなものだ。
痛みは関係ない。恐怖も感じない。
ただ殺意のみが、私の身体を操り人形のように、糸を繋げて無理矢理動かし続けている。
腕が痺れて、感覚が薄くなっていく。
浅倉さんの、つるさんの、松吉くんの、東郷さんの、見せてくれた技。
同じ日本刀を扱う達人の、見様見真似。
読ませない。全てを使って、勝つ。
振り下ろし、突き、踏み込んでまた縦に振る。
もう相手の後ろは塞がる。
圧し潰す。
腕だけで羽子板を振り、怯えた態度で防戦一方の男。
なんだよ、その顔。
なに被害者ぶってんだよ、おい。
「助けてもらえよ、神とやらに。」
「ぎっ、ひい!」
男の身体にはいくつも傷をつけてやった。
けれど、まだ致命傷ではない。息が荒くなっている。
それは私も同じだ、でも。
お前とは、追いかけてきたものが違うんだ。
「ぐおおお!」
っ、こいつ!
飛び掛かり、大上段からの振り下ろし――
太刀で受け――
「く、うううう!」
力を込めた左胸から、血が勢いよく吹き出す。
両腕を使って受けても、力では敵わない。
押し負けて、鋭い石が、目に食い込む。
「うああっ!」
視界が半分、真っ暗になった。
必死の形相で体重をかける男。
…意識が、遠のいていく。
ああ、だめなのかな…私じゃ、勝てな――
『――サヤ、教えたはずですよ。』
「っ!ど、けえ!」
男の腹を蹴飛ばし、距離を離す。
大好きなあの人の、聞いた覚えのない言葉。
まだ、終われない。
諦めてはいけないと、彼女に教わったのだから。
右目が、潰された。
痛みは完全に麻痺している。それならいい。
男は、勝ち誇ったかのように、不気味に嗤っている。
私を生贄にできると、思っているだろう。
けれど、教えてくれたよね、セラ。
「…とどめの一撃、は。」
『――そう。
外せばリスクが非常に高い。狙うなら、そこです。』
うん、わかってる。
ありがとう。
味を占めたのか、男はもう一度、飛び掛かってくる。
…同じ動きを連続で繰り出すなんて、素人丸出しだ。
「…それはもう見た。」
直前、私は半身になって躱し、男は明後日の方向へ突っ込んだ。
地面に激突し、石剣を手放してしまっている。
石の社に弾かれ、軽い音を立てて剣が転がっていく。
男は身体を震わせて、腰が抜けているのか、立ち上がらない。
恐怖に染まった表情で、私へ掌を向ける。
ゆっくりと、敢えて足音を立てて近づく。
思い出していた。
りりちゃんの笑顔を。
しおりちゃんの笑い声を。
「忘れるな、自分のしたことを。」
「や、やめろ!」
膝を突き刺す。
「ぐおお!頼む、やめてくれ!」
右腕を縦に裂く。
「ぐあああ!痛い、痛いい!」
「忘れるな、地獄に落ちても。」
左手を切断する。
「ああ、ああ!神よ!お助けを!」
「呼べよ、どうせ来ない。」
腹を真横に破る。
「ごぶっ、ああ…テスカ、トリ…」
「生贄になれてよかったね。
お前の神とやらに、よろしく。」
喉を貫いて、真下に切り開く。
「ごぼっ、おおお…。」
へそまで切り開いた裂け目から、泡になって血がこぼれ出ていく。
呼吸を続けようともがく惨めな男が、血走った目で私を見ている。
水気の混じったうるさい音が消えて、男の目は焦点をぼやけさせた。
死んだか。
死んでからも苦しめ。
私がそっちへ行ったら、また追いかけ回して痛めつけてやる。
片方だけになった視界で、男の絶望の表情を眺めていた。
けれど、不思議な程に、気は晴れなかった。




