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剣の楽土  作者: かが介六郎
第一部 楽土の華
7/8

第5話

「おはようございます、サヤ。」


目を開けると、セラの顔がすぐそこにあった。

どうやらぐっすりと、眠ってしまっていたようだ。

私の頭をひざで預かってくれているセラは、上着を脱いでいる。それは横たわる私の身体に、優しくかけられていた。


「気分はどうですか?」


はっきり言えば、全く優れない。

しかし、眠りに就く前にたくさん話をしてくれ、眠りに落ちてからもずっと、そばで見守ってくれていた彼女には、心配はかけたくなかった。


セラに手を貸してもらい、上体を起こす。

脚の傷は、もうあまり痛まなくなっていた。

自分で歩くと強がってはみたが、イーゴンさんは首を横に振った。


「走って上層を目指すのですから、無理は許しません。

あなたは、体力を温存しなければならない。私が背負うのが最も合理的です。」


そこへ、足音もなく、ゆっくりとつるさんが近づいてくる。


「改めて、奥白石おくのしらいしつるです。

真白さや。

そなたの置かれている立場と、この楽土のこと、出来る限りの説明は致します。」


つるさんは、後ろで一本に結った黒髪と、透き通るような真っ白な肌。

濃い紫色の瞳を収めた、切れ長の目に、血のように真っ赤な唇。

背は高く、身長一七〇センチメートルはある。

背中で揺れる大太刀は、その朱色の鞘がとても鮮やかで、上品に輝いている。

とても奇麗な人だと、思った。妖しいほどに。

――恐ろしいほどに。

あれ程の暴力を行使する人には、見えない。

だからこそ、そのギャップも相まって、人ならざるもののような、危うい美しさがある。


「あ、は、はい。

つる、さん…昨日は、ありがとうございました。」


イーゴンさんは何も言わず、一歩距離を取った。

セラに上着を返し、私はつるさんを見上げて話を聞く。

けれど彼女は、私を正面には捉えず、顔もこちらへは向けていない。


「脚の傷は如何いかほどですか?」


「え…っと、治りかけ、です。」


面と向かって話さないのは、私へのなにかの配慮はいりょなのだろうか。

それとも彼女自身が、私を見たくない、とか。

包帯が巻かれた脚を無意識にさすって、私は答えた。


「せら殿。

これは剣による傷であったのですか?」


「いいえ、違います。

おそらくですが、鋭利えいりな石かなにかで切ったものかと思われます。」


「…よろしい。

さや、これは楽土において、最も基本的な決まりをおかした現象です。」


楽土の基本的な決まり。

楽土のルール。

それって――


「剣の楽土では、剣によってのみ剣士は傷つき、死に至ります。

これまでそなたのように、石塊いしくれなどで怪我をする者は、おりませんでした。」


「……剣でしか、死なない。」


私は既に、このルールが適用された瞬間を目撃していた。

あの狭い通路で、つるさんに頭を叩きつけられた男は、全く出血していなかった。

しかし直後に、短刀で刺されたことが、致命傷となったのだ。

あれ、そうなると私の怪我は――


「脚の傷は、剣によるものではない。

これは、そなたに楽土の決まりが当てはままらぬことを意味します。

…即ち、そなたが生者せいじゃである、ということを。」


生きたままここへ飛ばされたと、そうイーゴンさんは言っていた。

皆と違って、私だけは、この死者の国で生きている。

じゃあ、あの人たちが私を狙った理由というのは…?


「これより、我らは楽土の頂上。果てを目指します。

そこで、そなたを現世にかえします。」


情報の、嵐だ。

けれど今、突如とつじょとして、希望的な情報が舞い込んだ。

日本に、帰れる…

そういう意味に、聞こえた。


「ツル殿、それは本当なのですか!?」


イーゴンさんが大きな声で割って入った。

楽土の果てまで登れば帰れる、というのはここでの常識ではないようで、セラも浅倉さんも、驚きを隠せないでいる。


「…これは、確かなよしというわけではありません。

果てまで参れば、世界が途切れており、そこから現世への道が繋がっている。

そう、大昔に耳にした覚えがある、というのみです。」


「そんな、話が…」


イーゴンさんは狼狽ろうばいして、私の方を見た。


「この楽土を、出られる、と…」


思考が口に出てしまっているような独白を無視して、つるさんは咳払いをする。


「還す、と断じ誤解を招くつもりはありませんでした。

されど今は、ほかに選ぶべき道はない。」


移動を続けなければ、昨日の人たちがそうしたように、襲われるかもしれない。

上層を目指すならば、果てまで行き、帰れる可能性はあるらしい。


「行くしか、ないんだ。」


しかり。

ただし、上層の地形について、私は多くを知るわけではありません。

されどこれは、上を目指すという意があれば、さほど問題ではなきこと。」


どういうことだろう。

道がわからないのに、こんな複雑に入り組んだ建物で迷ったら、もう終わりなのではないのか。


「疑問はもっともです。

この楽土において、行き止まり、というものはありません。

必ず、道は何処いずこかへ繋がっている。

即ち上を目指せばいずれは、果てまで辿り着く、というものです。」


迷っても、道をしらみ潰しに通っていけば、必ず目的地まで行ける。

そういうことらしい。


「そして、昨日のやからがそなたを狙った理由にも触れておきます。」


急に、心臓が落ち着かない様子で鼓動を早めた。

昨日の、津久井が死んだ瞬間がフラッシュバックして視界が歪む。

落ち着こうと必死に、丁寧に呼吸を繰り返した。


「…命をたずさえたままこの地に在るそなたは、行く末を失いし楽土の者にとって、現世とのえにしを繋ぐ者。

…いわば、帰り得るやもしれないという望みそのものです。

ここへ辿り着きしろくでなし共は、現世で得られし快楽にえています。」


そういうことだったのか、と理解するにはあまりにも、あまりにも。

私は、与えられた情報を咀嚼そしゃくしようと脳を回転させる。

彼らにとっての、私の価値。

あの人たちは、私が何か情報を持っていると仮定しているのだろうか。


現世への帰還……

それは死者にとって、これ以上ない程に魅力的だろう。

果てへ至れば、現世への道があるという情報は、今のところ、つるさんしか知らなかったことだ。

これが広まれば、秩序ちつじょが崩壊するのは明らかだろう。

だからつるさんは、あえて隠していた。


「少し、休憩と致しましょう。」


多すぎる情報で、脳がパンク状態になっている私を察してか、つるさんは一拍置く提案をしてくれた。

この人は、本当は優しい人なのかもしれない。

…それとも、どこまでも合理的なだけなのか。


ふと、つるさんと目が合った。

だけど、気まずくて、すぐに逸らした。逸らしてすぐに、後悔した。

怖がっているように、見えたかな…

実際、ちょっと怖い。

けれど、昨日あんなことがあっても、彼女が嫌いなのではない。

ただつるさんとは、お互い理解を深められる関係には、なれそうもない気がしていた。


「えいごん、代わるぞ。」


「いいえ、アサクラ殿。

あなたの岸壁がんぺきの様な背でレディを運ぶのは、やめておきましょう。

彼女が怪我をします。」


「お前なあ…」


軽口を言い合う男性陣。

こういう関係性だったんだ。


自分なりに情報をまとめてみてはいるけれど、思考が止まってしまう。

こういうのは、一眠りすれば、整理できているものだと思い、次の話へ心の準備をする。


「つるさん、あの…」


「あら。

もう、よいのですか?」


つるさんは、私を見ない。

さらには、目を伏せたまま話を続ける様子だ。

さっきのこと、気に障っただろうか。

……だろうか、じゃない。当然だ。

荷物の整理をしていたイーゴンさんたちも、集まってきた。


「さや、率直そっちょくに尋ねます。」


「は、はい。」


目を伏せたつるさんは突然質問を投げかけた。


「そなた、腹は空いておりませんか?」


私は、はっとした。

何時間寝ていたかわからないが、浜辺で目覚めてから一日近く、なにも口にしていない。

けれど、不思議とお腹は空いていなかった。

強いストレスを受けると、空腹を感じなくなる。

そんなことがあると、何かの番組で見た気がする。

……それより、別の不安が、先に浮かんだ。


「今は、空いてません。

でも、食べ物なんてあるんですか?」


死後の世界である楽土に、生きていくために必要な食べ物は存在するのだろうか。


「…食料は、わずかであれば、手に入ります。

されど食すのは、やめに致すのが賢明でしょう。」


「え、どうしてですか?」


「…黄泉戸喫よもつへぐい、です。」


私と、イーゴンさんと、セラは、ぽかんとした顔でお互いの顔を見た。

私が聞いたことのない言葉だった。

しかし、浅倉さんは納得したような表情を見せている。


「黄泉戸喫いうんは、あの世の食い物を一度でも口にしてしもうたら、生きとる者でも現世に帰ることは出来ん、という決まりのことやな。」


「然り。

古事記こじきにおいて示された、生者にとっての禁忌きんきとなる行為を指します。」


それじゃあ、ここで食べ物を口にしたら、楽土の果てまでたどり着いても、帰ることはできなくなる…?

生者では、なくなってしまう。

ここの住人に、なりはててしまう。


つるさんは、楽土の全てを知っているわけじゃない。

楽土の果てまで、どれくらい時間がかかるのかまでは、答えられないという。

それなら、果てまで行けば帰れるという話も、本当かどうかわからない……


「楽土に来る人は、死んだ時に持っていた物を、持ち込んでこられるのです。

食料をポケットに忍ばせていたまま亡くなれば、ここに来た時にも同じ物を所持している。これは、腐ることも傷むこともありません。

…そして、水は豊富にあります。

泉や川など、水場は楽土のあちこちに点在しています。」


セラは、楽土のルールをまたひとつ教えてくれた。

…なるほど、先人が持ち込んだ食料の積み重ねが、楽土の備蓄びちくとなっていたのか。

何かで見たけれど、食べ物を口にせずとも、人は数週間は生きられるという。


しかし、水は違う。

水を飲まなければ、人は、五日も保たない。

少なくとも、私の暮らしていた世界では。

突如として提示されたタイムリミットに焦り、喉がからからに乾いていく錯覚さっかくを覚えた。

いや、これが錯覚なのかどうかもわからない…


「水は、水だけはセーフとか、ないんですかね…」


楽観的な私の意見に、皆一様に眉をひそめる。

一際、険しい表情のつるさんは、熟考の末に口を開いた。


「正直に申せば、私にもわかりかねます。

果たしてこの楽土が、古事記に記された黄泉の国なのか否か。

黄泉戸喫とは、”国産くにうみ”たる伊邪那美命いざなみのみことでさえ、逃れられなかった強制力を持つ決まり事です。」


つるさんは、すらすらと流れるように言葉を紡いでいたが、少し言い淀んだ。

この先は、神話を引用した仮説にすぎませんが、と続ける。


「…されど、これは厳密には黄泉よみかまどで炊いた食べものを口にしてはならない、というお話でした。

水は…飲むことが出来る、やもしれません。」

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