第6話
あれから、二日ほど経った。
空腹感は一向にやって来ない。
けれど、喉の渇きは別だ。
体力の消耗は加速していた。
呼吸が、しにくい。
…イーゴンさんに、背負われて移動し続けているのにも関わらず、だ。
ただ揺られて移動しているだけで、疲れ切っている。
ここは、私が生きていける世界では、決してないんだ。
時折、流れる水の音がすると、抗えない渇きに喉を鳴らした。
つるさんは、度々《たびたび》休憩を提案してくれた。
めまいのする頭を揺らしながら、タイムリミットが迫ることを実感する。
「サヤ、一度横になりましょう。
はい、ここへ。」
セラは休憩の度に、真っ先に私の所へ来る。
ぎこちない笑顔が、かえって落ち着かなくなる。
…寝転んでも、体調に変化はない。
彼女は気を遣っているのか、明るい話題を選んで話している。
「セラ、ごめん…頭、痛くて…」
「あ、そ、そうですね…
どうすれば、いいのか…」
セラは震える手で、私の髪を撫でてくれる。
うろたえる彼女を、妙に冷静な目で見ていた。
この何日か、頭痛がひどい。
唇が、かさかさだ。
いつもより早く鳴る心臓がどくどくと、うるさい。
脈打つ音が頭の中で響くたび、鈍痛で視界が真っ白になる。
出発しようと起き上がるたびに、強烈な立ちくらみが、心を挫くように襲い来る。
イーゴンさんは、移動中にいろいろなお話をしてくれた。
生前のこと、楽土のこと、つるさんのこと、浅倉さんのこと、セラのこと。
皆のことを知れて、私の気分は少し楽になった、ように感じる。
けれど、無意識に考えていることは、お母さんのこと。
学校のこと、クラスメイトのこと。
同じ班のりりちゃん、ちーちゃん、しおりちゃん、担任のえりちゃん先生。
…会いたいな。
前を歩くつるさんは、こちらを見た。
……私を、見た。
初めて私を見てくれたように、思う。
つるさんの目は、複雑な感情の色を湛えていたけれど、朦朧な意識の中で、その色の正体はわからなかった。
「もう、限界でしょう。」
イーゴンさんの声が耳に届く。
私はいつの間にか、木造の建物らしき場所にいた。
そこで板張りの床に、寝かされている。
セラは上着を掛けてくれて、傍にいてくれる。
少し離れたところで、他の三人が話し合いをしているのが、微かに聞こえて来る。
「私が、あの子に選ばせます。
このままでは、果てに至るどころではありません。」
「ツル殿が責任を感じておられるのは理解しています。
お分かりでしょうが、これは取り返しのつかない事になる可能性があるのですよ。
選ばせるのではなく、彼女が自ら選ぶべきです。」
「あの子は…もう見ていられないほどに弱っています。
それにまだ、子供です。
大きすぎる決断を自ら下すことは、まだ出来ないでしょう。」
「それでもです。
あなたが選べと言って、彼女が飲まないと断ったらどうするおつもりか?
楽にしてあげるとでも?
これは選択ではなく、脅しです!」
じっと黙っていた浅倉さんが、二人の会話に口を挟む。
「水筒を貸せ。俺が飲ませる。」
それを聞いて、一瞬驚いた二人は顔を険しく歪める。
それぞれの意見がある中、急に割って入って方針を決定されるのは、癪だろう。
「お前らがしとるんは、責任の押しつけ合いや。
あの娘を見てみい。
とっくに限界を迎えとる。
この、みじかあい問答は、いつまで続くんや?娘がくたばるまでか?」
二人は閉口した。
私はゆっくりと、考えをまとめる。
水を飲めば、生きられるかもしれない。
でも、もう生者ではいられなくなるかも、しれない。
死ぬのと、同じ。
水を飲まなければ、近いうちに、私は死ぬ。
でも、生者のままで、死ねる。
きっと苦しんで、終わる……
私は、セラの名前を呼んだ。自分でも驚くほどに、か細い声だった。
三人が言い合っているのを見て、セラは沈痛な面持ちだったが、無理に明るい表情に切り替え、私の顔に耳を近づけてくれる。
「皆さん、サヤが、話したいと。」
皆が私の周りに集まって、私はセラに手伝ってもらい、上体を起こした。
「…つるさん、水を、ください。」
初めて、つるさんの顔を、正面から見た。
つるさんも、私をちゃんと見てくれた。
目は、逸らさなかった。
目の前には、竹で出来た水筒。
中には、たっぷりと飲み水が満ちている。
私の心臓は早鐘を打っていた、これが脱水症状によるものか、今の私の不安によるものか、わからないけれど。
「さや。」
つるさんが消え入りそうな声を上げる。
「どのようなことになっても…
私が必ず、見届けます。
…そなたを、一人には致しません。」
私の決意は固まった。
ひとりひとりの顔を見る。
イーゴンさんは、かなり不安げだ。
セラは、安心させようと優しい顔でほほ笑んでいる。
浅倉さんは、厳めしい表情だけど、じっと見つめてくれた。
つるさんは―――
怖いけど、皆がいればきっと、きっと大丈夫だ。
私が変わって、しまっても。
水筒の栓を抜き、水を一気に呷る。
全身が緊張して、震えている。
水筒を壊してしまいそうなほど、握りしめて。
顔を思いきり歪める。
怖い。
怖い。
怖い。
つるさんは、震える手で、ずっと私の手を握ってくれていた。
少しむせて、吐き出してしまったが、水は身体を潤すように、急速に循環している感覚があった。
つるさんは、道端に落ちていた、少しとがった石を持って、私の前に座っている。
楽土のルール。
剣でのみ、人は傷つけられる。
しかし、私だけは例外だ。
この石が、私を傷つけることがあれば、私は生者のまま。
傷が、つかなければ、私は楽土に囚われた無力な死者。
「さや…」
「やって。つるさん。」
すっと、一息に、左手の甲をとがった石が横切る。
「いたっ…」
生者が感じる痛みなのか、死者が感じた幻なのか。
どちらにせよ、痛みは今、関係ない。
私は、左手を見た。
傷はあるのか、血は出るのか。
つい、目を逸らしてしまいそうになる。
傷を覆い隠して、逃げ出したくなる。
決意して、決断して、水を飲んだのに…
さっきからずっと、怖いのがなくならない。
とても長い間、待っていたように思う。
じんわりと、左手から血が出て、遅れて、痛みが強くなって、私は…
思わず、つるさんに抱きついた。
抱きついて、わんわん泣いた。
つるさんは、臆病に思えるほど慎重に、私を抱きしめてくれた。




