第45話
なんとか自力で、上体を起こせるくらいには回復してきた。
つるさんが、身体を預けさせてくれている。
「そなた、約束は覚えていますね?」
約束…
それは、滝壺で休んでいた時のものだろう。
「帰ったら、正式な禊を授かる。忘れてないよ。」
「よろしい。」
この約束を忘れてはいなかったけれど、再び穢れに影響されたことで、強く意識している。
名のある神職の方に、と厳しく言い含められていたけれど、京都とか奈良には、そういう人がいるのかもしれない。
帰ったら、約束を果たさないと。
あ、それに…
「…無事に帰ったら、つるさんのお墓参り、する。
イーゴンさんも、セラも、浅倉さんのも。
もちろん東郷さんと松吉くんのも、絶対する。」
「墓など、私にあるかどうか…
されど、死地は大江山でした。その辺りの寺か社に参ればよい。」
「そっか…
ね、お盆にはさ、死んじゃった人たちが、お家に帰ってくるって、つるさんの時代にもあった?」
「ええ。
盂蘭盆には、亡き者たちが近くなる、というものでした。」
「じゃあ、毎年、大江山で会おうよ。
橘の花、お供えしに行くよ。
…時々でいいから、私のこと、見てて欲しいの。」
「……必ず、毎年帰ります。
向こうでそなたに会えるのが、つるは楽しみですよ。」
「うん、約束ね…」
別れを惜しんでいると、はっきり自覚しているけれど。
つるさんも、同じ気持ちだったら、なんだか嬉しい。
でも、泣けてきちゃうな…
すると、イーゴンさんが咳払いをした。
「イングランドはニッポンからは遠いでしょうが…
頼みますよ、サヤ嬢。」
「あはは!うん、絶対行くからね!」
ポワティエ、という土地で亡くなったと、イーゴンさんは言っていた。
英語も勉強しないと!
そして、セラはフランスで、ナポレオンの暗殺未遂が起きた場所で亡くなっている。
ネットで調べたら、きっとわかるだろう。
フランス語も、勉強しないと…
浅倉さんは、訛りがある人だったけれど、どこの出身か聞いていなかった。
多分、西の方の人だったと思うけれど、もっとお話をしていればよかったな…
そして、東郷さんと松吉くんは――
「――その裏から山へ入る細道があり、真っ直ぐ行けば寺があります。」
東郷さんは鹿児島の出身なのだそうで、かなり詳細にお墓の場所を教えてくれた。
「拙者は、伊勢国の出身でござった。
されど、先祖代々の墓などは、ありませぬ…」
伊勢神宮があるのが、伊勢の国、だろうか。
だとしたら、三重県だ。
大きいお寺を探してみよう。
帰っても、きっとまた会える。
そう思うと、胸が温かくなった。
つるさんに引っ張ってもらい、立ち上がってみる。
よろけてしまうけれど、支えられて、なんとかバランスがとれた。
ぎこちないけれど、ゆっくりなら歩ける。
「でも、このままだと戦闘には入れないかな。」
「落ち着いて、休息するのみです。」
確かに、焦っても仕方がない。
頂上を目前にして、気が逸ってしまっていたようだ。
少し、身体を動かしてみたくて、素振りをしてみる。
重心が安定しないけれど、不格好ながら、なんとか続けられそうだ。
そういえば、つるさんに攻めを教えてもらおうと思っていたけれど…
「つるさん、攻め手のことなんだけど…」
「そなたは、そなたの世へ帰るのです。
そこでは、いらぬ技。
この先何者が阻もうが、我らに任せるがよい。」
「サヤ嬢、あなたに今必要なのは、凌ぐ技術です。
死なないための剣、これに尽きます。
トウゴウ殿、彼女の防御術に、足りない部分があるとすれば?」
「ほとんど欠点はありません。
しかし、間合いの内側に入られれば、力負けするのは間違いない。
これは、女性の筋力ではどうにもならない問題です。」
鍔迫り合いになれば、私に勝ち目はない。
小太刀の間合いは、決して広くはないけれど、そこは足回りなどでカバーしないといけないのかもしれない。
「トウゴウ殿は、間合いの管理に秀でているとお見受けします。
流派特有のものでしょうか?」
「私の時代では、競技としての剣術も盛んです。
そこでは、足回りに重きを置いた教えを授けている。
私のそれは昔、少しだけ齧った時の名残です。」
「護身の心得が根強い、ということでありましょうか。
真白殿や東郷殿の時代にも、剣の道は続いておるのですね。」
松吉くんの言う剣の道、まさしく剣道は、確かに間合いを意識した立ち回りが重要な印象がある。
竹刀の切っ先部分が触れ合うか否かの距離を、キープしているイメージだ。
道は、続いている、か。
…よし、決めた。
「私、帰っても剣は続ける!
剣道でも、どこかの流派でも。
皆に習ったこと、忘れないようにしたいの。」
「そなたの時代に、我らと肩を並べる程の師がおればよいですけれど。
…ふふ。」
「あー。
それは、いないかも…」
いるはずはないと、ちょっと笑ってしまいそうになった。
剣で命のやり取りをしたなんて、私の時代ではあり得ないことだ。
皆が褒めてくれる私の成長はきっと、生涯を剣に捧げた偉大な師匠たちの剣技を、間近で見ていたからに違いない。
「――このような折、奥白石殿は如何致される?」
「私なら、踏み込み上から――」
かなり身体の動きに違和感が無くなってきた頃。
松吉くんの質問に、つるさんは丁寧に答えてあげているようだ。
私はというと、イーゴンさんの盾の技術に苦戦中だった。
…攻略の糸口がない。
「はあ…はあ…」
「無理に攻め込めば盾に流され、大きな隙を晒す。
不用意に攻めてはいけません。」
「攻める方が、よっぽど、難しいんだね、はあ…」
デモストラトス戦の復習で、盾を使う相手の対策を教えてもらっていたところだ。
あの時は、イーゴンさんの経験に大きく助けられたけれど、これは私一人ではどうやっても崩せない。
三人だから、勝てたんだ。
さっきまでは、攻める意識が少しは必要かと、まだ思っていた。
けれど、生半可な技術で攻めれば、確実に隙を晒して、そのまま死ぬだろう。
私には危険すぎて、それは不可能だ。
きっぱり諦めて、防御に専念しよう。
「…よし、準備完了。」
「少しでも身体に違和感があるなら、まだ休む方が…」
東郷さんはとても心配してくれている。
それこそ、田舎のおじいちゃんを思い出すような感じだ。
私と松吉くんは、東郷さんにとっては孫みたいな感覚なのかもしれない。
水分を摂り、やっと出発となった。
問題なく動けるし、道も広くて歩きやすい。
浮島までの距離は、どのくらいなのかよくわからない。
島を包む真っ暗な靄が、距離感を狂わせるように、風景を歪めている。
八つの光の柱は、時折瞬いて、本当の雷のような動きを見せる。
…あれは、私に気づいているだろうか。
緩やかな上り坂は、真っ直ぐ浮島まで続いていて、分岐路は見当たらない。
しばらくすると、かなり足場の狭い道になってきている。
宙に浮いたような道で、落ちればもちろん命はない。
周りにはとがった岩が宙に浮かんでいて、この楽土で見たどんな景色とも違う異質さを感じる。
道幅二メートル程の道は、奇妙に折れ曲がりながらも、浮島に伸び続けていた。
ちょっとした広場くらいの、大きな岩の上に道が繋がり、落下の恐怖がほんの少しやわらぐ。
ここから見ると、浮島はかなり上の方にあるようだ。
そこまで、吊り橋が急な角度で上方向に渡っているけれど、途中から靄に紛れて見えなくなってしまっている。
あの先で、きっと最後の試しがある。
…吊り橋が、揺れている。
僅かに左右に動き、軋むような音がここまで届く。
なにか、重い物が、あの上を通っている。
――誰かが、来る。
靄を押し退けるように、大きな影がゆっくりと姿を現した。
全身を金属の鎧に包んだ、重装の騎士だ。
気だるそうに降りて来る騎士に、私は最大限の警戒をする。
その無骨な足音は、僅かに遅れて聞こえた。
皆が私を庇うように、横並びとなって前に出る。
徐々に近くなるにつれて、相手の異様さを肌で感じていた。
「大き、すぎない…?」
「あの体格に、あのグレートソードです。
サヤ嬢、ショウキチも、絶対に受けないように。
弾くのも控えなさい。」
「私といごん殿が前で相手をします。
東郷殿と松吉は、隙を見て仕掛けよ。
さや。此度ばかりは、前に出るのは赦しません。」
「…はい。気を付けて、皆。」
一九〇センチ越えの身長に、身の丈ほどの大剣と、重い鎧の騎士。
体格も体重も、私とは比較にならない。
抵抗できる相手ではないと、すぐに理解した。
でも、できることはあるはずだ。
癖を見つけ、弱点を解明する。
私たち全員で、戦うんだ。




