第41話
狭い空間を奥に抜けていくと、街が広がっていた。
あのデモストラトスは、ここを守っていたのだろうか。
石造りの建物が並び、道路は整備され、道端には木箱や樽が整然と積まれていた。
けれど、街といっても住む者はいない、寂しい廃墟にしか見えない。
道のすぐ脇にあった家屋で、状況の確認も踏まえた休息を取る。
緊張は緩めてはいないつもりだが、石門の落下した大きな音が何度も鳴り響いたあと、デモストラトス以外の人影が見えないということは、近くに誰もいないか、或いは警戒して身を隠しているか。
それに、デモストラトスが入口を守っていて、私たちが倒すまで誰一人入れなかったとすれば、ここはやはり無人の都市なのかもしれない。
「つるさん、髪、結い直した方がいいかも。」
「…なにゆえです?
乱れてなどおりません。」
いや、結構乱れてるし…
つるさんが気にしなくても、私は気になる。
「……重かった?」
「いいえ。」
弱みを見せたくないというのはわかるけれど…
汗びっしょりなくせに、なんとも涼しげな表情だ。
仕方なく、座り込むつるさんの背後に立って、髪を纏めてあげる。
「んっ…
引っ張り過ぎです。」
「あっ、ごめん!
痛かった?」
「いいえ。」
これ、ずっとやるつもりなのかな…
別に痛いなら痛いって言えばいいじゃん…
その間に、イーゴンさんが戦闘状況の説明をしてくれているけれど、私は聞こえていない振りをした。
この部屋の広さで、それは無理な話だけれど、なんだか気恥ずかしい程にイーゴンさんが私を褒めている。
「あとで、水場探しに行こ。」
「…さやがそう致すと申すなら、構いません。」
「松吉がお役に立てたようで。」
一通り説明が済んだところで、東郷さんが言った。
「ええ、決定的な一撃でした。」
イーゴンさんと話している東郷さんは、どこか誇らしげだ。
松吉くんの顔はここからだと見えないけれど、どんな反応をしているだろうか。
髪をまとめ終わると、座ったまま私の方を振り返り、彼女の真っ赤な唇が小さく動いた。
「では、参りましょう。」
「うん、見つかるといいね。」
あまり遠くまでは行かないという約束で、つるさんと二人で探索に出る。
油断しているわけではないけれど、人の気配がないのだ。
整備された道路を見ると、もしかしてデモストラトスが手入れをしていたのではと思う。
しばらく探し回り、路地裏で小さな手洗い場を見つけた。
休息していた家屋から五分ほどの距離だ。
何枚かの布を取り出し、水に濡らして私も身体を拭いていく。
つるさんも、同じようにしていて、上半身の着物をはだけさせている。
しかしこういう場面でもつるさんは、必ず大太刀を即座に抜けるような位置に立てている。
「…傷、いっぱいだね。」
滝壺に一緒に入った時から思っていたことだけれど、つるさんの身体は全身あちこち傷だらけだ。
「…ああ、見苦しい傷です。
見るのは、おやめなさい。」
「見苦しいとかは、ないけど…」
どれもこれも、刀傷ではないのは見ればすぐにわかった。
獣の爪痕のような乱暴な傷が、白い肌の上に大小無数に刻み込まれている。
私に見て欲しくないと言うけれど、つるさんが戦い続けた証だ。
「でも、お顔には傷がないよね。」
「…頭に怪物の爪牙を受ければ、終わりです。
兜は役に立たず、首をもがれて死ぬのみ。」
「あっ…そう、なんだ。」
つるさんの相手は、致命的な暴力で攻め立てる怪物たち。
傷ひとつない涼しげな顔は、彼女に敗北した経験がないことの裏付けに思えた。
短く声をかけて、つるさんの背中を拭く。
つるさんは、黙って受け入れてくれた。
「……さや。
私がおらぬ場で、よく戦いましたね。」
「怖かった、けど。
松吉くんのこと、守らないとって思うと、立っていられたの。」
「つるは、そなたが誇らしいです。」
あの戦いは、つるさんと出会ってから、初めて彼女が不在の場面での戦闘だった。
それが、私の初めての実戦でもあったのだ。
イーゴンさんが私を信じてくれて、変に高揚していたのか、戦闘中は脳がフル回転していたように思う。
けれど、ふと我に返ると、無茶をしたのかもしれない。
戦闘中は気になっていなかったけれど、今になって手が震え出した。
「さや、それは恥ずべきことではありません。
本当に、よくやり遂げました。」
「…私に、甘くない?」
「いいえ。
以前申した通り、そなたは出来つつあります。
…それとも、さらに厳しき鍛錬を望む由でしょうか?」
「…ねえ、攻撃は、やっぱりだめ?」
「正直に申せば、私も迷いがあります。
そなたに教えてしまえば、また痛手を負わせるゆえとなるのやもと…
身を守る以上の剣を、授けてよいものか…」
太白の剣を受け、指を失いかけたあの時…
つるさんは、私に剣を教えた事を後悔したような言葉を、呟いていた。
思い出すと、あんな顔をさせてしまったことに、悔しくて涙が滲んでくる。
私が前に出るのは、きっとまた負担を掛けてしまう原因になるかもしれない。
でも、何かあった時に、剣で誰かを守ることを選びたい。
見ているだけなんて、絶対に嫌だ。
つるさんは拒絶しなかった。
けれど、肯定もしなかった。
休憩場所まで戻る途中、皆がいる建物が見えた頃に、つるさんは立ち止まった。
「あの邸を見て参ります。先に戻っていなさい。」
近くの建物が気になったようで、足早に向かっていく。
疑問に思ったけれど、言われた通りに皆の所へ戻った。
「おかえりなさい。ツル殿は…?」
「すぐそこの建物を見て来る、って。」
ふと部屋の隅を見ると、松吉くんが刀を構え、奇麗な型で振るっていた。
血を拭き取った布が辺りに積まれ、畳まれている。
私が戻ったことに、気づいていないようだ。
ちょうど終わったのか、刀を鞘に納め、こちらを向いた。
「真白殿、お戻りで。」
「ただいま、松吉くん。」
ついさっき戦闘をしたばかりなのに、本当に熱心だ。
すると、傍で座って見ていた東郷さんが立ち上がり、松吉くんに寄っていく。
「松吉、よくなったな。」
山道での休憩の時は、成長したと明言できる部分はない、と言っていた東郷さんだけれど、一連の動作の中に、気になるポイントがあったのだろうか。
しかし、返事はなかった。
松吉くんは、いつもなら短く大きな声で返事をするのに、どうしたのだろう。
見ると、驚いたような顔をして、言葉を失っている。
その時、扉が開いて、つるさんが帰ってきた。
「あ、おかえりなさい。」
「みな、話があります。」
つるさんは、神妙な面持ちだった。
少しの緊張感の中、周りに集まった私たちに、彼女から言葉が発せられた。
「すぐそばの邸に、人影がありました。
何者か、気配を絶つのに長けた者が潜んでおります。」
…だから、一人で見に行ったんだ。
誰かの気配に感づいたから、私を逃がした。
「人数は?」
「ひとり。
されど、他にも与する者はあるやもしれぬ。」
確かに、この広さの都市なら、それなりの人数が潜伏している可能性はある。
こちらは五人、相手の数は不明。どう、動くべきか…
この静かな街には、敵がいる。




