幕間 継承の剣 松屋 松吉
今朝方、いち早く道場に参じた拙者に、我が師はそう仰られた。
師の更に師。
如何なる人物か、さぞ名高き御方なのであろう。
柳生新陰流の道場には、次々と門弟の方々が集われ、ひしめき合っておる。
師は、我ら門弟の人数を数え終えられ、その人物をお招きになった。
「柳生宗厳と申す。
石舟斎と呼ぶ者もおる。」
この身は浅学と候えど、その高名は聞き及んでおる。
世に名を馳せたる新陰流、上泉信綱の門の高弟。
柳生新陰流の祖であられる、その御人を。
拙者を含め、道場の門弟の方々は揃って色めき立ち、一手ご指南賜りたいと、喉元まで言葉が上って来ておる様子。
師は、常の如く稽古せよと命じられた。
日々の手習いの内に、石舟斎殿の目に留まる剣を持つ者があれば、ご指南賜る機会もあるやもしれぬ。
拙者も、木刀を握り締め、一心不乱に素振りを致す。
師より授かりし、基の形。
先ずは、これを馴染ませることこそが肝要であると、師は仰られた。
手汗が木目に染み込み、手元が滑らぬよう、一層強く握った。
稽古に打ち込むにつれ、やがて、石舟斎殿が見ているやもという邪念も立ち消えていた。
「…握りが強い。
力まず、支えよ。」
ただ一心に振り続けた拙者の剣を、猛き声が窘めた。
見上げれば、柳生石舟斎殿がすでに傍におわした。
「は……はい!」
申された通り、教えを受けた通りに致す。
握りを弱め、持つというより支えし手の形。
石舟斎殿はそれきり何も仰られず、他の門弟を見回るように参られた。
剣とは、力のみにて扱うに非ず。
斯様な考えを、未だ抱いたことはなかった。
なにやら、腑に落ちる感覚が身体に広がり、先程より更に無心に剣を振るった。
如何なる音も、耳には届かぬ程に。
石舟斎殿は全国を行脚し、門弟の道場を見て回られている方なのだと聞いた。
斯様な片田舎にお越し下さると申すは、門人の育成を第一とされる御方なのであろう。
夕刻、お帰りになる石舟斎殿を、門弟総出で見送る。
頭を下げ、その足元を見ておったその折――
「――よくなった。」
拙者は、頭を上げる無礼を致してしまう程に慌てふためき、身体が固まってしまう。
石舟斎殿は、もうこちらを見てはおられず、夕焼けの中へ溶け消えて行かれた。
先の言葉は、拙者に授けて下さったのであろうか…
されど、あれ程の御人が、拙者如きに言葉を残されるであろうか…
あの折の一言、それを胸に、拙者は剣を振り続けておる。
数日経ち、師は拙者に申された。
「松吉よ、明日より打ち込みの稽古と致す。」
「はい!」
拙者の姿勢や型が、以前より良くなったと、師はお褒め下さった。
石舟斎殿の教えを受け、心と身体が合ったように、いつしか夢中にて、ただ剣を振るうておった。
師は、拙者の変化を、常に見てくださっておったのだ。
打ち込みは、袋竹刀と呼ばれる物にて行う。
裂かれた竹の束を、革で覆った代物であるとか。
兄弟子と打ち合い、幾度もこれを受けたものであったが、負ったのは擦り傷に過ぎぬ。
怪我も遠慮もなく打ち合えるこの道具は、まこと修練に適しておるといえる。
ある折、やむを得ず母と夜道を行く用向きありて、行燈を片手に歩いておった。
人気のない暗き道、師から脇差を賜って以来、帯刀は常のことであったが、今宵は腰に差したる得物の存在が頼もしく思えた。
行燈で道の先を照らすと、着流しの浪人が向かいから歩み来た。
――腰の物に、手をかけている。
拙者が考える間もなく、母はこの身を守らんと、前へ出た。
されど、帯刀するは我のみ。
我が身に代えても、守りせねばならぬ。
行燈を辻斬りに投げつけ、脇差を抜いた。
握りは弱め、支えるように持ち、常の如く振るうのみ。
…されど、辻斬りには我が刃は届かぬままにてあった。
――目を覚ませば、夢心地かと疑う程の、奇妙な場。
岩の壁に、穴の空いた板張りの床…
母は、いずこにおられるのか。
辺りを探っていると、またもや浪人どもに出くわした。
物珍しげに、拙者をじっと見ておる。
されど、すぐに飽いたかのように、刀に手をかけ――
浪人どもの視線が少し上を向いた。
「消えろ、外道ども。」
壮年の武士が、いつの間にやら背後に立っておられた。
瞬く間に、三人の浪人たちを木刀で仕留めたその武士は、我が身を顧みず、拙者を助けて下さった。
なにやら申されておるのは口の動きでわかる。
されど、耳鳴りが止まず、ついには聞き取れなかった。




