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剣の楽土  作者: かが介六郎
第一部 楽土の華

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第38話

「いごん殿、さやの髪が伸びているように思います。」


「……言われてみれば、浜辺で出会った頃より長くなっていますね。」


「うそ…

髪は、伸びるんだ…」


楽土に来るよりもっと前、京都への修学旅行に合わせて、美容室に行ったことを思い出す。

京都にいた頃は、毛先が肩まで届かない程度のボブカットだったはずだ。

それが今は、鎖骨にまで届こうとしている。

楽土へ来てから、少なく見積もっても数週間くらいだと思うけれど、こんなに髪が伸びるものだろうか。


私は、水を飲まないといけないし、睡眠も不可欠だ。

けれど、食事を必要とせず、排泄もしない。

なにも食べていないのに…どうして髪が伸びているのだろうか。


……まるで、呪いの人形になってしまったように感じた。


「真白さんが生者であることの証というわけですね。」


東郷さんの言う通りかもしれない。

確かに、改めて生者であることを実感したような気分だ。

剣以外で傷付き、水分と睡眠を必要とし、髪が伸びるし、それに体力も以前より付いている。


「もしかして、成長するっていうのも、私だけなのかな?」


体力が付いたり、剣を覚えたり、そういう成長性は生者だけの事なのかと思い、疑問を投げかけてみる。


「率直に申せば、ここへ来て生前より腕を上げた覚えはありません。

されど私の場合は、日々死合っていた相手が人ではなかったゆえでもあるでしょう。」


「……恐らく、それは生者であるためというより、サヤ嬢がまだお若いからかと思います。」


「え、そんな理由…?」


私が若いといっても、イーゴンさんとは十五歳くらい、つるさんとは十歳くらいの差だと思う。

けれど、つるさんは人以上の力を持つ怪物との戦いが日常だったのだし、ゲームで例えれば経験値が上限いっぱいまで貯まっているような感じなのかもしれない。

あ、ということは――


「松吉くんも、成長してるってこと!?」


「は、はい!

あ、いいえ、拙者はまだまだ…」


突然大声で名前を呼んだので、驚いた様子の松吉くんだが、彼は最年少の十二歳だ。

成長の余地は当然あると思う。

そこのところ、教えている東郷さんが詳しいのではと思う。


「…まだ、成長したと明言できる部分はありません。」


厳しい意見だけれど、実際に戦場に立つ以上は、生半可なことは言えないだろう。

松吉くんは、表情が少し暗くなってしまっている。


「松吉くん、一緒に頑張ろう!」


「はい、真白殿!」


私と松吉くんだけが、まだ変わっていけるのかもしれない。

身体のことは正直、よくわからないし不安だけれど、考えても仕方がないと思うようにする。


「鍛錬とは日進月歩《にっしんげっぽ》。

焦らず、続ける事が大事ですよ。」


「うん、そうだよね!

…にしても、イーゴンさんって、そういう言い回しよく使うっていうか、四字熟語、詳しいよね。」


「…ヨジ、ジュクゴとは、なんですか?」


ん?

あれ、自分で言ったのに…

日進月歩なんて日本語、よく知っているなと感心したところだった。

……そういえば、なんで日本語をイーゴンさんが話しているんだろう。


「あの、イーゴンさん、日本語上手だなって思って…」


「いいえ、サヤ嬢。

私は母国語で話していますよ。

ニホンゴは、全くわかりません。」


「へ?」


「サヤ嬢の声も、私にはイングリッシュで聞こえていますよ。

セラ殿はフランス語で話していたはずですが、彼女の言葉も同様です。」


「え、え、わかんない、なにそれ。」


「落ち着きなさい、さや。

この地では、聴く者の耳に応じて、言葉が変わるのです。

私の耳には、そなたもいごん殿も、いと雅《みやび》な京の言葉を話しておるように聴こえています。」


……私はなんて馬鹿なんだろう!

浜辺で初めてイーゴンさんに会った時、流暢《りゅうちょう》な日本語を話す人だなと思った。

けれどその後すぐ、脚の傷が異常な物として、慌てて上層を目指すことになり…

セラの日本語も違和感なく受け入れてしまっていた。

”そういうもの”だと思い込んでしまっていたのだ。

考えてみれば、同じ日本出身とはいえ、千年も前に生きていたつるさんの言葉は、授業で習うような、古文に近いものだろう。

それを、私なんかが理解できるはずがない。

この楽土には、親切なことに自動翻訳機能が存在するようだ。


「さや?なにゆえ沈んだ表情をしているのですか?」


「つるさん、私、お利口さんじゃないみたい…」


呆気にとられたような顔のつるさんだが、私はこの違和感に気づかなかった自分に、うんざりしていた。

深い溜め息が、空に昇っていく。


「意気消沈《いきしょうちん》といった雰囲気ですね、サヤ嬢。

もう少し休みますか?」


「…英語でなんて言ってるのよ、それ。」



休憩を切り上げ、途中からまた山道を登っていく。

装備の重いイーゴンさんを先頭にして、ペースを合わせるのがいいのでは、と東郷さんが提案してくれた。

確かに、足の速いつるさんが先頭だと、この山道ではイーゴンさんが追いつくのは大変かもしれない。

今回の陣形は前から、イーゴンさん、松吉くん、私、東郷さん、つるさんの順だ。

といっても、広々とした道だし、別に一列構成な訳ではない。

どこまで続いているのか、急な傾斜《けいしゃ》の坂道は、休憩したばかりの私の体力をどんどん奪っていく。


ふと後ろを見ると、東郷さんもかなり息を切らしている。

この中では最年長だし、生前は病気を患っていたとも聞いたので、体力的に辛いのは明らかだろう。


それから三十分程登り続けて、また平地に出た。

少しだけ息を整えるように、膝に手を付いて休んでいると――


「かなり古い建物のようですね。」


そう言ったイーゴンさんの視線を追うと、遠くの方に石造りの門がある。

この距離から見ても、古びた門なのは一目でわかる程だ。

門は、恐らく上下に開閉するタイプで、二層に分かれた門扉が吊り下げられているのが、ここからでも見える。


「あの先は、街みたいになってるのかな。」


「あれ程に大きな石門、拙者は初めて見申した…」


松吉くんは目を皿のようにして、じっくりと観察している。

体力が有り余っているのか、今すぐにでも駆け寄って見物したいといった勢いだ。

東郷さんを見ると、道端の岩に腰掛けて休憩している。


「…誰か、いるかな。」


「市街が見えます。

何者かが潜んでいても、おかしくはないでしょう。」


イーゴンさんは答えながら、剣の状態を確認している。鞘から少し抜いて、白刃が顔を出していた。


「さや。

そなた眠気はないのですか?」


「うん、まだ大丈夫だけど…

東郷さん、しんどそうにしてるから、休んでから行かない?」


小声でつるさんに提案してみると、少し東郷さんの様子を横目で窺っている。


「…四半刻《しはんとき》、休みとしましょう。

そなたも、眠れるならそうなさい。」


戦闘を予測しているのか、つるさんは、まとまった時間の休憩を申し出てくれた。

四半刻とは、だいたい三十分くらいだろう。

地面から飛び出していた岩に腰掛けて休む。

呼吸を落ち着かせて、この先の街についてぼんやり考えていた。


「痛むのですか?」


無意識に、左手の指をさすっていたようで、心配そうにつるさんの声がかかった。


「ううん、癖になってるのかな。傷に触るの。」


浜辺で切った脚の傷もよく触ってしまっていた。

セラに注意されたこともあったな。

…そういえば、あの傷の方が、指の切断より治りが遅かった。

怪我の重さでいえば比べ物にならないはずなのに、どうしてだろうか…


あの時は、イーゴンさんにずっと背負われて移動していた。

当時の私は脱水症状で、意識がはっきりしていなかったのもあって、怪我の具合はよく覚えていない。

もしかして、水を摂《と》っていなかったのが傷の治りに影響していたのだろうか…



「――参りますよ、起きなさい。」


「あ…ごめん、つるさん。」


考え事をしていたら、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。

登山と稽古で、予想以上に疲れていたのかもしれない。

立ち上がり、伸びをしながら歩いて行く。

東郷さんはかなり回復したようで、さっきと同じ陣形でまた進む。


私たちの休憩していた場所は、途中から崖になっていて、門のある対岸までは、石の橋が架かっている。

下を見ると、やはり地面が見えない程の高さだけれど、この橋は頑丈そうで一安心した。

何事もなく橋を渡りきると、門は目の前だ。近くで見ると、とんでもなく古いというのがわかる。

使われている石材は欠けやひび割れが多く、橋より断然こちらの方が先に崩壊してしまいそうだし、門を吊り下げている鉄の鎖も、錆びて表面がぼこぼこしている。

人一人がようやく通れる石枠のゲートは、門の規模に反した狭さで、順番に門をくぐることになった。


まず、イーゴンさんがゆっくりと通過していく。

かなり窮屈そうで、肩が石壁に触れ、細かな砂がぱらぱら落ちていった。

その時、彼が腰に下げていた剣の鞘が、ゲートの端に当たり、高い音を立てる。

イーゴンさんは体格が良いけれど、彼がぎりぎり通れるくらいの道幅というのは、さすがに設計がおかしいとしか思えない。


続いて、松吉くんが通過していく。

最初の門をくぐると、短い通路があり、その先にもう一枚、同じ造りの門が下がっている。

二層構造になっている門と門のあいだは、距離にして三メートル程だろうか。

私は最初の門の手前、松吉くんは門と門のちょうど中間地点にいた。

その瞬間、なにか物音が聞こえた。


――砂が落ちるような、微かな音だ。

門の上の方から、軋むような響きが、震動と共にやって来る。

これは、やばい…

松吉くんは、慎重にゲートを通っていて、音に気づいていない。

私は考える前に、駆け出していた。


「さや!」


つるさんの声を今は無視して、松吉くんの元まで一直線に走る。

大きく高い金属音が上から鳴り響き、いよいよ時間がないと、全力で松吉くんに体当たりした。


その瞬間、爆発でも起きたかのように、石門が叩き付けられた衝撃が後ろから届いた。

間一髪、松吉くんと私は、門を通り抜けた先へ倒れ込んでいた。

もう少し遅れていたら……


地面を震わせて石門が落ち、つるさんと東郷さんとは分断されてしまった。

衝撃音は、僅かな時間差で二回鳴り響いた。


門の先は、薄暗く狭い空間となっている。

埃《ほこり》が舞い上がり、薄暗いこの空間の中では呼吸に影響する。


「ごぼっ、ごほ!」


「サヤ嬢!ショウキチ!」


イーゴンさんが駆け付けるが、これだけ大きい音が鳴ったからには、周囲を警戒しなければならないだろう。

私は咄嗟に、口元に布を当ててフィルターのように使い、呼吸を落ち着かせる。

松吉くんは放心状態で、門と私を交互に見ている。


「……イーゴンさん、誰か来る。」


金属が擦れるような音が、一定のリズムで耳に届く。

前方から、足音と共に、鎧を着た男が迫って来ている。

手には、円い盾と、槍。

私たちをここから先に進ませるつもりはないようだ。

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