第37話
しみじみとした雰囲気が落ち着いた頃、おもむろに東郷さんが松吉くんに稽古を付け始めていた。
左手に痛みも違和感もないので、私も稽古を再開したい。
横目で東郷さんたちを見ていたつるさんにそう言うと、彼女は目線を斜め上に向けた。すぐに、その目は私に向き直る。
「まず、東郷殿に見ていただきなさい。
そなたの時代に近き剣技、得るものはあるでしょう。」
「あ、うん。
東郷さん、いいですか?」
「…わかりました。
では真白さん、少し見ていて下さい。」
東郷さんは、松吉くんと向かい合って距離を調整している。
松吉くんの剣は、脇差と呼ばれる物で、彼の体格に合っていると思う。
私の小太刀と長さは同じくらいだけれど、形状は少し違うようだ。
「あ、刃を上向きにして差してるんだ。」
鞘に納まった脇差は、松吉くんの腰帯に、刃を上向きにして納刀されている。
私の小太刀は、刃を下向きにして佩くように、最初につるさんから教わったものだ。
そもそも小太刀を上向きで佩くと、何か不都合があるのだろうか。
私の疑問につるさんが応じてくれる。
「太刀は反りが強く、上向きに佩けば抜くのは難しくなります。
逆に直刀に近い松吉の刀は、あの差し方がよい。」
松吉くんが抜刀して見せる。
すると自然に、刃は相手の方を向く事になり、即座に戦闘に移れるというわけだ。
私が小太刀を抜くとき、かなり大振りな挙動が必要になるが、あれなら狭い場所でも対応できそうだ。
東郷さんが打ち込んでいき、松吉くんがそれを凌ぐ。
それも、かなりのスピードでの攻防だった。
自然に、私は松吉くんがどう捌くのかを注視していた。
的確に、急所への攻撃を逸らして、直撃を避け続けている。
「すご…」
「あの体格差で、上からの剣を凌ぎ続けるとは。
やはり、ショウキチも楽土に招かれるに相応しい剣士だったのですね。」
「そなたも精進なさい。
東郷殿からも松吉からも、授かることは多い。」
松吉くんの身長は、私より十センチほど低い。
多分、一四五センチくらいだろうか。
東郷さんは、つるさんより背が高くて、一七五センチくらい。
確かに松吉くんのように、体格で上回る相手からの剣を凌ぐという技術が、私にも求められるだろう。
肩と脇腹に、木刀が連続して当たり、松吉くんが大きくよろめいた。
「次、真白さん。」
「はい!」
息を切らした松吉くんが、こっちまで下がってくる。
「面目ありません…」
そう言ってすぐ、素振りを始めた。
つるさんがその様子をじっと見ている。
私は、前に出て東郷さんと向かい合い、小太刀を抜く。
間合いを調整し、木刀の軌道をある程度予測しておく。
「では、行きますよ。」
速っ…まずは、受けられた。
そのまま、凌ぎ続ける。
多分さっきより、スピードを緩めてくれている。
よく見て、弾く、逸らす、受ける。
今のところ、パターンは三つしかない。
脳天、首、手元、順番はランダムだけれど、どの部位も防げなければ致命的だ。
次が来る、受けて――
腕が、痺れた。
目がちかちかするような感覚に襲われ、体勢が崩れそうになる。
…東郷さんの本気か、それに近い威力だったのかもしれない。
そこから更に、二パターン追加され、スピードも上がっていく。
右肩、脇腹、脳天と見せかけて首、手元と見せかけて脇腹――
「あっ!」
当てられてしまった。
真剣なら、致命傷は確実だろう。
しかし、東郷さんは脇腹に当てる直前に、威力をほとんど殺していたようだ。痛みはそれほどでもない。
「大体、わかりました。
休憩しながら、少し話しましょう。」
稽古は久しくやっていなかったからか、息が大きく切れてしまう。汗も噴き出して、布でそれを拭いていく。
私の衣服やこの布は、洗濯もできずに濡れて乾いてを繰り返しているけれど、生乾きの臭いはまったくない。
この楽土に、臭いの元となる雑菌がいないためだろう。
松吉くんと座りながら、東郷さんと向かい合い、立ち会いの内容を振り返っていく。
「――松吉は、力を逃がすように凌げてはいるが、まだ固い。
それに、受けるためにあえて前に出るような場面もあった。これは決定打に繋げなければ意味のない動きだ。」
稽古に没頭するあまり、剣をあえて受けに行く。
気持ちは、よくわかってしまった。
けれど確かに、避けられるならその方がいいはずだ。
「真白さんは、よく見えていますね。
目から得た情報をよく噛み砕いて、身体で対応している。
想像していたよりも、出来ています。」
――まさか褒められるとは、思っていなかった。
私は、呆けたような表情をしている自覚があった。
「そ、そうなんですか?」
「一般の人であれば、立ってはいられません。
楽土での経験が、あなたの高い観察力を養った、ということでしょう。」
「…先程の戦い、ツル殿とトウゴウ殿の動きもよく見えていたようでした。
あなたはこれまで、あなたを守る者たちの戦いを、目を逸らさず見ていた。
それが、ここへ来て結実したのでしょう。」
「あ、あんまり褒めないでよ…」
私を守ってくれる皆の戦いを、よく見ていた、か。
浅倉さんも、セラも、つるさんも、イーゴンさんも、それぞれ違った形で戦った。
その背中を、ちゃんと見れていたんだ。
最後に、松吉くんと並んで素振りをする。
風を切る音が、二つ重なって鳴る。
「さや、少し力が入り過ぎています。」
これは、つるさんが見てくれていた。
力んでいた私の両手の位置を調整して、アドバイスをくれる。
「松吉は姿勢もよく、型も整っています。」
今度は松吉くんの所へ行って、褒めている。
私の目から見ても、松吉くんは奇麗な型で剣を振るっていると思う。
幼いながらも、弛まぬ努力が見えるというか、真面目に取り組んで来たのだろう。
五百回振り終わったけれど、私は体力が付いてきたのか、余力がまだある。
最初はへとへとになっていたのが、今は懐かしい。
「東郷さんは、剣術を教えていたんですか?」
平成の時代に、スポーツでない剣術を扱う東郷さんの事が気になって、質問してみる。
「田舎の流派の、さらに傍流の師範代をしていました。
もっとも、門下生は全員辞めてしまいましたが。」
今どき、というのも変だけれど、剣術道場というのは流行らないのだとは思う。
競技性のある剣道と違い、古くからある殺しの技術を護身として教えている、という感じだろうか。
「剣術というのは、どこまでも合理的です。
若い人には退屈だったのかも知れませんね。」
「どういう稽古をしていたんですか?」
「木を立てるように地面に埋め、そこへ何千回と打ち込むというものです。
これは一撃で相手を倒すという、流派特有の思想に基づくもの。
肩が削れるため、熱を持つように痛くなり、木刀も数え切れない程に折りました。」
つるさんが上品に、手を口元に持ってきた。
「まあ。苛烈な修練をなされていたのですね。」
こうして話を聞いていると、確かに人に教えることが日常的だったのだろう、と感じる。
説明された修行内容を考えてみると、とんでもなく大変そうだ。
打ち込む際の肩の動きで、関節が削れてしまうなんて、想像もできない…
けれど、そんな過酷な修行に、剣が必要とされていない世の中で、人生を懸けて取り組んだ…
東郷さんは、間違いなく楽土に招かれるに相応しい人物だ。
でも、きっと彼の剣に対する姿勢を理解できる人は、今の日本にはいない。
水分を補給した後、小太刀をじっくり観察していた。
前に、つるさんから各部位の名前は教えてもらったけれど、松吉くんの剣とどう違うのか、よく見ておきたかった。
まず、小太刀は反りが大きい。
これは、僅かな力で斬るための曲線だ。
次に松吉くんの剣を遠目で観察してみると、反りが浅く見える。
素早く抜いて、突き刺すための形だ。
見ながらいろいろ考えていると、つるさんが私の横に並び、背中の大太刀を下ろした。
「さや。」
ゆっくりと、大太刀を私の視界に映るように差し出して来る。
朱色の漆塗りで、上品に輝く鞘が、視界を占領する。
つるさんの方を見ると、柄を両手で持って、私に目配せをしている。
「触って、いいの?」
つるさんは、薄く微笑みを返してくれた。
なんとなく、この大太刀はつるさんにとって特別というか、それこそ魂のようなものだと思っていた。
いつも丁寧に扱っているのを見ていたのもあり、他人に触れられたくないのだと。
恐る恐る、両手で鞘を支えてみる。
手触りが良くて、見惚れてしまう程に美しい鞘。
すると、抵抗がかかるように、引っ張られる感覚があった。
慌てて強く握ると、その中で剣が走る音が聞こえる。
つるさんが大太刀を抜き切り、構えて見せてくれた。
「お、重いね…」
鞘は多分木製だけれど、私の身長くらいの長さがあるし、小太刀とは比べられないくらい重い。
けれど、地面につけてしまうのは嫌だったので、抱きかかえるように両手で持つしかない。
「さや。
閉所で私が剣を抜く際、今のように補助を頼むことがあるやもしれません。
その時は、頼みます。」
「……う、うん!任せて!」
つい、大きい声で返事をしてしまった。
つるさんに頼られるのが、なにか堪らなく嬉しい。
「この大太刀は、銘を楢断と申します。
……我が半身、我が牙、我が魂。
そなたには、この銘を覚えていてもらいたいのです。」
「なら、だち…
わかった、絶対忘れない。」
つるさんは、嬉しそうに笑ってくれた。
刀にはそれぞれ名前があるのは知っていたけれど、楢断はどのような由来があるのだろう。
いつか、それも教えてもらえるのかな。
「ところで、さや。」
楢断を鞘に仕舞い、背負ったつるさん。
そしておもむろに、私の髪を触り始めた。
「えっ、なに?」
覗き込むようなつるさんの顔を間近に見て、思わず声が上ずり、顔が熱を持つ。
凛々しい表情で、なにか考えているようだけれど――
「……そなた、髪が伸びましたね。」
「え」




