第36話
「イーゴンさん、心配かけて、ごめんなさい。
もう、自分を責めないで欲しい。」
「う、ぐっ…うう…」
くずおれて静かに涙を流すイーゴンさん。
彼をここまで追い詰めてしまっていたんだと、私は自分が情けなかった。
私も、膝立ちになって、正面から彼を抱き締める。
「ありがとう。
…いままで、ずっと気を張ってくれてたよね。
もう、大丈夫だから。元通りだから、ね。」
「サ、ヤじょおお……よ、よかっだ…」
砂を足早に踏む音が、耳に届く。
顔を上げると、息を切らしたつるさんが、目を真っ赤にして私を見下ろしている。
私が笑いかけると、少し遅れて、つるさんも笑ってくれた。
目から一筋、涙を流して。
「…お見苦しい、ところを。」
「そんなこと、思わないよ。」
落ち着いたイーゴンさんは、少し気恥ずかしそうに見えた。
けれど、顔からは険が取れて、表情は穏やかだ。
私の指のこと、東郷さんと松吉くんには詳しくは説明していない。
これを説明するということは、私が楽土の異物という事実も隠してはおけない。
けれど私は、この二人を信頼しているし、伝えても問題ないとは思っている。
「つるさん、私のこと、二人に…」
「…ええ。
よろしいでしょう。
自らの口で、説明なさい。」
この広間には、私たちが来た道の反対側へ抜けていく道があった。
二十分ほど進んでいくと、息が詰まるような閉塞感のあった屋内から、外へ出られた。
青空が広がる屋外で、指が治ったこともあって、私の気分は晴れやかだった。
山道の頂上からピラミッドまでは、緩やかな下り坂だったけれど、ここからはまた上り坂のようで、しかもかなり急な角度だ。
現世にいた頃の私なら、音を上げていたかもしれないけれど、体力がついてきたようで、すいすいと登って行ける。
途中、坂の脇に平坦になっている広場を見つけて、そこで休憩とした。
ピラミッドを出てから一時間くらいだけれど、次にいつ平坦な場所が見つかるかは不明だし、私は自分のことを東郷さんたちに説明しておきたかった。
「――というわけなんです。」
私が楽土に来てからのこと、生者であることを、簡潔に説明した。
黄泉戸喫など、難しい話は一旦省いておいた。
これは、聞かれたら答えるくらいの気持ちでいいかなと思っている。
「…ふむ。
楽土で唯一の生者、ですか。」
「拙者はここへ来てから日が浅いのですが、やはり真白殿のような方は珍しい…のでしょうね。」
東郷さんと松吉くんは、意外にも納得している様子だ。
ピラミッドまでの道中、私が普通ではないと察する場面はあっただろう。
剣に生きたようにも、剣を手放さず死んだようにも見えない異物。
東郷さんからすれば、セーラー服を着た、ただの学生にしか思えないのも当然だろう。
逆に、私が気になったこともある。
松吉くんはここへ来て日が浅いと言ったけれど、戦国時代の人物だ。
大体、私の時代から四百年くらい前に生きていたことになる。
現世で亡くなって、楽土に来て、四百年ここで過ごしているというのだろうか。
「いいえ。
楽土へ到着したのは、松吉より私の方が早かったのです。
ここでは、生きていた時代が古いことが、そのまま楽土での古株となる訳ではないようですね。」
「え、そうなの…?
つるさんは、千年くらいここにいるんだと思っちゃってた…」
「千、年…?
さやの時代は、私の生きていた時代より、千年も後なのですか…?」
つるさんの生きていた平安時代は、大体それくらい前になる。
金太郎や藤原道長の時代が、具体的に西暦何年というのは、歴史に詳しくない私ではわからない。
けれど、七九四うぐいす平安京という語呂合わせは流石に知っているから、そこから鎌倉時代までの間ではあるだろう。
もっとも、最近はこの語呂合わせも使われていないし、私も学校では習ったわけではなく、両親からの受け売りだ。
「……そなたの時代から見れば、私は随分遠い過去の人物なのですね。」
なんだか落ち込んでいるように見えたつるさんを、慌ててフォローする。
「え、そんな意味じゃないよ!
つるさん、ピチピチだよ!!」
「…ぴちぴち?」
ショックが大きかったかと、伝わらないに違いない言葉で取り繕ってしまった。
鶴は千年亀は万年というが、つるさんはどう見ても二十代後半くらいだ。
しかしそうすると、楽土の時間軸というのは、やはりめちゃくちゃなのだろう。
……私が帰った時、浦島太郎のような目に遭わないことを、祈るしかない。
「では、石の山への道中で泣いておられたのも、生者であることに関係があったのですか?」
松吉くんからの質問に、私は素直に答えようと思った。
二人には知ってほしい。
セラニール・ラ・ヴァリエールという人が、どれほど優しく、そして凄かったのか。
「――それで、真上からしか攻撃できないように誘導したの!
セラの狙い通り、そのプララヤって相手は上から攻めてきて、セラは完璧なカウンターを決めて倒したんだよ!」
東郷さんも松吉くんも、熱心に聞いてくれた。
私はセラの思い出話をできることが、なんだか嬉しくて、つい早口でぺらぺらと喋ってしまった。
「守りに特化した型を、最大限活用したお人だったのですね。
判断も速く技量も高い。」
東郷さんは、セラの戦闘スタイルを高く評価してくれているようだ。
「あ、それに!
セラはナポレオンの護衛に就いていた人なんです!」
「なんと!
それは選りすぐりの達人であった証明でしょう。
皇帝を護衛した方…
お話を伺ってみたいものです。」
「こうていとは、帝のことでしょうか?」
帝とは、天皇陛下のことだ。
松吉くんには、外国の皇帝がどういう立場なのかわからないのは当然だろう。
天皇陛下と皇帝陛下では、明確に違いがあるとわかってはいるけれど、上手く説明できずにいる。
「うーん…
天皇陛下とは立場が違うけど、国を背負う存在、という意味では近いかな?」
曖昧な返答だけれど、大筋は間違ってはいない、はず…
「さようですか。
せらにいる殿は、高位の練達であったのですね!」
しっかり説明できない辺り、私の普段の学習態度に問題があったと思わざるを得ない。
それでもなんとか、上手く説明できないか、頭の中で検索をかけていると――
「せら殿は、帝の近衛をなされていたのですね…
帝の御身を守り奉る、いと尊く、重き役。
せら殿ならば、相応しく思えます。」
「皇帝に仕えるというのは、騎士にとって最も名誉なことのひとつ。
セラ殿の高い技量は、並々ならぬ努力により培われたもの。
あれ程の御仁が、我らの味方であってくれたことは、得難い幸運でしたね。」
つるさんは目を閉じて、心底から感服しているといった表情だ。
イーゴンさんも、懐かしむように、思いを馳せている。
セラのことを知っている私たちも、今知った二人も、彼女の凄さを改めて感じている。
それが、とても誇らしくて、嬉しかった。




