第35話
一筋の光に照らされた、エジプトの剣士。
肌は浅黒い小麦色に焼けており、古びた服をまとっている。
肩から腰にかけて、重ねられた布が何層にも垂れていて、鎧らしきものは身に着けていない。
けれど、無防備には見えなかった。
腰には、見慣れない形の剣。
刃が曲がり、先が鉤爪のように反っている。
あの剣は、私の知識にはないものだった。
彼は、明らかに私たちに気が付いているが、構えることはしない。
射抜くような鋭い目が、私に向いている。
私、松吉くん、イーゴンさんの三人は、いざとなれば来た道をすぐに引き返せるように、壁際で待機する。
つるさんと東郷さんは、剣を抜かずにじりじりと間合いを詰めていく。
エジプトの剣士も同様に、まだ剣を抜いていない。
このまま、何も起きず、素通りできればそれが一番だけれど…
「よろしい。裁定は成った。」
低い声が、広間に反響する。
裁定とは、何を言っているのかわからないけれど、圧力を感じる言葉だった。
私がそう感じ取る前に、つるさんと東郷さんは剣を抜いていた。
――始まる。
「エジプトの剣士よ。
私は東郷恒一と言う者。一手、ご指南願う。」
構えていた木刀を下げ、東郷さんが名乗りを上げる。
つるさんは肩を竦めたような素振りを見せ、それに続く。
「奥白石つるです。
異邦の剣士殿、相手、仕らん。」
戦うことは避けられないとしても、こういう律儀なやり取りを欠かさないのは、楽土の剣士ならではだろう。
「……偉大なる王の執行官、アムネムイアである。
アヌビスとファラオの裁定に従い、これより刑を執行する。」
処刑をするという意味だろうか…
かつて、浅倉さんが戦ったザムエルという処刑人のことを、思い出して身震いする。
アムネムイアと名乗った彼からは、威圧されている感覚は確かにあるけれど、ザムエルの時のような恐怖は感じない。
目の前の剣士からは、規律の中で、己の職務に忠実な、職人気質とでも言うべき印象を受けた。
まだ、生前のお仕事をただ続けているだけかのような。
そこから、言葉はもうなかった。
つるさんが、仕掛けた。
離れた間合いから一方的に、つるさんの大太刀がアムネムイアに迫る。
しかし、彼の曲がった剣は、大太刀の軌道を滑らかに逸らして、連続する攻撃に完全に対処していた。
けれど、こんなものはつるさんの本気とは程遠いと、私はわかっている。
まずは相手の出方を見て、更には東郷さんにも情報を共有しているような動き。
要は、小手調べだろう。
「あの長物を、これ程軽やかに…」
松吉くんは、つるさんの剣舞に見入っている。
白く細いようで、引き絞られた荒縄のような彼女の腕。
あの腕から生み出される暴力を初めて見た時、私も似たような反応だっただろう。
つるさんは、不規則な軌道で攻め立てていく。
その全てが、相手の首から上に狙いを付けた軌道だとわかる。
「…よく見えていますね、サヤ嬢。」
無意識に、言葉に出てしまっていたのだろう。
彼女の戦いは、誰よりも間近で、ずっと見ていたからわかる。
今のつるさんは、連携を前提とした動きを意識しているようだ。
東郷さんの位置を視界の端に捉えるように、視線が一瞬、彼の方を掠めたように見えた。
リーチでは敵わず、防戦一方のアムネムイアだが、手傷は未だ負っていない。
――その時、東郷さんの上半身が、大きく”膨らんだ”ように見えた。
視野の端で、松吉くんが何か素早く動いたのに気づいて……
「…でぇえいっ!!」
空気がびりびりと震えるような、爆音だった。
人の口から、これだけ大きな声が出るのだろうか。
一瞬、意識が身体から押し出されるような、空白が生まれた。
東郷さんは、叫びと共に一直線に踏み込み、木刀を叩き込んでいた。
――しかし、その一撃は曲剣に受け止められている。
アムネムイアは、刃に左手を添え、両手を使って木刀の勢いを殺したのだろう。
ここで初めて、剣の軌道を逸らさずに、正面から受け止めて防御したのだ。
「先に申しておけばよかった…
東郷殿は、声がまことに大きいのです。」
耳鳴りが収まらない中、申し訳なさそうに松吉くんが謝っている。
すぐ隣の彼の声も、若干聞き取り辛い。
あの時、松吉くんは咄嗟に耳を塞いでいたのか。
しかし、少し離れたこの場所でさえ、耳が少し不調を訴えるほどの大声だ。
それを斬り合う距離で受けたアムネムイアは、さぞ驚いたことだろう。
そして、つるさんは――
あ、ちょっと怒ってるな、あれは…
木刀の一撃で、動きを止められているアムネムイアに、つるさんが追撃を放つ。
明確な殺意の乗った、首への軌道だ。
しかし、アムネムイアは曲剣を滑らせるように、東郷さんの身体ごと、かかる力を流した。
つるさんの方に。
咄嗟に、つるさんは大太刀の勢いを止め、体勢の崩れた東郷さんの身体を受け止めた。
また距離が少し開き、戦闘開始前の状況に逆戻りとなった。
「……東郷殿、叫ぶなら先にそう申して下さい。」
「これは、申し訳ない…」
東郷さんの一撃は、鋭い殺意の宿った技だったように思う。
平成の時代に、これだけ殺気の籠った剣を振るう人が生きていたのだと、少し肌寒い恐怖を覚えてしまう。
アムネムイアが、突然動き出した。
少し離れていた間合いを一気に詰め、今度は攻勢に出るつもりのようだ。
つるさんと東郷さんは――
「あ、ああ…!」
松吉くんが、声を上げた。
勢いのついた東郷さんを受け止めたことで、つるさんは、柔らかな砂地に足を深く突き刺してしまっている。
低く構えながら突進するアムネムイアは、その鉤爪のような剣を、引っ掛けるように東郷さんの脇腹に食い込ませた。
半ば体重を預けていた東郷さんは、一気にアムネムイアに近づくように引きずられていく。
反射的に足を一歩前へ出し、左手で鞘を掴み、右手を柄に添えた。
――あ、れ?
「ふんっ!」
つるさんの力んだ声が大きく響き、落とし込んでいた顔を前へ向ける。
見ると、深く沈み込んでいた足を、前に蹴り抜くように引き抜いていた。
持ち上げられた重たい砂の壁は、正面の東郷さんと、アムネムイアへ向けて振り注いだ。
更に、短く高い金属音が遅れて鳴り、すかさずつるさんは、東郷さんの上着の襟を掴み、力任せに引っ張った。
視界を埋めていた砂が張れると、アムネムイアはやはり無傷で立っていた。
彼の足元には、見覚えのある短刀。
あれは、つるさんが腰に差している物だ。
「すご…すぎ…」
私は、やっと理解が追いついた。
砂でアムネムイアの視界を塞ぎ、東郷さんを引っ張って助けるまでの間に、つるさんは短刀を投げていたのだ。
これが当たれば、それで良し。
当たらなくても、相手は止まる。
どちらにせよ、東郷さんを救出できた算段だったのだろう。
ここまで読んで、二択を迫ったのだ。
「…あの者、出来ますね。
松吉と二人で挑まぬ判断は、道理でありました。」
「助かりました、奥白石さん…」
「東郷殿、真正面から仕掛けます。」
…何か、変だ。
つるさんが、連携のためとはいえ、相手に聞こえる距離で作戦を口にするなんて。
正面から行く、というのが作戦足りえるかは、置いておく。
しかし、宣言通りにつるさんは真っ向勝負とばかりに突っ込んだ。
さっきの発言は、わざと相手に聞かせたのかもしれない。
走って接近し、一歩ごとに砂が大きく舞う。
すぐ後ろに東郷さんも続く。
多分、つるさんはこれで決めるつもりだと思う。
上手く言えないけれど、私には、つるさんがアムネムイアを読み切ったという確信があった。
つるさんは大太刀を横薙ぎに振るいつつ、斬り抜けるようにアムネムイアの後ろへ回った。
これを相手は受け流し、つるさんは前のめりに倒れ込む形となった。
しかしわかっていたかのように、即座に受け身を取り、次の動きに繋げている。
アムネムイアは彼女の方を見ず、前方を向いたままだ。
けれど、つるさんの足が速すぎて、東郷さんは追い付けていない。
無数の砂粒が転がるような細かな音がした直後、空気がつるさんの周囲に吸い寄せられるように遠のいた。
「はあっ!!!」
一際大きい爆発が起き、アムネムイアの身体は一瞬、硬直した。
そして、視線を”後ろ”に――
声を発したつるさんの方へ、向けて、しまった。
「でいやっ!!」
次の瞬間、間合いを詰め切った東郷さんの一撃が、アムネムイアの首に直撃した。
つるさんは、斬ることはしなかった。
ただ、斬らせるための合図をしただけだったのだ。
確実な、致命の一撃だった。
「見事でした、東郷殿。」
東郷さんが植え付けた”声”を使ったフェイント。
咄嗟に思いついたのだろうか…
「……私は、自分が情けない。
奥白石さんがいらっしゃらなければ…」
「東郷殿、お怪我は!」
松吉くんが、駆け寄っていく。
イーゴンさんも、それに続こうとしたが、私は彼の手を掴み、引き留めた。
「どう、されたのですか?」
「ちょっと、待ってね。」
少しだけ驚いた様子の彼の表情。
…きっと、一番に見せた方がいいと思っていた。
さっき感じた、「違和感がないという違和感」の正体を。
私は、するすると、左手を覆っていた包帯を解いた。
「ああ…サ、ヤ嬢…」
目に涙を溜める彼に、罰を下して欲しいと願っていたように見えた彼に、もういいんだよって、平気なんだよって、一番に伝えたかった。
左手の人差し指と中指。
――切断されたはずのそれは、元通りに繋がっていた。
確かな傷跡を残して、自由に動かせるようになっていた。
そして、その二本の指を立てて、安心させるように笑ってみせた。
私と、つるさんのお気に入りの、ピースサイン。




