第3話
巨大な建物の中に入ると、そこは日本家屋のような内装となっていた。
古い武家屋敷のような出で立ちで、板張りになっている床の木目に懐かしさすら覚え、少し息をつけたように感じる。
日の光が照り返す浜辺にいて、目が慣れていないのもあり、奥の方はよく見えない。
外からの光が辛うじて入っている範囲の中で、イーゴンさんは立ち止まった。
ここへ入る前に感じた気配の主が、そこにいた。
「なんや、同郷か。」
「これは、アサクラ殿。」
声のした方を見ると、空色の羽織を着た男と目が合った。
ぼさぼさの髪を後ろで縛っている、強面の大男だ。
それだけではなく、遠巻きに何人もの目線が私に向かっている。
皆それぞれ、フィクションの登場人物のようで、戦う事を生業としているような衣装を身にまとっていた。
国籍や文化はバラバラで、全員が男性であること以外は、統一感がない。
いや、たったひとつだけ共通点があった。
――剣だ。
男たちは皆、一様に剣を下げているのだ。
「日本人はいくらでもおるが、女は珍しい。」
アサクラと呼ばれた男は、表情を変えずに、野太い声で続けた。
けれど、その容姿からくる迫力と圧力もあって、私は身をすくませてしまった。
「これから、あの女史のもとで休ませます。では、失敬。」
短く会話を切り上げ、イーゴンさんは先を急ぐように、私の手を引いた。
その時だった。
「お前、足、どうした?」
私は、反射的に自分の足を見た。イーゴンさんも、同時に首を傾けたのがわかる。
見ると、右脚の側面から、血がだらだらと流れていて、スニーカーを赤黒く汚しつつあった。
大きくはないが、深い傷なのだろう。
怪我をしていると気づいた瞬間、遅すぎる痛みが襲ってきて顔をしかめる。
「斬られたのですか!?」
イーゴンさんは片膝立ちとなり、私の脚を凝視している。その雰囲気は一変し、周囲に緊張を走らせた。
しかしその質問は、私には理解できず、整理が追い付かないままで、二人の会話は一歩も二歩も先を行くようだった。
「……どう見ても、刀傷と違うやろう。」
アサクラさんがそう言うと、沈黙が訪れた。
イーゴンさんは驚愕の表情で、口を半開きにしている。
確かに、刀というか、刃物による傷には見えない。
とがった石とか貝殻のような、浜辺にありふれた鋭利さが生んだ傷に思える。
海水が染みて、もっと早く気が付いてもおかしくはなかったはずなのに…
「失礼!」
突然、私は抱きかかえられた。
イーゴンさんの肩に担ぎ上げられ、私の身体は、くの字に折れたまま宙にぶら下がった。
視界が逆さまになって、一瞬混乱する。
そして彼は、間髪を入れずに走り出した。
密着した身体が、大きく揺れる。全速力だ。
「な、なに!?」
「喋らないで!」
自然と、私の視線は進行方向の後ろ側を向く。
見ると、アサクラさんが腰の物に手を添えながら、周囲を威圧するかのように構えている。
遠巻きに私たちを見ていた人たちは、緊張の面持ちで、イーゴンさんとアサクラさんを交互に睨み、警戒するようにじりじりと間合いを離していく。
穴が空くほどにこちらを見ている男たちの間を、大きな鉄の足音を立てて、イーゴンさんは走り抜けていく。
その間に、当初は板張りの日本家屋だった風景が、石造りの西洋建築に突然切り替わり、気温が下がったような錯覚を覚えた。
ほとんど荷物と化した私は、パニックになりつつあったが、左後方から飛び出してきた人影がそれを打ち消した。
「イーゴン殿!」
それは、軍服のようなものを着た小柄な女性だった。
奇麗な金髪を後ろで纏めたその人は、イーゴンさんのすぐ後方に位置し、同じ速度で走って付いてくる。
細身の剣を腰に下げる彼女も、欧州系に見える。
「セラニール殿!
女史のもとへ急ぎます、話はあとで!」
「承知しました!」
短い問答を交わし、人波をかき分けて全速力で走る二人と、揺られる私。
セラニールと呼ばれた女性は、時折私に目線をくれ、汗ばむ顔で静かに微笑んだ。
――彼女を見ていないと。
目を逸らしてしまえば、おかしくなってしまう。
目をつぶればきっと、余計なことを考えてしまう。
…余計なものが、見えてしまう。
ずっと、ずっと、爛々《らんらん》と私をねめつける人たちの群れ。
…欲望に満ちた彼らの、恐ろしい視線を感じていたから。
五分ほどして、お寺の本堂に見える建物の前まで来た。
いつの間にか、西洋風の景色は、和風のものに戻っている。
傾いた木造の階段を少し登り、道場のような広間へ出た。
畳張りの道場には、棚がたくさん並べられていて、何か、物資の倉庫のようにも見える。
「…いない、か。」
ここは、イーゴンさんの言う”女史”という人物の拠点なのだろう。
しかし、生憎今は不在のようだった。
「セラニール殿、彼女の手当てを頼みます。私は支度を。」
「はい!
では、こちらへ。」
私は段差になっている場所に座らされ、スニーカーと靴下を脱いで治療を受ける。
セラニールさんは、慣れた手つきで脚の血をふき取り、包帯を手に取った。
「私は、セラニール・ラ・ヴァリエールといいます。
フランス人です。
…尋常でない様子だったので、勝手ながら同行しました。
少し、医療の心得があるので、そこは安心してください。」
「あ、ありがとうございます。
私、真白さやって言います。
えっと…私、ここに来たばかりで――」
言いかけて、セラニールさんの表情が強張った。
傷口をじっと見て、難しい顔をしている。
「…足の傷は、刃物によるものではありませんね。」
「えっと…多分、そう、です。」
水で濡らした布で傷口を拭いてくれる。
包帯をきつく縛り、手早く治療に使った道具をまとめて、布袋にしまうセラニールさん。
私は靴下を履こうとして、そこで違和感があった。
靴下は、当然海水で濡れている。けれど、そこに染み込んだはずの血が、乾いている。
まるでそこだけ、切り離されたかのように。
…言い表せない不気味さに、思わず身震いしてしまった。
イーゴンさんは、大きめの袋にいろいろ詰めて、戻ってきたようだ。
「応急手当は完了しています。
足の傷は、思ったよりは深くありませんでした。
しかし、今は無理をさせず、背負ってでも距離を稼ぐべきかと。」
「賛成です。サヤ嬢、説明は後回しとさせてください。
…急がなくては。
女史の不在が露見すれば、あの者らが押し寄せてくるでしょう。」
「わ、わかり、ました。」
イーゴンさんの言う”女史”とは、いったいどんな人物なのだろう…
不在なことが発覚しただけで、怖い人が押し寄せてくる。
外にいた人たちが恐れるような、何か決定的に、別格の存在なのだろうか。
こんこん、と後方から扉を叩く音がした。
不意にした小さな音に、私は飛び上がりそうになった。
けれど、音のした方に顔を向ければ、見たことのある人が立っていて、わずかに安堵する。
空色の羽織を着た大柄な男、アサクラさんだ。
「悠長にしとるのう。
ここいらの木っ端どもは、娘の値がわかって殺気立っとる。
…意外と、考える頭は持っとったようやな。」
私の、価値……
アサクラさんは周辺の状況を共有してくれている。
イーゴンさんの言った通り、道場の主の不在が発覚しない間は、比較的安全とのことだ。
でもそれも、時間の問題……らしい。
私はイーゴンさんに背負われ、着物かなにかの帯で固定してもらう。
セラニールさんはアサクラさんに、荷物が入った袋を手渡している。
「アサクラ殿、これを。
包帯と、手拭いを入れています。」
「おう、ばりえる。気が利くのう。」
「はは。セラで構いませんよ。」
彼は袋を身体に固定して、こちらに目線を流した。
「浅倉涛庵や。日本人なんは、わかっとるな?
もう、もたもたしてられんぞ。はようせえ。」
「あ、真白さや、です…
え、でも、どこへ行くんですか?」
背負った私の方へ首を回したイーゴンさんと、目が合った。
「あなたの噂は広がりつつあります。
ですので、それが追い付けない速度で上層を目指します。」
噂…
どういう噂だろう。
私はどうして、狙われているんだろう。
疑問は尽きない。
質問はたくさんあるけど、それが許されない雰囲気で、状況は進んでいく。
流されるがままの私を、置いてけぼりにして。




