第4話
走って移動する私たちの陣形は、先頭を浅倉さん。
その後ろにイーゴンさんと、背負われた私。
最後、後方にセラニールさんがついている。
「移動しながらで恐縮ですが、サヤ嬢、ここに来る前のあなたのことを聞いても?」
「は、はい!」
私、真白さやは、埼玉県出身の女子高生だ。
十七歳で、高校二年生。
浜辺で目覚める直前まで、私は修学旅行で訪れていた京都で、同じ班の三人と行動していた。
確か、京都を観光している最中で、街を歩いていたはずだ。
そこから先は、記憶にない。
多分、そのあたりで何かが起きた、ということなのかも。
自分のことを話す、というのはスムーズにできた。
この三人がそばにいてくれている安心感もあって、少なくともここに来る前の状況の整理はついた。
「シュウガクリョコウ。
…なんとなく意味はわかります。
とにかく、剣とは無縁の人生を送っていたあなたは、おそらく”生きたまま”ここへ飛ばされた。」
「生きた、まま…?」
イーゴンさんの言う言葉が引っ掛かった。
すると補足するように、言葉が続いた。
「ここの住人は皆、死んだあとにこの地へやってきたのです。
私は、イングランドの戦場で討たれました。直後に、ここで目覚めた。」
「……死んだあとの、世界なんだ。」
そういえば、違和感はあったが、言語化できていなかったことがあった。
ここにいる人たちは、国籍も文化もバラバラで統一感がない。
それは、生まれも育ちも、死んだ場所も、時代さえも、違ったからなのだ。
なぜ、私が死後の世界に飛ばされたのか…
考えをまとめるため、意図せず目を伏せていると、前方から低いうめき声と、重いものが倒れる音がして、ぱっと顔を上げる。
見れば、道の脇に男が一人倒れていた。
うつ伏せの男の首から出た大量の血が、すでに地面を濡らしつつあった。
――私は目を見開いた。
自分が息を呑む声が、不自然なほど大きく聞こえる。
「見んでもええ。」
浅倉さんの低い声が響く。
彼の大きな手には日本刀が握られていて、その刃は血を拭き取った跡で赤く汚れていた。
直後に、背後から硬い物同士がぶつかって擦れる音と、風を切るような高い音がほぼ同時に響いた。
「ご安心を、サヤ。
この陣形に、穴はありません。
襲撃も、長くは続かないはず。」
後ろにいるセラニールさんの顔は見えないが、優しい声色で不安を拭うよう、声をかけてくる。
でも違う。
そうじゃないの…
襲われるのは怖いけど、それだけじゃない。
こうやって話をしている間にも、命のやり取りを何の気なしに行っている。
小石を脇へ蹴るようにあっさりと、襲い来る人たちを処理でもするみたいに。
味方でいてくれる優しいこの人たちも、倒れた人たちも、私とは決定的に価値観が異なっている。
私が何に怯えているのか、本質を理解してくれる人は、ここには、いないんだ。
揺れる視界の中で、正面に何人かの男たちが待ち構えているのが見える。
先頭の浅倉さんが刀を振り上げようとしたその時、イーゴンさんが指示を下す。
「横路に!」
正面突破は無理と判断したのか、左側の路地に進路を変更する。
その通路は天井が三メートルほどの高さで、外の光が差し込む、見通しのいい道だった。
「止まれ!」
浅倉さんが叫んだ。通路は狭まってきていて、前方は人が辛うじてすれ違える程度の細道に差し掛かっていた。
先頭に位置する浅倉さんの前には、黒い和装の男。
部下なのか、いかにもならず者といった風情の男たちを率いて立っている。
「…囲まれました。」
背後からセラニールさんが現状報告をする。
前も後ろも、怖い人に、ふさがれたんだ。
「どけ。斬られたいんか。」
前には、六人ほどの男たち。リーダー格であろう黒い羽織の男は、薄ら笑いを浮かべている。
「度胸あるなあ。
それもと計算は苦手か、色男」
「関係あるかい。
寺子屋の帰りか、小童。」
浅倉さんは冷静に話すが、その内容は明らかに挑発的だった。
イーゴンさんは私を降ろして、前方を警戒している。
浅倉さんも前を向いて、腰の剣を抜いた。
セラニールさんはというと、後方の三人ほどの相手と向き合っている。
人数差はかなりある。
素人目でも、大きく不利なのは流石にわかる。
前後から挟まれ、じりじりと、距離が縮まっていく。
もう少しで、始まる。
始まったら――
もう、止まらない。
抑圧された空気が、膨らみきった風船のように破裂した。
前後で行われる激しい戦闘を、私は目で追うことしかできない。
目を逸らすことすら、できない。
浅倉さんは、既に一人倒している。
その返り血で、空色の羽織は汚れていく。
イーゴンさんは、浅倉さんの背中を守るように、相手を引き受けているようだった。
セラニールさんは、三人の相手を一手に引き受けている。
その間合いに入り込めている相手はいない。
彼女は一定の距離を保ち、自分から手は出さず、防御に徹している。
しかし、徐々に三人のバランスが崩れていく。
イーゴンさんが前に出されてしまい、浅倉さんの攻撃を邪魔してしまっている。
セラニールさんの防御を、物量が圧し潰しつつある。
閉所での戦いに、敵の方が慣れている、ということなのかもしれない。
黒い羽織の男は、にたにたと薄気味悪い笑いを浮かべ、奥で高みの見物を決め込んでいる。
イーゴンさんは前に出た分、攻撃を引き受けてしまったのか、鎧の隙間から血を流していた。
浅倉さんは立ち回りが思うように出来ないのか、苛立ちを態度に出しているが、腕から出血しているのがここからでも見えた。
セラニールさんも、手指から血を飛び散らせ、細剣を振るたび顔を歪めている。
蹲るように座り込むだけの私は、私は――
「もう、いいよ!もう逃げてよ!」
私のことはいいから――
なんて、恰好のいい事は、言えなかった。
怖い…
けれど、親切にしてくれた皆が、何の関係もない私のために、死ぬかもしれないと思ったら、置いていってくれた方が…
その方が余程、怖くない。
――誰かの、大きな溜め息が、聞こえた気がした。
私の位置からは見えなかったが、細道の前方、イーゴンさんたちを襲うならず者たちの奥には、脇に伸びる路地があったようだ。
そこから――
白い腕が、ぬっと、ゆっくり”介入”してきた。
ならず者の一人が、白い腕に、頭を鷲掴みにされている。
ゆっくりと、スローモーションに思えるほど緩慢に。
男は持ち上げられ、私の視界から、一瞬にして消え――
なにか、空気を震わせる振動と共に、重く大きい音が鳴り響いた。
この場にいる全員が、その音に、身体を硬直させている。
この場にいる全員が、その姿に、釘付けになっている。
白い肌の、女の人だった。
女性の細腕は男の頭を乱暴に掴み、地面に押し付けていた。
暗赤色の着流し姿の女性は、鋭い切れ長の目で一瞬だけ周囲を睥睨して、なにか伺っているようだ。
その時、白い腕が大きく隆起したように見えた。
大小さまざまな古傷を残すその腕は、固い荒縄のように引き絞られ、締め上げられていく。
未だめりめりと音を立て続ける男の頭部と、地面の境界線。
固い石造りの地面との衝突は、とても強い衝撃だったはずだが、不思議と男は出血していない。
絶叫しながら、男は手を引き剥がそうと、必死に抵抗している。
頭部から、想像もつかない痛みが男を襲っているだろう。
「なに、それ……」
「女史……ツル殿です…」
イーゴンさんが息を切らして、辛うじて状況を説明する。
茫然とその光景を見る。
特に大柄なわけでもないただの女性が、大の男を持ち上げて、幼子がぬいぐるみでも扱うような乱暴さで振り回し、ねじ伏せて取り押さえたのだ。
ツル殿と呼ばれた女性は、空いた右手で短刀を取り出し、男の喉を刺した。
思わず、目を背ける。
血を吐くような声と、必死に呼吸せんとする断末魔がうるさく響く。それが、妙に耳に残る。
恐る恐る見ると、男はぴくりとも動かなくなっていたが、その身体は不意に持ち上がり――
―――立ち尽くしている前方の男たちのところまで”投擲”された。
五メートル近く離れているはずの距離。
体格の良い成人男性を使った豪速球は、縮み上がった男たちの集団を、ボウリングのピンのように、容易く吹き飛ばしてしまった。
「判断が甘いですね、いごん殿。
正面を捨てたのは悪手ですよ。」
鈴のような、良く通る静かな声だった。
背中に携えた、二メートルはあろうかという刀を降ろし、両手を使い引き抜いていく。
数秒に及ぶこの動作を止める者は、誰一人いなかった。
…あんな大きさの刀を、女の人が扱えるわけがない。
しかしそのまま、丁寧に鞘を地面に置き、悠々と歩き出す。
誰にも、阻まれない事がわかっているように。
「津久井!」
恐慌状態にあった前方の集団の中から、津久井と呼ばれた男が立ち上がっていた。
津久井は小振りな刀を既に抜いて、腰の高さで構えている。
「全員でやるぞ!」
しかし、返事はない。
私の視点からだとすぐに、なぜなのかわかった。
ならず者たちは蜘蛛の子を散らすように、津久井を唯一人残して逃げ出してしまったのだ。
「ば、ばけもんだ!」
セラニールさんが相手をしていた後方の数人も、同様だ。
けれど、この後すぐに津久井が味わう恐怖を想像したら、それも仕方のないことだと憐れんだ。
「言い残すことはありますか?
津久井…小童?」
「津久井、玄照、だ!
ばけもんめ、なめ―」
言葉が、唐突に、途切れた。
言い終わる前に、津久井の首が地面に落ちていた。
弛緩した胴体は、力を失って倒れていく。
津久井だったそれは、邪魔な障害物を退けるように、道の端に蹴り飛ばされ、血を撒き散らしながら転がっていった。
「……う、うえぇ」
私は急激な吐き気に襲われた。
目の前で人が命を奪われ、物言わぬ屍となった様が…
人が”物”になってしまったことが、たまらなく不気味で、嫌悪感を覚えた。
「サヤ!
大変、大丈夫ですか!?」
セラニールさんが駆けつけて、背中をさすってくれるが、私は涙を流しながらそれを拒否した。
手で口を押さえる。
えずいて、苦しい。
猛烈な吐き気は続いていたが、内容物は一向に出てこない。
お腹が収縮して、息が上手く出来ない。
次第に、ゆっくりと吐き気が収まってきたが、朦朧とした意識は視線を泳がせ、その中で女史…ツルさんと目が合った。
彼女の目は、私を見ているようで、見ていない感じがした。
「…ツル殿、助かりました。」
「手が足りぬのであれば、数を減らす手立てを考えるのみです。」
戦闘が行われた狭い路地を抜けて、しばらく移動すると、石造りの広間のような場所に出た。
ベンチのような、二人掛けサイズの石の椅子がいくつか並んだ部屋で、私はそこに座るよう促された。
まだ、気分が落ち込んでいる。
吐き気はもうないが、津久井が死んだ時の光景が頭から離れなかった。
「…認識を改めなければいけないようです。」
セラニールさんが隣に座り、包帯を替えてくれる。
何を言っているのか、わからなかった。
「あなたは、戦場に適応してはいない。
一般市民だと理解していたつもりでしたが…
私の前提が甘かった。」
淡々と言う彼女は、手を止めない。
言葉の意味は、よくわからなかった。
「きつく、ありませんか?」
包帯はきつく巻かれているけれど、圧迫感はそれほどなかった。
私は頷いて、短く返事をした。
「次からは、最適な動きが出来るかと。
…私がいる限り、あなたに危害が加わる事はない。」
目線を合わせて、セラニールさんはそう言い切った。
けれど、これは優しさではないと、そう感じた。
これが自分の仕事だから、とでも言うような温度。
彼女の横顔を見ながら、ぼんやりとそう思った。
この土地の住人、つまり私以外は、睡眠を必要としないらしかった。
身体は疲弊し、精神はそれを遥かに追い越したところまで追い詰められていると感じる。
目をつぶれば、あの時のことがすぐにでも甦るだろう。
「セラニール、さん、なにかお話、して。」
セラニールさんは一瞬、目を丸くした。
それからすぐに微笑み、セラで構いませんよ、と返してくれた。




