第20話
あれから、どれだけ時間が経っただろう。
楽土に流れ着いて、皆に出会って、果てを目指して…
…どうでも、いいけれど。
ここで二人きり、へたり込んだまま固まってしまいそう。
もたれかかった肩に、つるさんの温もりを感じていた。たったそれだけでも安心する。
見通しのいい橋の袂で、根を張ったように動かない私を、つるさんはどう思っているだろうか。
もう、ずっとここにいたいな。
つるさんと、ずっとくっついていたい。
離れたくない。
「っ、サヤ嬢!ツル殿!」
飛び上がりそうな程に驚いた。
知っている声、知っている足音、息を切らしながら走ってくる彼の気配。
喪ったと、思っていた。
「イーゴン、さん…」
「……時を要しましたね、いごん殿。」
「っ……」
イーゴンさんの表情を見て、何を考えているかわかった。
私の顔を見る彼の目は、深い悔恨の色に満ちて、小さく開いた口は震えて言葉を紡げずにいる。
察しがいい。
私は、何があったかなんて説明する気力もない。
つるさんに、任せちゃおう。
それでいいか。
立ち上がってつるさんは、場所を変えてイーゴンさんと話をするつもりなのだろう。
私は無意識に、引き止めるように、彼女の着物の裾を掴んでしまっていた。
「…さや、すぐそばで話をして参ります。
どこにも、行きませんよ。」
「……やだ。
ここで、いいでしょ。」
「サヤ嬢、どこか、休める場所を探して移動しましょう。」
わかってるよ、ここにいると敵に見つかりやすいって。
でも、もう動きたくない。
なんでだろう。身体に力が入らなくて、立つ気力も湧き上がらない。
「…では、私の出番ですね。」
イーゴンさんが私の横にしゃがみ込み、無抵抗の私を抱き上げる。
そのまま、長い橋を渡る。
今まで気にも留めていなかったけれど、橋の外側には大きな滝があって、水音が響き渡っている。
前にはつるさんが歩いていて、姿勢の感じから、かなり回復したのだろうと安心した。
イーゴンさんも、重傷だったのかもしれないが、今はなんともなさそうだ。
彼の腕の中は、とても心が温まる。
橋の先にあったのは、木造の建築物だった。
赤みを帯びた木材で造られていて、規模は大きい。
板や柱に加工されている部分と、原木のままの部分が、奇妙に支え合っていた。
「…いごん殿。」
緊張したようなつるさんの声に、反射的に前方を向く。
そして、目を見開いた。
声を発しそうに、なった。
「…落ち着かれよ。
こちらには怪我人がおる。
刃を向けるつもりはない。」
二人組だ。
片方は男装をした、女の人だった。
黒っぽい古風な男性の服を着ている…女性。
……それだけ。
たったそれだけの”記号”が、私の心を掻き乱し、呼吸が荒くなっていく。
黒のポニーテールの髪型の女性は、もう一人の男性に肩を貸している。
男性の方は表情ひとつ変えずに、こちらを観察している様子だった。
「そちらも、怪我人か?
奥に一間、休める所がある。案内しよう。」
「ついて行けと?」
抱えられている私を見て、怪我人と思ったのかもしれない。
イーゴンさんは当然、警戒している。
つるさんは少しだけ私たちの方へ下がり、振り向いて私の顔を見た。
心配するな、というような顔だ。
「申し遅れた。
私は、鷹司忌助と申す者。
こちらの怪我人は、真壁雷蔵。
戦闘に巻き込まれた故、休める場所を探しておった所存。」
「男の…名前なの…?」
「……娘よ。
必ずしも本名とは、限らぬものだ。」
私はつい、失礼なことを言ってしまった。
この人は事情があって、名前と服装を男性の物にしているに違いない。
会っていきなり、気を悪くさせてしまっただろう…
「あの…ごめん、なさい。」
「…よい。
この先の間なら風も入らぬし、入口も一つだけ。
我々はそこへ向かうが、背後を狙いたくば、好きにするがよい。」
そう言って、無防備に歩き出した忌助さん。
変わったお名前の人だけれど、悪い人ではない、と思った。
雷蔵さんと紹介された男性は、歩きづらそうにゆっくりと、忌助さんに伴っていく。
「……信用なりませんが、進むと致しましょう。」
「はい、警戒を解くことはありません。」
赤木の建物に入り、長い廊下を進んでいくと、畳張りの部屋があった。
先に到着していた忌助さんたちは、部屋の奥で休んでいる。
彼女たちの刀は、対角の位置に置かれていて、警戒の必要はないと訴えているように思う。
「さや、少し休みなさい。」
「……うん。」
イーゴンさんは、優しく私を降ろしてくれる。
畳に座り込み、そのすぐ隣につるさんが座った。
水で濡らした布で、私の顔に付いた血を拭き取ってくれる。
イーゴンさんは入口を警戒していたようだけれど、ここへ来るまでに歩いた板張りの床は、ぎしぎしと音を立てていた。
誰かが接近すれば、音で分かるだろう。
入口に最も近い所に腰を下ろすイーゴンさん。
動きを見る限り、怪我は酷くない様子だ。
…ずっと抱いて移動してくれていたのに、心配の言葉すらかけていなかった。
「イーゴンさん…怪我は、大丈夫なの?」
「ええ。
なんともありません。
……合流に時間が掛かってしまい、あなたには辛い思いをさせてしまった。
悔恨の極みです。」
「……仕方、ないよ。」
「さや、少し目を閉じなさい。」
つるさんは眠るよう、遠回しに促した。
ここの住人は眠ることを必要としない。
私が眠ると、忌助さんたちに、生者であることがばれてしまうかもしれない。
それを隠すように、つるさんは私と忌助さんたちの間に位置取り、視線を切ってくれた。
少し遅れて、急に眠気がやって来た。
*
…ようやく、眠りに就きたるか。
「――それで、そなた達の目的は?」
「…質問を返すようだが、目的とは?
我らは傷を癒す場と時を求めるのみ。
そちらも、同じであろう?」
この女、なかなかに出来る。
手負いの男も、傷があると申すは謀やもしれぬ。
いごん殿が如何ほどに持ち直しておるか、確かめぬ内に事を起こすのは得策ではない。
されど、斯様に狭き場では、楢断は都合が悪かろう。
我らに近付いた狙いは何か。
「私からもひとつ尋ねたい。
そなた方は、唐人の大男を、その戦を見たか?」
「唐人とは?」
「日本より西、海を渡りし彼方の大陸の者ぞ。
明と申す国の兵が、この廃屋の裏で大立ち回りを演じておった。」
………考え過ぎ、か。
いや、よかろう。
全てを語るつもりはあるまいが、こちらへ取り入らんとする気配は、確かに見えた。
さて――
この連中、いつより我らを覗っておったのやら。
「存じません。
その男の暴威に敗れ、この荒屋へ逃げ伸びた、と?」
「然り。
雷蔵は彼奴により手傷を受け、私が退くと定めた次第だ。
この先へ進むのならば、あの暴風に遭うことは必定であろう。」
「随分な評価です。
されど、それを我らに授ける理由がわかりかねますね。」
「旅は道連れと申す。
我らは二人、そなた方は三人。
力を合わせれば、如何なる難儀も退けられよう。」
はあ。
我らとその暴威を鉢合わせ、自らは背後より利を拾う算段か。
話が真なりとすれば、その男は、この手練れ二人を軽くあしらう武を持つ。
間近でその武を垣間見たこの者が、我らと組めば勝算は増す、と。
そう踏んだ、というところか。
…この子に、これ以上の責を負わせるわけにはゆかぬ。
私も、いごん殿も、最後まで死ぬことは赦されぬ。
「…左様ですか。
では、よしなに。」
忌助と名乗った女が、僅かに目を見張る。
ここで受けるとは、思いもよらぬ誤算であったか。
……されど、取り繕うのが遅い。
一度、外に現れた腹の内は――
引っ込めるものではないぞ、小娘。
*
花弁の一枚一枚が、鋭い刃の形を成して
鉄の色を鈍く発する、剣の華
無間の花筏に、飲み込まれて
身体も、心も
切り刻まれ、引き裂かれていく
華に溺れ、もうどこにも、帰れない
*
「…さや。
うなされておりましたので、起こしました。」
「……ごめん、ありがと、つるさん。
あの二人は?」
「いごん殿と偵察に出ております。
あの者らによって、ここ一帯に潜む暴威の存在が語られました。」
「…危ない、の?」
「正直に申せば、そうです。
あの者、雷蔵が受けた傷は、その暴威によるもの。
あの手練れ二人をして、退く判断を取らせた個人、侮れません。」
「つるさんは、戦わなくてもいいよ…
イーゴンさんと一緒に、もう下に降りちゃおうよ。
浅倉さんにも、また会えるかもしれ――」
「さや。
それはなりません。
その言葉、この先二度と口にするでない。
なにゆえか……わかりますね。」
「…わからないよ。
……いいよね、つるさんは、強いから。
つるさんの言ってること、私にはわからない。
私のことも、つるさんは理解できっこない。」
「例えそうであっても、何も変わりません。
そなたに恨まれようと、憎まれようと、心と命は私が守り通します。」
「なんで、よ…
もう、いいよ。変だよ、つるさん…」
「さや。
心が今、苦しみと悲しみと、戦っているのです。
身体は、その余波を受け、疲弊しきっている。
休み、そして戦うのです。
……せら殿のためにも。」
「っ!つるさんには、わからないよ!
大好きだった人が、自分のために死ん……じゃって、もう…
もう、戦え、ないよ……
わた、し…強く、なんか、ない…
なりたくも、ないよ……」
「…休みなさい、さや。
起きたら、稽古です。」
「………セラに、会いたい。
会いたい、よ…」




