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剣の楽土  作者: かが介六郎
第一部 楽土の華
2/6

第1話

ざあざあ、という音が鳴っている。

口の中で塩の味がして、歯が砂をすり潰した。

等間隔とうかんかくで冷たい感触がひざの辺りまで登り、スカートを濡らしてくる。制服が肌に張りついて重く、不快感を覚えた。


身体を動かそうとして、うまく力が入らないことに気づいた。

まぶたが重く、目を開けるのがひどく億劫だ。

それでもなんとか目を開くと、視界が異様に低い。


見えるのは、ほとんど砂ばかりだ。

息を吸おうとして、鼻に砂が入り、思わず顔をしかめた。

湿った砂の感触が頬に張りついていて、そこでようやく、自分が地面に倒れているのだとわかる。

身体を起こそうとして腕に力を込めたが、てのひらが砂の上を滑り、水音を鳴らすだけだった。


その拍子に、すぐ近くで、重いものがこすれるような音がした。

乾いた音でも、湿った音でもない。 何か硬くて、冷たいもの同士が、触れ合っている。


「……大丈夫ですか。」


様子をうかがうような、男性の静かな声だ。

声のした方へ顔を向けようとして、首がうまく回らないことに気づく。

代わりに、目だけをそちらへ動かした。


見ると、すぐ近くに脚があった。 スニーカーでも革靴でもない。砂に沈み込むほど重そうな、鉄の脚だ。

すねを覆う傷だらけの板金が、波の模様を複雑に反射している。

布でも革でもない、繋ぎ目の多い、無骨で無機質な質感。

こんなものを履いた人間を、私は知らない。


ゆっくりと首を向けて、視線を少しずつ上へ滑らせると、膝、ももと同じ素材が続いていて、そのたびに、私の中から現実感が失せていく。

その時、鉄の脚がゆっくりと後ろへ引かれ、重そうな膝が砂を押し潰した。

軽い金具が外れた音がして、重い物が静かに置かれ、砂を揺らす。

砂浜に密着した耳元に振動が来て、それきり、動かなくなった。


私と同じ高さか、それより少し低い位置に、影が落ちる。

しばらく、何も起きない。

急かされることも、触れられることもなく、ただ波の音だけが、同じ調子で繰り返されていた。

呼吸が少し落ち着いた頃を見計らったように、穏やかな声が、低く響く。


「……驚かせてしまったなら、申し訳ない。」


言葉の速さも、声の大きさも、控えめだった。

命令でも、問い詰める調子でもない。


「無理に起き上がらなくて大丈夫です。

少し、そのまま休んでください。」


その人は、こちらの返事を待つように、それ以上は何も言わなかった。

しばらくして、指先にほんの少し力が戻ってきた。

砂に沈んでいた手のひらを、ゆっくり引き寄せ、上体を持ち上げて視線を少し高くする。


「あ…」


その人は、日本人ではなかった。

白人…なんとなく、欧州の人なのではないかと思った。

透き通った金髪の彼は、端正たんせいな顔立ちをしていて、青く澄んだ眼で私を見ている。

私は、なんとなく気恥ずかしくなってしまい、思わず目を逸らしてしまった。


視線が、彼の肩越しに、自然と奥へ流れた。

その先に、巨大な塊があった。

浜辺のすぐ向こうに、建物が折り重なるように立ち並んでいた。

木造の家屋の上に、石造りの壁が無理に継ぎ足され、さらにその上に、煉瓦れんがの塔のようなものが乗っている。

渡り廊下は宙に浮くように伸び、別の建物に食い込んで、ねじ込まれる。


それは、空の果てまで伸びていた。

雲ひとつない青空の彼方に、深々と突き刺さるように。

子供が考えなしに積み上げたブロックのように危うく、計画性のない積み重ね。

倒れそうで、倒れない。

地震が来たら、一瞬で崩れてしまいそうなのに、それでも、当たり前のように、そこに在った。

――知らない。

こんな景色を、私は知らない。


見れば、彼のすぐそばには、革製のさやに収まった剣が置かれている。

息を整えようとして、浅く吸って、吐いた。

胸がまだ、早鐘はやがねを打っている。


「あの……」


声が、出た。

かすれていて、自分のものとは思えない。

絶え間なく足元を濡らす波に急かされるように、乾いた喉を鳴らし、もう一度息を吸う。


「ここ……どこですか。」


言葉にした途端とたん、自分が何を聞いているのか、はっきり分からなくなる。

海があって、砂浜で、学生服の私と、鎧の男。


「……私、さっきまで、京都にいて。」


口に出してから、言葉が合っていない気がして、黙り込む。

何を聞けばいいのか、自分でもわからなくなっていた。


「ここ、日本……です、よね。」


震えるのどが、頼りない問いを口にした。

膝をついたままのその人は、すぐには答えなかった。

こちらの様子を確かめるように、ほんの一拍、間を置く。

ちら、と砂の上に置いた剣を横目で確認するように見た、気がした。


「ニッポン、という国の名は……憶えがあります。」


その言い方で、なんとなく続く言葉がわかってしまった。


「ですが、ここはその国ではありません。

あなたの言うキョウトという場所とも、違います。」


言葉を選んでいるのが、はっきり分かる。

急がず、確かめるように、ゆっくりと。


「ここに来たばかりの方には、まずそれだけを伝えるようにしています。」


来た、という言い方が引っかかった。

事故でも、夢でもない。

自分の意思と関係がない、何かどうしようもない出来事が起こってしまった予感。


「あなたが混乱しているのは当然です。

倒れていたのも、珍しいことではありません。

…まずは、落ち着いて話を聞いていただきたい。」


「…ここは、どこなんですか。」


そう問い返すと、その人は一瞬表情を引き締めたように見えた。

剣から距離を取ったまま、私と同じ高さに目線を合わせる。


「剣に生き――

(つい)えるその時まで、剣を手放さなかった者たちが、 最後に流れ着く場所です。」


静かな声だった。 言い切る調子でも、脅すようでもない。

芝居しばい台詞せりふのように滑らかな、言い慣れた定型文かのようだ。

風の音が聞こえない。さっきから、ずっと。


「ここでは、剣を通してのみ、終わりに至ることができます。」


抑揚よくようはない。感情も乗せていない冷めた言葉が続く。

波の音が、間に挟まる。さっきから、同じ調子で続いている。


「その名を――」


一拍、置いてから。


けん楽土らくどと呼んでいます。」

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