第1話
ざあざあ、という音が鳴っている。
口の中で塩の味がして、歯が砂をすり潰した。
等間隔で冷たい感触が膝の辺りまで登り、スカートを濡らしてくる。制服が肌に張りついて重く、不快感を覚えた。
身体を動かそうとして、うまく力が入らないことに気づいた。
瞼が重く、目を開けるのがひどく億劫だ。
それでもなんとか目を開くと、視界が異様に低い。
見えるのは、ほとんど砂ばかりだ。
息を吸おうとして、鼻に砂が入り、思わず顔をしかめた。
湿った砂の感触が頬に張りついていて、そこでようやく、自分が地面に倒れているのだとわかる。
身体を起こそうとして腕に力を込めたが、掌が砂の上を滑り、水音を鳴らすだけだった。
その拍子に、すぐ近くで、重いものが擦れるような音がした。
乾いた音でも、湿った音でもない。 何か硬くて、冷たいもの同士が、触れ合っている。
「……大丈夫ですか。」
様子を伺うような、男性の静かな声だ。
声のした方へ顔を向けようとして、首がうまく回らないことに気づく。
代わりに、目だけをそちらへ動かした。
見ると、すぐ近くに脚があった。 スニーカーでも革靴でもない。砂に沈み込むほど重そうな、鉄の脚だ。
脛を覆う傷だらけの板金が、波の模様を複雑に反射している。
布でも革でもない、繋ぎ目の多い、無骨で無機質な質感。
こんなものを履いた人間を、私は知らない。
ゆっくりと首を向けて、視線を少しずつ上へ滑らせると、膝、腿と同じ素材が続いていて、そのたびに、私の中から現実感が失せていく。
その時、鉄の脚がゆっくりと後ろへ引かれ、重そうな膝が砂を押し潰した。
軽い金具が外れた音がして、重い物が静かに置かれ、砂を揺らす。
砂浜に密着した耳元に振動が来て、それきり、動かなくなった。
私と同じ高さか、それより少し低い位置に、影が落ちる。
しばらく、何も起きない。
急かされることも、触れられることもなく、ただ波の音だけが、同じ調子で繰り返されていた。
呼吸が少し落ち着いた頃を見計らったように、穏やかな声が、低く響く。
「……驚かせてしまったなら、申し訳ない。」
言葉の速さも、声の大きさも、控えめだった。
命令でも、問い詰める調子でもない。
「無理に起き上がらなくて大丈夫です。
少し、そのまま休んでください。」
その人は、こちらの返事を待つように、それ以上は何も言わなかった。
しばらくして、指先にほんの少し力が戻ってきた。
砂に沈んでいた手のひらを、ゆっくり引き寄せ、上体を持ち上げて視線を少し高くする。
「あ…」
その人は、日本人ではなかった。
白人…なんとなく、欧州の人なのではないかと思った。
透き通った金髪の彼は、端正な顔立ちをしていて、青く澄んだ眼で私を見ている。
私は、なんとなく気恥ずかしくなってしまい、思わず目を逸らしてしまった。
視線が、彼の肩越しに、自然と奥へ流れた。
その先に、巨大な塊があった。
浜辺のすぐ向こうに、建物が折り重なるように立ち並んでいた。
木造の家屋の上に、石造りの壁が無理に継ぎ足され、さらにその上に、煉瓦の塔のようなものが乗っている。
渡り廊下は宙に浮くように伸び、別の建物に食い込んで、ねじ込まれる。
それは、空の果てまで伸びていた。
雲ひとつない青空の彼方に、深々と突き刺さるように。
子供が考えなしに積み上げたブロックのように危うく、計画性のない積み重ね。
倒れそうで、倒れない。
地震が来たら、一瞬で崩れてしまいそうなのに、それでも、当たり前のように、そこに在った。
――知らない。
こんな景色を、私は知らない。
見れば、彼のすぐ傍には、革製の鞘に収まった剣が置かれている。
息を整えようとして、浅く吸って、吐いた。
胸がまだ、早鐘を打っている。
「あの……」
声が、出た。
かすれていて、自分のものとは思えない。
絶え間なく足元を濡らす波に急かされるように、乾いた喉を鳴らし、もう一度息を吸う。
「ここ……どこですか。」
言葉にした途端、自分が何を聞いているのか、はっきり分からなくなる。
海があって、砂浜で、学生服の私と、鎧の男。
「……私、さっきまで、京都にいて。」
口に出してから、言葉が合っていない気がして、黙り込む。
何を聞けばいいのか、自分でもわからなくなっていた。
「ここ、日本……です、よね。」
震える喉が、頼りない問いを口にした。
膝をついたままのその人は、すぐには答えなかった。
こちらの様子を確かめるように、ほんの一拍、間を置く。
ちら、と砂の上に置いた剣を横目で確認するように見た、気がした。
「ニッポン、という国の名は……憶えがあります。」
その言い方で、なんとなく続く言葉がわかってしまった。
「ですが、ここはその国ではありません。
あなたの言うキョウトという場所とも、違います。」
言葉を選んでいるのが、はっきり分かる。
急がず、確かめるように、ゆっくりと。
「ここに来たばかりの方には、まずそれだけを伝えるようにしています。」
来た、という言い方が引っかかった。
事故でも、夢でもない。
自分の意思と関係がない、何かどうしようもない出来事が起こってしまった予感。
「あなたが混乱しているのは当然です。
倒れていたのも、珍しいことではありません。
…まずは、落ち着いて話を聞いていただきたい。」
「…ここは、どこなんですか。」
そう問い返すと、その人は一瞬表情を引き締めたように見えた。
剣から距離を取ったまま、私と同じ高さに目線を合わせる。
「剣に生き――
命潰えるその時まで、剣を手放さなかった者たちが、 最後に流れ着く場所です。」
静かな声だった。 言い切る調子でも、脅すようでもない。
お芝居の台詞のように滑らかな、言い慣れた定型文かのようだ。
風の音が聞こえない。さっきから、ずっと。
「ここでは、剣を通してのみ、終わりに至ることができます。」
抑揚はない。感情も乗せていない冷めた言葉が続く。
波の音が、間に挟まる。さっきから、同じ調子で続いている。
「その名を――」
一拍、置いてから。
「剣の楽土と呼んでいます。」




